013
アルフレートが俺の左腕を締めていた力が緩んだ瞬間、腕を僅かに上げ、そのまま軽く打ち下ろした。
予備動作もないしかなりの手加減はしてたし大した強さではなく、場所が場所だけに軽く当てる程度にしておいた。
「ぴ…………!」
……筈なのだが。
アルフレートは変な声をあげたきり、その瞬間から声も出せないようだった。
それ以前に息も出来ていない⋯?
蹲ったまま全く動かない。
氷を掛けるために足で掴んでいたグラスをベッドサイドテーブルに戻し、様子をうかがうようにアルフレートの顔を覗き込む。
アルフレートは、リィナの矢で心臓を撃ち抜かれた時の瀕死の氷雪鹿みたいな表情をしていた。
ロザリンが深刻さにそぐわない暢気な声で「あら大変ねぇ」とか苦笑しながら言っていた。
「ワリ、強すぎたか?」
流石に心配になり、声を掛ける。
戦闘中に骨を砕かれるような大怪我をしてもアルフレートが動けなくなっているようなところは今まで見せたことも無かったので、かなり焦る。
本当にまずい事態かという考えが過り始めるころになってようやく、アルフレートが大きく息を吐いた。
「…………股間打つのがこんなに痛いとか聞いてない」
のろのろと身を起こすが、四つん這いになるのがやっとのようでそれ以上起き上がろうとはしなかった。
「…喋れるならもう大丈夫そうか?」
「大丈夫じゃないよ…なんとか痛覚遮断出来ただけだよ。多分今も痛いよ。遮断してるのに背骨のほうからざわざわくるこの感じ、何なの…。魔法も使えないほど痛いとか今まで生きてきて初めてだよ」
夏でもコート姿なのにいつも涼しい顔をして汗一つかいていないアルフレートが汗を滲ませているあたり、尋常ではないのは明らかだった。
「ウッ……。すまん」
「いや、私もやり過ぎたし…ごめん」
悲壮な顔のまま、謝られた。
「ルドルフ。…なんかタマが上がったまま下りてこない」
助けろ、と目で訴えてくる。
「魔法は?」
「今は痛覚遮断で忙しいので他に並列行使は無理」
「……背中丸めろ」
数回尻の上の方を叩いてやると、本人の感覚ではどうにか落ち着いたらしく、手で制止してきて、アルフレートはそのままぐったりと広いベッドの端のほうに寝そべった。
「いや、なんか、本当にすまん」
「…私も、ごめんなさい」
今までどこか自分とは全く別の生き物だと認識していたが、どうやらコイツも自分と同じ区分の生き物だったのだとやっと実感出来た気がした。
こんなしょうもないことで実感するのもどうかと思うが。
「ロザリンちゃん、なんかもう今日は諸事情により一切動きたくないんで泊まってっていいですか…」
「これだけ寛いでおいて帰るつもりがあったことに吃驚だわ」
それは俺も吃驚だ。
シャワー浴びて酒を呑んで半裸になったあげくベッドに寝そべっておいてコイツの中では帰る選択肢がまだあったのか。
「そっちのリーダーさんは?ちょっとヘレナのほうに泊まるのはご遠慮頂けるとありがたいんだけど」
甘えて申し訳ないのだけど、とロザリンは困ったような顔をした。
そもそもそんな面倒くさそうな女のとこへなど行く気はなかったし、仮にも恋人だと思っていた男に死なれた夜に抱こうなどと考えるほど外道ではないつもりだ。
「あー…」
「泊まっていくなら出来たら私の部屋でお願い」
「泊まる…。帰んのめんどくせえし」
ここへ来た当初は後で別の娼館へでも行こうかとも思っていたが、ヤる気も失せた。ここで寝ていいならここでいい。
「アルフレートの目の前でするのでも良ければ目一杯サービスもするわよ?」
冗談めかせてロザリンが誘う。
「イける気がしねえよ」
「私が話の邪魔なら出ていくわ」
「それはアンタに任せる。仕事の話でも、人に言えねえようなことはウチのパーティには無えよ」
部屋主を追い出すのもどうかと思うのだが。
「てか、ロザリンお前、俺なんか誘うなよ。アルフレートと良い仲なんじゃなかったのか?」
「今、私は誰のものでもないもの。ここへ来た人なら誰でも等しくお客様よ」
「ロザリンちゃんも一緒に寝ようよー…」
空気を読んでるのか読んでないのかもわからないアルフレートが、ピュアなのか欲望まみれなのか判断に迷うことを言い出す。
背中の傷跡を見る限りでは、ヤることヤってんのは確実なんだが。
「…アレはいつもあんな感じか?」
「あんな感じね」
「ブレねえなアルフレート」
どうやらヤツはここに来るときでも、こんないつもの調子らしい。
「ルドルフと同室に二人きりとか嫌だよ」
小さな声で「なんでガチムチな野郎と二人きりで寝なきゃならんのですか」と言ったのが聞こえた。
それはこちらのセリフだ。
どれだけ人形めいた綺麗な顔をしていようが、コイツはしっかりゴツい筋肉のついた野郎だし、脚の間に一本生えてる方だ。
「わあ三人とか初めて」
「お前な…」
コイツは時々こうやって下ネタを飛ばしてくるが、アルフレート自身の見た目とのギャップが酷すぎて、ほとんどの場合どう返せばいいか分からず、俺は反応に困る。
それにロザリンが少し傷ついたような顔をしてるんだが。
「アルフレート、もう黙っとけ」
反応に困っていると、アルフレートはいつも「アレ?」という顔をする。
言ったのが例えばライリーだったらいくらでも返してやれるがアルフレートには咄嗟には難しいのだ。
「はぁい」
アルフレートは窘められたときの子供のような返事をした。
こういうことをするから、コイツが年上なのを忘れてしまいそうになる。
まるで見た目通りの十五、六の若造のようだ。
「…とは言ったものの、ロザリンちゃん」
「なぁに?」
「ヘレナさんにはついてなくて大丈夫?今夜、危なくない?」
それなのに、このように気遣う様子はそれなりの人生経験を窺わせる部分を見せるのだから、なかなかアルフレートという人物が把握しきれない。
ロザリンは酷い男に騙されたヘレナに優しい嘘をついたのだろうか。それとも酷い真実を明らかにしたのか。
「もう大丈夫よ。ここで生きてる女はそんなに弱くはないわ」
どんな会話がなされたのかはわからないけれど、ロザリンはヘレナならもう大丈夫だと信じているようだった。
俺もアルフレートもヘレナ本人をよく知っているわけでもないからロザリンを信じるよりほかは無いので、彼女が大丈夫だと断じたなら大丈夫なのだと思うことにした。
「ねぇ、アルフレート。エルフの集落ってどんな感じの場所なの?」
話題を変えられようが気にしないことにしよう。
それにしてもロザリンもそれは気になるのか。
「普通の田舎の村だよ。娯楽も少ないし、あと、街より全てが単調っていうかあんまり楽しくない。大体のエルフはそれで満足出来るみたいなんだけど、私はもっと世界中の美味しいもの食べて楽しいことして面白いものをたくさん見て生きたい」
理由としてはまあよく聞く話だ。それがエルフじゃなく普通の田舎の人族の若造ならな。
そして後半は非常に納得できる内容で、現在のアルフレートの行動指針でもあるのだろうと確信をもてた。
「だからいつもそんななのかお前」
「確かにアルフレートってそんな感じね」
アルフレートは俺とロザリンの反応に納得いかない様子だったが、ベッドサイドテーブルに置いてたグラスを手に取り、溶けた氷で薄まっているだろう酒を一気に飲み干した。
「あとは、私あんまり魔法が得意なほうじゃないから同族しか居ない集落だと生き難いってのもあって出てきたのもあるかな」
得意じゃない、と言ってるそばからアルフレートは魔法で宙に浮いたグラスの中に氷塊を出現させた。
引き寄せられてきた酒瓶が空中で開栓され、勝手に傾き、中身の琥珀色をグラスに注ぎ入れる。
「そっ………んなに普段からポンポン好き勝手に使っておいて、苦手なのか?」
今現在パーティには魔法を使えるメンバーが3人も居る。
普通は1人居るかどうか程度なので、我がパーティはかなり恵まれていると言える。
人族の魔法使いフェイと、ハーフエルフの弓使いリィナと、エルフの剣士のアルフレートだ。
うちに所属してるせいで目立たないがフェイだって一般的な他の魔法使いに比べてもかなり才能あふれた有能な魔法使いだ。
そのフェイより詠唱も短く素早く魔法を使えるのがリィナ。
詠唱すら必要とせず一切のタイムラグもなく行使するのがアルフレートだ。
最近はリィナに師事してフェイはどんどん魔法使いとして成長しているようだった。
なお、アルフレートにも聞いたことがあるらしいが、アルフレート自身自分がどうやって魔法を使っているのかもよく解ってなかったらしい。
まさに「呼吸をするように魔法を使える」種族である。呼吸の仕方を説明するのは難しかろう。
「苦手だよ?」
気付けばその手元には件のグラスがあり、アルフレートは唇をつけたそれを傾けた。
エルフの基準がわからない。
俯せで寝そべりながらという格好であろうとそれなりに様になって見えるのが腹立たしい。
大体いつもその口から飛び出す言葉で台無しになるのだが。
「美味しー。そういえば街の方がお酒も美味しいね」
「お酒も作ってたりするの?」
いつの間にかロザリンが俺とロザリン自身のぶんを用意して持ってきていたので、受け取り、そのまま呷る。
「ワインは作ってるけど、私は蒸溜酒のほうが好みだし、ぶどうの世話とか収穫作業とかもあんまり好きじゃなかったんだよね」
「ああ。虫嫌いだもんな」
アルフレートの自己申告がどこまで本当かはわからないが、極力避けたいと思っているのは確かなようだった。
「基本的には村のなかで大体のものは自給自足だったよ。あとはたまに街まで出て買い出しに行く程度」
「集落から出ることもあったのか?」
集落から出たがらないはずのエルフでも、必要な物を買うため街へ出ることはあったらしい、という話は俺とロザリンを驚かせるに充分だった。
「たまにはね。村内での調達が難しいものは買いに出るんだ。あ、そうそう私が20歳くらいの頃だったかな、暇だったから街へ行く父さんについてって、大通りの店の前でボーっとしてたら攫われたんだけど」
「ブッふぉ!」
「噴くなよもったいない」
再度注がれた酒を口に含んだ俺が噴いた瞬間、アルフレートは防壁を張って防御したようだった。
「エルフの20歳って人族だとどのくらい?」
「見た目は7歳前後かな。…で、私は魔法使うのが苦手だったから、過剰防衛にならない範囲で無力化するのは難易度高いし人族の街の法律的にどの程度までなら大丈夫なのか判別不可能だったしで躊躇ってたら、現場見てたらしい冒険者が助けに来てくれたんだよ」
今現在のアルフレートがこうなのだ。さぞかし見目の良い子供だったことだろう。
拐うやつにはそれはもう魅力的な獲物に見えたことだろう。
「やっぱり見た目だけしか子供じゃねえんだな」
最初にハーフエルフのリィナに会った時も見た目と実年齢の違いに違和感を覚えずに居られなかったが、エルフの場合は更に差異が大きいようだ。
「そりゃそうでしょ。身体が未発達なだけで中身は20歳だもの。年齢なりの経験値や知識はあるよ」
考えてみれば人族ならとっくに成人して子供が居てもおかしくない年齢か。
「まぁいろいろあって、街は魔法が苦手だったり使えない人でも暮らしやすくなっていて、集落にはないものやいろんな職業もあるんだなと知って、それも集落を出るきっかけの一つになったんだと思うんだよね」
アルフレートの基準がわからないが、魔法が得意ではないというのが多少のコンプレックスになっていたのかもしれない。
「三十五歳以降一人でも結構街まで来てたんだよ?攫われたのに懲りたから認識阻害の魔法くらいは掛けてたけど」
「人族でいうとどれくらいの時期?」
「んー。多分十一から十三歳くらいじゃない?二次性徴前あたりの頃なんだけど人族男児の成長過程のほうがわからないよ」
「わざわざ何しに来てたんだ?」
「面白いモノと美味しいモノを買いに。ベニエとかゴーフルの蜂蜜掛けとかキャンディとか欲しかったから」
「…そこは子供なのな」
「身体は未発達なんだから仕方ないでしょ。味覚や好みは子供だよ」
ナイショの買い食いは美味しいものです。そう言ってアルフレートはふふふと笑った。
「買ってたってことは何か売ったりもしてたのか?」
「ああ、うん。大人はワインとか売ってたし、私も家で使う傷薬とか作るときに多めに作っておいて持ってきてたよ」
まさかの「エルフ族の傷薬」の出処の発覚だった。
エルフ族の傷薬といえば本物であれば傷につければ治癒魔法でも掛けたかと思うような早さでたちまち傷も消えてしまうという、薬の最高級品だ。
それが子供の小遣い稼ぎだったのか。
稀に薬屋で見かけても大概は偽物なのだが。
「本格的に街で暮らし始めて、随分買い叩かれてたと知ったのはいい勉強になったよ。まさか買い取られた後で10倍の価格で販売されてるとは思いもしなかった」
子供だと思って足元を見られたのだろう。
「都会ってこわい、と田舎者の意識に強烈に刻み込まれました。今では騙そうとする相手を見抜く目は随分磨かれた気がするね」
「でもエルフの集落ってそんなに近くにあるの?子供の足で1人で来れるような距離なの?」
「家で飼ってたフォレストウルフに乗せてもらってたんだよ。片道3時間半もあれば着くから」
ポチ程じゃないけどフォレストウルフも早いんだよ、と言ってアルフレートは足元に寝そべる一角狼を見遣った。
ここへ来る前の高速走行を思い出し、ひやりとする。大人を2人乗せているとは到底思えぬ恐ろしい速度で駆け抜ける一角狼に乗ったのだ。
「妙に馴れてんのはそのせいか」
「うん?」
「あの異様な速度でも平然としてただろう?」
まるで普通の早さだと言わんばかりに、駈歩で走る馬に乗るのと同じような気安さであの爆走狼に乗っていたのがアルフレートだ。明らかにおかしい。
「フォレストウルフはもう少し小型だしもっと遅いけど、そうかもね」
そう言って、何かを思い出したかのような懐かしそうな目をした。




