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覇王の遺児 ― 信忠天下記 ―  作者: ゆちゃ
第2章

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19/20

19.余熱

天正10年(1582年)6月22日 

尾張・清洲


風が通る。

清洲城の広間。

障子は開け放たれ、外の光が差し込んでいる。


人はいる。

だが、誰も落ち着いていない。

戦は、終わった。


勝敗はついた。

そして、清洲評定も終わった

すべては整ったはずだった。

だが、整いすぎている。


中央に座すのは、織田信忠。

その前に、文がある。

一通ではない。

いくつも。

それぞれが、微妙に違うことを伝えている。


「……首は、まだ上がっておらぬか」

低い声。


答えるのは、丹羽長秀。

「は。確たる報は未だ」

さらに一通。

「討死との説もございますが、いずれも確証なく」


沈黙。

誰も顔を上げない。

明智光秀の生死が、定まっていない。

それだけで、場の空気は落ち着かない。


信忠は文を閉じる。

ゆっくりと。

一度だけ。


「……妙だな」

短い。

長秀が顔を上げる。


「妙、にございますか」

「終わり方が、だ」

それ以上は言わない。

しかし終わっていない可能性を見ている。



同刻。

山城国・郊外


道は荒れている。

戦の跡。

倒れた旗。

折れた槍。

その中を、通る者がいる。


農民。

旅人。

落ち武者。

誰もが、何かを見ている。

だが、誰も確かなことは言わない。


「見た」

「いや、見ていない」

「逃げたらしい」

「もう死んだとも」

言葉は散る。

まとまらない。

真実だけが、どこにもない。



同刻。

尾張・清洲


評定の後。

城は静かになっている。

だが、静かすぎる。


廊下を歩く影。

ゆっくりと。

止まる。

一礼。

現れたのは、細川藤孝。

表情は穏やか。

変わらない。


「上様」

声も同じ。


信忠は、視線だけ向ける。

何も言わない。

藤孝も、余計なことは言わない。

沈黙。

その沈黙の中で、何も起きていないようで、何かが動いている。

だが、それは掴めない。

信忠が、わずかに視線を外す。


「……京はどうだ」

問いは、一般的。

「落ち着きを取り戻しつつございます」

即答。

淀みはない。

完璧な答え。

だからこそ、何も分からない。


「そうか」

それで終わる。

追わない。

まだ、その時ではない。



同刻。

備中国方面


遠い。

だが、確実に繋がっている。

陣がある。

整っている。

動いている。

だが、その中心の人物は見えない。

羽柴秀吉は西へ戻った

しかし書状は来る。

人も動く。

命も届く。

距離はあっても、影響は消えていない。



同刻

清洲城


信忠は、座している。

動かない。

だが、考えている。

光秀。

秀吉。

そして、まだ名の出ていない何か。

すべてが、曖昧なまま動いている。


(……どこだ)

探しているのは、答えではない。

歪み。

その時。


「上様」

長秀の声。


「各地、静まりつつございます」

報。

信忠は、すぐには頷かない。


「静かすぎるな」

ぽつりと。

その一言で。

空気が、わずかに張り詰める。


静けさは、終わりではない。

次の前触れだ。


風が入る。

障子が、わずかに揺れる。

誰も動かない。

だが、誰もが感じている。

まだ、終わっていない


信忠は、目を閉じる。

一瞬だけ。

開く。


「……様子を見る」

短い。

だが、それは放置ではない。

見極めるという意思。


火は消えたように見える。

だが、まだ熱は残っている。

その熱が、どこで再び燃え上がるのか。

誰にも分からない。


ただ一人。

それを探している者だけが。

静かに、次を待っていた。


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