2
2140000ヒット、ありがとうございました!
『氷の双宮』の扉が、ゆっくりと開かれていく。
リヒャルティや『金羽根』、イルファだけでなく、噂を聞きつけたのだろう、避難していた民衆が不安げに集まり始めていた。
レアナを背後に、セシ公もまた、開かれていく扉を口を引き結んで見つめている。
このずっと先の南門外では、未だジーフォ公やテッツェの遺骸が放置されている。彼らだけではない、東や西の戦場以上に多くの者が、弔うことも、いやその死さえ確認されずに横たわっているはずだ。
ざわめいていた民衆は、扉が開くにつれて声を失っていった。背後のレアナが、ふらついたのだろう、セシ公の衣に縋り、必死に座り込むのを堪える気配がする。
「………」
これはなんだ?
「……おい…」
リヒャルティが呻く。
「……どういう……ことだ…」
何もない。
扉の外には、何もなかった。
通りも、店も、住宅も。庭園も、石壁も、水路も。
「…何が…起こった……?…」
果てしなく地平線が見えるのではない。あちらこちらに妙な形の影のような塊が点在している。崩れた瓦礫、折れ砕けた木々と踏み荒らされた地面、掘り返され埋められた家々や町並み。黒っぽく異臭を放つ液体や粘りつき糸を引くような塊が、汚れ乱れた世界に飛び散り投げ捨てられ、民衆の数人が堪えきれずに逃げ去り嘔吐する音が響く。
人が暮らしていた国の姿が想像できない。
そもそも、この場所の、どこで生きていられたのか。
『人』同士の戦ならば、破壊された街並みと傷つけられた遺体が残る。悲惨で酷いが、それでも『人』の所業であるとわかる。『人』の手で片付けられると思える。
だが、これは。
「……」
セシ公は空を振り仰いだ。
何か、とてつもない、大きな力が、ここに降って叩き潰し蹂躙したとしか思えない。
けれど空は晴れている。
まもなく日が落ち切るだろう。夕暮れが忍び寄る天空は、追い詰められるように濃紺に染まっていく。
ふいに激しい飢えを感じた。
足りない。
何もかもが足りず、空腹で仕方がない。
「…見ろ!」
イルファの声が響いた。
「ユーノだ!」
ざわっと民衆全て、セシ公の身の内全てが湧き立ち震えが走った。
「……シートスだ」
呆然としたリヒャルティの声に進み出る。背後に縋り付いていたレアナが一瞬進むのを拒み、けれど引きずられるように付き従う。
開いた扉の彼方、平原竜が2頭、こちらに向かってくる。片方の背にはユカルとユーノ、そしてもう片方の背にはシートスと、何か荷物のようなものを載せている。
扉が開いているのに気づいているだろうに、2頭の速度は上がらなかった。生還に歓声を上げかけた民衆も、リヒャルティやイルファも、異様な緊迫感に口を閉じる。
やがて、シートスが先に扉の外に立ち止まった。
荷物と見えたのは人の体だった。怪我をしているのか、それにしても無造作に載せられている。何者かと目を凝らして、見間違えようのない煌めく金色の髪が揺れるのを認める。
「…アシャ…?」
ラズーンの正統後継者であるはずの男が不要な荷物のように平原竜に載せられ、しかも身動き一つしない。一瞬、この世界を担うもう一人が戻ったのかと安堵しかけたセシ公の耳に、冷ややかなシートスの声が届いた。
「『太皇』はどこか」
セシ公は無言で相手を見上げた。
ラズーン四大公の一人に対して、『野戦部隊』の長ともあろうものが、平原竜から降りもしなければ挨拶もしない。しかも『太皇』に対して、犯罪者でもあるかのように呼びかける。
「てめえっ、兄貴に対して」
リヒャルティが噛みつきかけて、バルカとギャティに制された。常なら傍若無人な振る舞いのイルファは、シートスを見上げ、背後を眺め、もう一度不遜な態度で見下ろす相手を睨みつける。手が剣にかかりかけている。負傷しているのか生死の境か、ぐったりとしたアシャが酷い扱いを受けて激怒しているが、ユーノがどう出るのか測りかねているようだ。
セシ公はシートスの瞳を凝視した。
なるほど、国が終わると言うことはこういうことか。
それまで存在していた権威も名誉も全て踏み潰される。己の体一つに、存在意義を問われる。この先如何なる信条で生きるのかと正される。
再び飢えを感じる。
かつて『ラズーン』に抱いたよりも、もっと激しく強い飢えだ。
目の前に居るのは、もう配下などではない。今後開かれる新たな世界で、互いに存在を賭けて競り合う、1人の人間だ。だが、情報が足りない。今何が起きているのか、どこへ踏み込めばいいのか決断するために、もっと情報が欲しい。




