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「セシ公!」
『太皇』と別れて外に出ると、慌てたようにレアナが駆け寄ってきた。
「どうされましたか」
自身の動揺を押し殺して階段を降り、背後に消えていく気配を悟られないように微笑みかける。
「炎が消えました!」
「っ」
言われて顔を上げると、確かに彼方の壁の向こうに立ち昇ってきた朱赤の光が消えている。
「扉は」
「まだ開放されていません。イルファとリヒャルティが待機してくれています」
そう言うレアナもすぐ近くに居たのだろう、白い頬に僅かに汚れがついている。常ならぬ空間、全てに圧倒されてきた時間の後で、レアナの自然で素朴な振る舞いがセシ公の緊張を緩めてくれた。
「セシ公……お疲れですか」
「はい、いささか」
「それは…『太皇』と何か大事なお話をされていたからでしょうか」
ちらりと視線を流す横顔は真剣だが、紅潮した鼻先が愛らしい。鼻先だけではない、額も頬も、と見て取って、セシ公は気づいた。
「…泣かれていたのですか」
「…っ」
レアナははっとしたように顔を背けかけ、思い直してもう一度セシ公を振り仰いできた。
「申し訳ございません」
震えそうになる声を必死に張って返答する。
「このような時に心弱い様をお見せしました」
「無理もない…世界が終わろうとするような戦況です。剣士だとて己の行く先を案じる」
「ここには幼い子どももおります。この先どうなるのかと案じる母親を、慰める術もない我が身が……悲しくて」
考えてみれば辺境のセレドの皇女、ユーノは別格として、普通の姫ならば『宙道』を使う常ならぬ方法で、祖国から引き離されただけでも正気を失う。侍女に傅かれ、身支度全て他の者が支えていた生活から、1人で身の回りのことをする暮らしへ、そればかりか身分素性のわからぬ者達と寝起きし、他者の手助けも求められる状況、それでもレアナは取り乱さずに耐えた。伊達や酔狂で一国を背負う者として育てられたわけではないと言うことか。
無意識に手を伸ばし、レアナの頬に触れる。温もりに自分の指先が冷え切っていたと知る。
「セシ公…?」
温かい。生きている人の熱はこれほど高いのか。
『太皇』に見せられた様々な世界が、それらが存在するあの空間が、『太皇』そのものの有様が、この世界の何物とも違うのだと実感する。
「…失礼をしました」
微笑んで手を引いた。意識してもう一度『氷の双宮』の入口を振り向く。真っ直ぐに見上げる澄んだ瞳に、今自分が口にすることばの濁りが伝わりそうな気がしたからだ。
「レアナ姫、『太皇』は体調を崩されております」
「え…っ」
震えが消えかけた声が、再び緊張した。
「此度の戦に、心身ともに疲れ果てておられるようで、あるいはこのまま…」
「そんな……まさか」
邪気のない返答に胸が詰まった。
そんな、まさか。
セシ公もまた、『太皇』に言いたかった。
この世界の有様が、『運命』との確執が、『ラズーン』そのものが、遥か彼方に作られた仕組みだったとは。
そうして見事に舞台を終えた『太皇』は光の中から退出し、残された脚本なき舞台を素人同然の自分が幕を開けなくてはならないとは。
『人』は勝利を得たのではなく、むしろ今からこそが『人』が世界を引き継ぐにふさわしいと証明する試練の始まりだとは。
『ラズーン』が抱える大きな謎、それは知ったと同時にセシ公の知る世界を粉々に打ち砕いた。
『太皇』は戦後処理だと言った。
しかし、何を指針にすれば良い。
どこを目指して歩けば良い。
何を願い、何を守り、何のために立ち上がる。
「セシ公」
レアナを振り向く気力がないままのセシ公に、別の声が呼びかけた。
幼い声、けれど不安に曇ることも、恐怖に怯えることもなく、静かに通る声。
「……レスファート、殿」
振り返った一瞬、何かに強く気圧されて、セシ公は思わず呼び名を改めた。背後に1人、薄汚れた着衣を豪奢な衣服と錯覚させるような堂々とした気配で、プラチナブロンドの少年が立っている。アクアマリンの瞳は静かに煌めいて、セシ公を射抜いた。
「開門を」
「…え?」
一瞬何を命じられたのか分からなかった。
レスファートは焦れることなく、繰り返す。
「扉を開けて下さい。炎は収まり………ユーノが戻ってきます」
「え!」
レアナが声を上げる。
「本当ですか、レス」
「間違うわけもありません」
瞳が大きく見開かれ、潤みかけたのを消すようになお見開かれる。一瞬食いしばるように閉じられた唇が、きっぱりと命じる。
「迎えを、早く」
「承知した」
セシ公は身を翻して足を速めた。




