1-3 変容 のち 転寝
こちらの作品がKラノベブックスさんから本になります。
2020年10月2日の発売予定です。
よろしくお願いします。
宣伝でした。
さて、対特異能力者との森林接敵時における最善な部隊運用についての想定、という名の「光速の騎士」によるフルボッコタイムの翌日のことである。
茂は起きて早々、朝の六時からユニットバスに設置されている姿見の前で、いささか似合っていないネクタイ姿で、ネクタイの位置を確認していた。
「く、ぬぬぬ……。き、きついぃぃ」
苦悶の声をあげながらも、なんとかワイシャツの一番上のボタンを留めてはみたが、ネクタイを通そうと襟を上げた途端、ボタンが外れてしまったのである。
再度ボタン留めに挑もうとしたのだが、いかんせん首周りのサイズが昔とは違っていた。
「だ、駄目だっ! どうやっても入らん!」
ぜいぜいと荒く息を吐いて、もうあきらめることにする。
ワイシャツを脱いで適当にユニットバスの外の廊下に広げる。
インナーのシャツも脱いで上半身を露わにすると、服を着ていた時にはわからなかった鍛えられた筋肉が見て取れる。
いつも普段着がだぼっ、としたゆったり目の服が多いせいで目立たないが、そんな鍛えられた上半身には大きく三本の傷跡が痛々しく残されている。
本人は慣れたこともあり、然程気にしていないのだが、もし誰かが見かければぎょっとはするだろう。
「……首周りもちょっと太くなってるからなぁ。新しいの買わないとやっぱ駄目か」
ぺたぺたと首元と肩周辺を手のひらで撫で擦る。
はぁ、と肩を落として脱いだTシャツをのろのろと着直す。
元々、服装の趣味がゆったりとしたタイプの服を好むこともあって、向こうから戻されても普段着にはそこまでの影響はなかった。
サイズ感がワンサイズずれるかどうかというレベルなので、持っていた服のサイズ幅の許容範囲であったからだ。
ただし、フォーマルな物に関してはそういうわけではない。
「就活の時のじゃあ、サイズ合わなくなってるとはなぁ。……参った」
就職活動中に着ていたスーツ類は、さすがに自分の好ましいゆったりとしたサイズで、というわけにはいかなかった。
第一印象として、あまりに服がダボつけば、それは服装のだらしなさと捉えられる可能性がある。逆のぱつぱつのつんつるてん、というのも見栄えが悪い。
そうなるとある程度身体のラインに沿ったスーツを選ぶことになるわけで。
「ワイシャツはこれで全滅か……。マジかよぉぉ……」
着られないこともないのだが、胸から肩、そして腕。その辺りの召喚以前・以後の肥大化が著しい。
丈は合うのだが、前のボタンが幾分厳しい。
さらに首周りに至っては以前はきちんと締めても指の一・二本は入るくらいだったのが、今は紙一枚も入る余裕がない。
全部のボタンを閉じてマスキュラーポーズでもすれば、鉱石掘りの親方の如くシャツを破るという一発芸もできるかもしれない。
「……仕方ない。買ってくるしかないか。とは言ってもなぁ」
スーツ自体はどうにか入るようで、致命的なのはワイシャツだけ。
ただ問題なのは、茂はタッパがある分、丈で合わせると首元が締め付けられる。かといって肩幅と首周りで合わせると自然フォルムが太く仕上がってしまう。
どちらに合わせるかは結構重要なことなのだ。
S・M・L・XLとある程度決められた枠に填まるのであれば問題ないのだが、実はその枠から微妙に外れる者は多かったりする。
ひょろりと長身で、肩幅と首の太い体形となると海外製や紳士服専門のアパレル系で填まる場合もある。
茂の全滅した元のシャツもいくつかのメーカーの既製品を試着できるアウトレットで選んで見つけたものだからだ。
まあそういうわけで、当然だが若干お高い。
いや、ロードサイドの紳士服店が悪いわけでなく、そういったチェーン店のメインターゲットはマジョリティであり、数を取りそろえることで価格に反映させているわけで。
そうなるとマイノリティは少ない選択肢から選ばざるを得ないのだ。
「こういう時、めんどくさいんだよなぁ」
とはいえ、何とかして見た目の悪くないワイシャツを準備しなくてはならない。
なにせ、二週間後には「森のカマド」中部地区の中途採用者向けの合同面接があるのだ。
伊藤に以前から打診されていた正社員雇用につながるこのビッグチャンス。逃すわけにはいかない。
正社員。
福利厚生・健康保険・企業年金、毎月の給与と年二回のボーナス。
ああ、素晴らしきかな九時五時プラス残業ウン時間サービス残業ウン時間の生活。
何せ、斬られないし、殴られないし、撃たれないし、電撃でバリバリやられないのだ。
物理的に殺される可能性は低いのだから、若干のブラックくらいはどんと来いな気分である。
まあ、採用時には推薦者の伊藤が引っ張ってくれると内々にお話してくれているので、多少ブラック云々に関しては安心してはいる。
と、いうか最近の白石関連からのアプローチが怖いのだ。
このまま温いバイト生活を継続していてはいつの間にか、外堀を埋められて囲い込まれてしまう気すらしている。
日本国憲法にも明記されている通り、杉山茂は職業選択の自由を堂々と行使するのだ。
というか、「光速の騎士」の英雄ごっこは公共の福祉に見事に反していると強く言いたい。
併せて一緒に羽目を外すいい歳した大人どもにもだ。
「サイズ感に関しては嫌な予感はしてたから、確かめといて正解だったな……」
シャツを乱暴に纏めてベッドに放ると自分もベッドの縁に腰掛ける。
思い出すのは東京への弾丸シージャック巻き込まれツアーのこと。
借り受けたフォーマルなスーツのワイシャツが入らず四苦八苦した経験があった。
あの時はいくつか選べるものがあったので対応できたのだが、実はここ最近のごたごたで望みもしないレベルアップもあり、体も幾分大きくなっていた。
実際、シージャックからこちら、学校占拠事件に、対特異能力者向け戦闘訓練に、新手のテロリストとの遭遇戦と息つく暇もない。
よくよく思い返せば、シリーズ物のアクション映画でももう少し間を空けて制作するだろうに、と突っ込まざるを得ないのだ。
色々とその関係で装備品のテストモニターをさせられたりもするし、だらけるような暇がない。
たらふく物を喰い、体を動かせば、自然と肉は付く。
仕方ない帰結がそこにはある。
「そりゃデブより腹筋割れてる方が良いだろうけど」
Tシャツの上から腹を擦ると、ざらつく傷跡としっかりと存在を主張するシックスパック。
うう、とそんなストイックな生活は望んでないんだが、と挫けそうになる。
何故、自分のような平凡な一市民が切った張ったで生きていかねばならんのであろうか。
ある程度自業自得ではあるのだが、そういうことを考えずにはいられなかった。
「こういう地味に痛い出費がきついんだよなぁ……。スーツなんてほとんど着ないんだぞ、今の職場」
普段の仕事場で伊藤がスーツで出勤してくることもほぼない。
せいぜいセミ・フォーマルくらいの恰好で、ほかの店舗でも同様である。
となるとあとは冠婚葬祭くらいだが、そんな予定は今のところありはしないわけで。
「面接一回のために、買うのかよ……。滅入るなぁ」
額に手を置いて天を仰ぐ。
四、五千円。メーカー次第ではものによっては一万くらいはするだろうか。
それを一枚だけ、というのも。
せっかくなら二、三枚準備しておくべきではある。
人生何が起きるかはわからないのだから。
「痛ぇ」
ぽつりとつぶやく茂の声は小さく部屋の中に消えていく。
まあ、具体的には懐であろう。
昨日の訓練のお駄賃として、五万円ほどいただいてはいる。
一日拘束されて日給なんと五万円、若しくはなかなかの危険を伴う訓練をしてたった五万円。
どちらととるかは微妙なラインではある。
ぶーん、ぶーん、ぶーん……。
「ん?」
非常連絡用に渡された充電器に挿さりっぱなしのスマホが鳴る。
手を伸ばして着信内容を確認する。
「……はぁ、まあいいけど」
着信内容を見て、そのまま返信すると、テーブルの上にスマホを置く。
ぼすん、とベッドに倒れこみごろりと横になり、大きくあくびをする。
ぼーっ、と横になっていると、うとうととし始めた。早朝であるのと昨日の疲れも残ってはいる。
数分後、茂は寝息を発て始める。
ぶーん、ぶーん、ぶーん……。
そして、またもスマホは鳴り始める。
茂は気づかずにすやすやと寝たままだ。
着信表示は、“門倉・私用”となっていた。
二時間後、二度寝から復帰するまで茂はそれには気付かないままだった。




