1-2 駄々 のち 酒
活動報告にもありますが、「一般人~」が本になります。
2020年10月2日発売予定です。
よろしくお願いします。
という宣伝でした。
「……ずいぶん不機嫌ですねぇ」
「……ふん」
本山は部屋に入ってすぐ、奥の背もたれのついた座椅子に、胡坐をかいて座る部屋の主に声をかけたが、言葉としては返事が返ってこなかった。
とくとくと手酌で氷の入ったステンレスのタンブラーにウィスキーを注ぎ、ごっごっと音を立てて一気に飲み干す。
がりごりと残った氷もかみ砕いて、タンブラーを空にする。
常人では急性アルコール中毒でぶっ倒れてもおかしくないような、なかなかの蛮行である。
だが、件の部屋の主は気にする風情もなく、空になったタンブラーにペールから氷を入れ、同じようにウィスキーを注ぐ。
やっている内容はただのやけ酒なのであるが。
(こりゃあ、確かにひどいな。さて、どういうことなのか……)
「ふぅ……失礼しますよ」
部屋の入り口で靴を脱いで奥へと入る。
部屋の主の希望で、部屋の奥には畳が敷いてあり、土足というわけにはいかないからだ。
畳を踏みしめながら、また同じようなやけ酒を続ける部屋の主の前に近くの座布団を取り、机を挟んで正座で座る。
空になった瓶が数本、畳の上に転がっていた。
「なんだ、一体」
主は近くの肘置きを引き寄せ、胡坐をかいたまま肘をつく。
機嫌の悪いまま、剣呑な雰囲気を隠すことなく自分の前に座った本山に一言尋ねる。
そうするとまあ、迫力満点。
(……確かに。私以外では声もかけられませんか)
本山は内心で苦笑しつつ、外向きの顔に笑みを浮かべた。
「定良さん。スタッフが怖がっているみたいですよ? そろそろ機嫌を直してくれませんか?」
「本山、そんなことを言いにわざわざ来たのか? 俺を駄々をこねる餓鬼とでも思っているのか、お前らは?」
ぶわり、と部屋の主、黒木定良兼繁の後ろから黒い瘴気が漏れ出でる。
木綿の絞りの甚平を着て、昼間から酒を飲んでいるという、休日のおっちゃんと変わらないことをしているだけなのだが、威圧感が違う。
甚平の中身は骨しかなく、そして肩には太刀を寄りかからせて、そこに黒い瘴気を漂わせる。服装と場所が違えばどこのRPGのボス部屋ですか、と尋ねたくなるようなそんな空間であった。
いつも作務衣か甚平姿で、本を読むか絵を描くか映画を見るか、という生活をしているときは楽しくちびちびと酒をたしなんでいるのが常であるといえば、今のピリピリとした緊張感の万分の一でも伝わるだろうか。
「いやいや、後ろから漏れてるんですって。ほら、ほら」
「む……。そうか」
指摘されるまで気づかなかったのだろう。
ぱたぱたと本山がまとわりついてくる黒い靄を体から払いのける。
そのまま靄から逃れるように立ち上がると、周りを見渡す。
知らず知らずに部屋の床にうっすらと瘴気のカスが残っている。
本山は周りの窓をすべて開いていく。
近くには高いビルもないので、雲一つない青空が見える。
吹き込んできた風が、カスを洗い流してくれた。
定良はタンブラーを片手に立ち上がると、窓の外を覗く。
「今頃、奴らは『騎士』殿と修練を積んでいるのだろう?」
「でしょうねぇ。あちらもいい天気だと聞いていますから」
ずず、と不味そうにロックでウィスキーを啜る定良。
「……俺も、行きたかったぞ。……なぜ、もっと早くに教えんのだ、お前ら」
今度は肘置きではなく窓の珊に肘を置いて、不満を述べる。
「そんな面白いことがあると知っていれば、さっさと戻ってきたというのに……」
「ですから、先方の予定がついて、急遽決まったのですよ。定良さんの帰国に間に合わなかったのですから、仕方ないではないですか」
「そのようには聞いたがな……」
これはアレだ、と本山は気づく。
中学生が部活が中止になって早めに帰宅したら、自分以外の家族が回転ずしに出かけていたような、そんな疎外感。
確かに自分は行けないかもしれないが、それならそれで十分なフォローをしてほしい。
仲間外れの子供のようなぐずり方である。
幾度か自身の息子や娘がそんなふてくされ方をしたことがあると思い出す。
定良はからん、とタンブラーを回し、その氷が琥珀色の液体と混じり合う様を眺める。
タンブラーと逆の手に持った太刀がかちゃり、と鳴る。
「……せっかく、業物が手に入ったところだったのだ。手に馴染ませねばならんというのに」
「はて? 向こうで十分以上に試してきた、と報告を受けましたが?」
定良が持つのは大太刀は、生前の愛刀である「熊潰」と同じ刀工の作で、「猪断」という銘を持つ。
二本はほぼ同時期に作刀されたもので、同じ刀匠の遺された刀は現存するものは十本に満たないとされている。
そんな大太刀が一体どこにあったのかといえば、北米の刀剣マニアの蒐集品だった。
戦後の混乱期に海外に流出した美術品の中に紛れ込んでいたようで、欧州を転々とし、最終的にはそのマニアさんの手に渡ったという経緯。
ただ、値の張る美術品を買いあさるようなマニアは、元から資産家でなければ、購入資金を稼ぐ必要があるわけで。
金を稼ぐ才能が飛びぬけてあるわけでなければ、後は時間をかけて稼ぐ必要がある。
つまり、高齢であることも多いということだ。
そういうわけで、高齢なコレクターのマニアさんは先日それらのコレクションに囲まれ、天寿を全うされたそうである。
そして、残された家族はそれを必要とする人々へとコレクションをオークションにかけ、方々に品々は散っていった。
それに目ざとく、購入したものが、彼にプレゼントした、という流れだ。
定良が酒以外に興味もなく、そのプレゼントの酒もぱかぱかボトルを空けるものだから何か形の残るものを、と苦慮したのだろうということは想像に難くない。
「……斬れれば、どんな者でもいいというわけではないぞ?」
「そういうものですか?」
本山が小首をかしげると、定良は壁に立てかけてある今まで使っていた大太刀をひっつかむ。こちらは特に銘もない品ではあるが、長く定良が使ってきたこともあり、彼に馴染んでいる。
その大太刀と、窓際のテーブルに置かれていた未使用のグラスを手に、もとの座椅子に戻る。
本山も併せて定良の前に戻り、グラスを受け取る。
まだ日も高いし、勤務中であるがこれに関しては不可抗力である。
飲まねば、この先に進まないのだから。
机の上のペールから氷を入れて、とくとくとウィスキーを注がれる。
「向こうで試し斬りはしては来た。……何ぞ下らぬ薬の工場をせん滅するのに襲うと。銃を持った賊がいるという話だったのだ。首魁だけ押さえれば、生死は問わぬという話でな」
「それはそれは」
ご愁傷さま、とおそらく二桁は出たであろう、作戦時の犠牲者に心の中で声をかける。
大麻なのか麻薬なのか覚せい剤なのかコカインなのか。
その辺りは知らないが、まあろくでもない工場の壊滅ということならば、一般的には正しい行いなのだろう。殲滅する必要があると判断されているのだから、合法の品でもないだろうし。
クスリやらハッパを売り買いする奴も、生産する奴も違法とわかっていてやるのだからそれはすべからく悪なのだ。そんな奴らが地獄に落ちてもなんら心が痛むこともない。
ただ、その場に、このメガトン爆弾級の黒木兼繁を連れていくとなると、少々疑問符が浮かびはするが。
地獄への落ち方というものもあるにはあるのではなかろうか。
とはいえ、自業自得ではある。
「……それで行ってみればどうだ。揃いも揃って情けない声を出して逃げ惑うばかりで。ろくな肉がおらん!」
「に、肉、ですか」
扱いが牛豚鳥と変わらぬ“肉”。
定良はかろん、とタンブラーを回し、氷だけを口に含むとまたがりごりとそれをかみ砕く。
「確かに幾人かはましな者もおったが……。それ以上に堕落した肉どもしかいない有り様だ。酒と薬と脂にまみれた腐臭混じりの血では、刃も濁るだけ。あれでは卸したての贄にはならんだろうに」
「なんというか、剣呑ですなぁ」
あはは、と一時手に持ったタンブラーのアルコールへと逃げる。
肉に、贄。
一体自分は、どんな原始宗教のサバトの話を聞かされているのだろうか。
「こういう人を斬る物を長く使うにはまず、上物の血を吸わせねばならん。それを十分に吸わせておかんと、いざというときに自分の血でその不足分を贖うことになりかねんのだ。ここ一番の土壇場で、得物に裏切られるような使い方をしていてはならんということだ。だというのにつまらん惰弱な雑魚ばかりでは、な?」
「いやいや、皆が参加しているのは訓練。試合ですよ? そういった状況にはならないでしょうに」
「ふむ? だが、訓練とはいえ、死合いなのだろう?」
「ええ、試合ですよ?」
音が同じで意も近いことが災いしている。
そして双方がその微妙な違いに気づけないというのは、ある種悲劇でもあるが、喜劇でもある。
互いにその違和感には気づいたが、まあいいかで流してしまう。
「だからな? せっかくの卸したての良い業物。吸わせるなら、上物。既に極上と間違いない『騎士』殿の血を啜らせる絶好の機会だったのだ。もう一本には前に十分にこそぐように腹を抉って『騎士』殿の血と肉を喰わせてやったからな。ならば、こちらの「猪断」にもその肉、食わせてやらねば不公平ではないか。刀はやはり人を斬ってこその刀よ」
にたり、と壮絶な笑みを浮かべる定良。
ぞっとした本山が話を変えようと、慌てる。
「ええと、剣の話は分からないんですが。有名な刀剣で、例えばどこかの御神刀とかの、血などの汚れを嫌うような刀とかもあるはずでは? それに今は活人剣とかそういう人を救うためにこそ、という考えの方が多いかと」
ふむ、と顎にてを当てて定良が考え込む。
「確かに。読みふけったここ最近の武術の書物にはそんな考えのものもあったな」
「でしょう?」
「まあ、俺には関係ない」
「えええ!?」
くい、とタンブラーを傾げる。
「それは、太平の世。つまりは戦乱も終わってからの所謂、恰好をつけねばならん連中が言い出したことだ。むやみに力をふるい、人を傷付けていてはそうそう治まりもせん。だが、もしかしたらの修練は必要。だからこそ、人を守る力を。そういう建前を必要としたのだろう? ……まあ、そうなることに異議は唱えんよ」
「はぁ」
話し相手が来たことで幾分、機嫌も直った定良が続ける。
「だが、俺はそのように教わってはおらんしな。刀は人を斬る道具だ。それを巧く扱うということは、人を如何に斬り伏せるか。その一点に尽きる。そこを突き詰めていった先がコレだ」
真っ白な骨だけの指先で自分を指す。
「それがいらないという世が来たのであれば、それは素晴らしいことよ。だが、現実的に俺は、俺の人斬りの業は、未だに不要とならんではないか。だが、先も言ったが活人剣が悪いわけではない。必要とされる“世”ではなく、“場”があり、それが広まったのだから。だが、活殺がどうのこうのと言っていても、それはただの裏表だ。活人であろうとも容易に人は死ぬ。殺人であろうとも人を救う術ともなろう。最終的には遣い手の問題でしかない。言葉をどうこねくり回したところでそこは変わらんよ」
「その心を磨く術として、武術があるのでは?」
「カカカッ! そうかもしれん。だが、老いた者や小さき子、それが襲われたときにだ。立ち向かう者に武の心得の有り無しが必要と? そんな事もあるまい? 人を救うのに小難しいことを考える暇などあるものかよ。武が心のうちに有ろうと無かろうと、人を救うものは人を救うのだ。では、悪を為す者は武を学んでいないと? そういった者に中途半端に自分を過信したバカが多いという報道は、いい加減聞き飽きたがな?」
ちょんちょんと、床に広がるスポーツ紙を指さす。
ラーメン店で酔って暴れた容疑者がどこかの小さなジム所属のボクサーだった、という記事だ。
似たようなことはどこにでもある。
格闘系の人間だけでなく、スポーツ選手や、芸能人、政治家に、教員、医療職、経営者。
何らかの力を得て、自分を律する必要のある人間がそれを保てず、崩れていく。
暴力、薬、贈賄、嫉妬、好色、虚勢。
「力を得、それを正しくふるう先を見失った。その者の行き先など、畜生道よ。それがたやすく手に入るのがいまこの世だろう? 純粋な武の力なのか、金の力か、声高に叫ぶ人たらしの力か。遣うな、とは言わん。だが、自分の仕出かした事に責任は取らねばならん。だが、殆ど全ての者がその覚悟もなく、それでどこかで間違うまでは、決して気づかんのだ、人というのは」
その崩れた者へと、さらに世の中の関係のない人間が興味本位の罵声を浴びせるわけだ。
自身を御しきれていないにもかかわらず、急に与えられた力に酔いしれて。
SNSという不確かなそれがあまりにも大きな力だと知らずに、それを使う者の心が追いついていないということに、ようやく皆が気付きだしたのは、おそらく成長ではなく、失敗からの学びだったようにも思える。
自嘲気味につぶやく定良。
「そういう経験がお有りで?」
「クカカカ! まあな! 義理の父に四方から鉛玉をしこたまに浴びせられてなぁ!! 下に就く皆のためにと走って走って走りぬけば、それが恐れと嫉妬に変わったのよ。俺はどこかで立ち止まって皆の顔を見るべきだったのだ。ただ、敵を斬り、敵を屠り、敵を踏みつけて真っ直ぐに進めば良いと思い込んでいた。独りよがりの猪一匹を縊り殺せば、多くの者が心安らかに、と思われたのだ。思えば義父殿も損な役回りをさせられたものよ。義息殺しなど、名分も悪くなっただろうに」
「その言いようからすると恨んでおられるとばかり思っていましたが。そうではないのですかね」
「恨もうにもそれをやった者は墓の下ではな! いまさらどうにもならん。墓を荒らすような趣味もない。むしろ事態をそこまで追い込んだ当時の自分の立ち振る舞いを悔やむがな。調子に乗ってバカをした、それがたった一つの事実ということよ!」
ちょうど空になった定良のタンブラーに酒を注ぐ。
とくとくと、溢れるくらいになみなみとだ。
「すみませんね。色気のないおっさんの酌で。いつもは藤堂さんとかからでしょう?」
「カカカッ! まったくだ! だが、あいつにこんな無粋で無様な話もできんしな。この場はお前のような男の方がいい」
「ははは。そうですか」
すっかり機嫌は直ったようだ。
これでどうにか本山の仕事はコンプリートなのだが、まだ付き合う必要があるだろう。
それに、自分のタンブラーの酒も勿体無い。
ウイスキーの瓶を見ればアイリッシュウィスキーの有名どころ。お値段もそこそこするそうは手の出ないクラスの酒。
「だからこそ、『騎士』殿には会っておきたいのだ。俺がまた、どこかで踏み外すのなら、その前に立ちふさがるのはあの男が良い。いや、あの『光速の騎士』でなくてはならんのだ」
「ご執心ですね。ですが、逆に彼が踏み外すこともあるのでは?」
「……大丈夫だろうさ。あの男、『光速の騎士』は踏み外したものの末路を知っている。その後味の悪さも、その憤りも。どこでなのかは俺の知るところではないが、な?」
「ふむ……。確かに、うら若い乙女と話すことではないですね」
ふう、とアルコール臭のする息を吐くと、本山は首を締めるネクタイに手を伸ばす。
座布団の上で正座していた足も一緒に崩す。
「おお、飲むか、本山!」
「ええ、なんとなくですが。何故かしっかりと飲みたくなりましたからね」
ふふ、と笑い本山は立ち上がる。
定良はつまみを必要としないが自分は空酒となると悪酔いしそうだ。
部屋の隅にある棚にはいくつかの乾き物も準備してある。
それを持って来よう。
まだ日も高いが、たまにはいいではないか。
こういう美味い酒を飲める機会など、人生そうそうないだろうから。
酒とは味でも、希少性でも、値段でもない。
どういうときに、どんな相手と、どんな話をしたか。
それが酒の総てなのだから。




