1-1 索敵 のち 辯解
薄暗い森の中で、息を潜め身を屈める。
可能な限り気配を消し、ここまで移動した痕跡を入念に消し去る。
森林迷彩の野戦服は吹き出る汗と泥と草木の汁を吸い、顔を顰めざるをえない匂いになっている。
腕をまくり、時計を確認。
時刻は午前九時五十七分。
定刻まではあと三分を切った。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
緊張のため、荒くなった息を整えようと、胸を手で押さえる。
分厚いグローブ越しにもばくばくと跳ねる心臓の鼓動が感じられそうだった。
模擬戦用のペイント銃をしっかりと握りしめ、今か今かとその時を待つ。
この森に潜んでから何度目になるかわからない時刻確認。
もう一度、腕時計を確認。
時刻は九時五十九分。
デジタルではない文字盤のアナログ時計の秒針が、ゆっくりと九、十、十一と動く。
「三、二、一、ゼロ」
……ゥゥウワァァァァァァァン……!!
つぶやくと同時に、サイレンの音が鳴る。
訓練開始の合図。
今回は広大な山林を舞台にした訓練である。
勝利条件は敵味方に分かれ、敵の全メンバーの撃破。敗北条件は自分の所属部隊の全滅。
設定時間は二時間とし、終了時刻の正午十二時を以て生き残りが多い側の勝利とする。
いたってシンプルな条件設定であるが、但し書きとしてある条件下で行われることとなっている。
こちらは全二十名での参加、そして敵側の人員は一名である。
さらに二十名は訓練スタートの一時間前にフィールドへと入場し、潜伏。相互連絡のための通信機の使用も許可される。
敵側の人員は訓練開始と同時にフィールドへと入場し、索敵を開始する。
(舐めんなよ、って話だが。……正直、どんなもんだ?)
迷彩用のペイントで塗りたくった顔で、地面に伏せて様子を伺う。
草木が風でこすれる音、地面から伝わるかもしれない敵の移動時の振動。
少しでもその兆候を逃すまいと気を張る。
いつもの訓練相手とは違うとはいえ、大きなくくりで言えば“同類”と判断される今回の敵役。
その彼についてきた向こう側の部隊の面々が、何かこちらに言いたげにしていたのが気にかかる。
まずは実際に経験を、と向こうの調整役から話があり、敵役の彼と初対面の自分たちだけでまずは訓練することになった。
そこで準備中の自分たちを、どこか不安げに見つめていたのが、向こうの面々。
いや、あの顔に浮かんでいたのは不安だったのだろうか。
あれは、むしろ……。
(いや、集中しろ! 集中だ!)
一人でいると余計なことを考えてしまう。
ふるふると頭を振り、銃をしっかりと構える。
侵入してくるはずの方向へと銃口を向けて、集中を高める。自分がいま隠れたこのポイントの前にもいくつか迎撃の人員を配置してある。
何かしらの動きがあれば、そこから物音が聞こえてくるはずなのだ。
そう考え、気合を入れなおした、その瞬間だった。
どさっ!
「なっ!?」
低木と低木の間に隠れていた自分の前に、その敵役が降ってきた。初めて見る、ダークグリーンベースの配色の森林迷彩。
腹這いでいたため、構えていた銃が降ってきた敵役に向いていない。
「くそ!?」
銃口を向けようとしたそのペイント銃を、彼が踏みつける。
「がっ!」
軽く踏みつけられたように見えたのに、持ち上げようとしたそれがびくともしない。
即座にあきらめ、その場から離脱しようと、体を起こした瞬間、彼の右腕が伸びてくる。
ぎしっ……!
片手で顔面をつかまれ、口元を覆われた。
言葉を発するどころか、息もできないような万力で掴まれ、目を白黒させる。
「ん、…んぅんーー!?」
その中で、敵役は冷静に左手をそっ、と首元へと添える。
次の瞬間、何も持っていなかったその手の中に刃部分が給水スポンジ製のべったりと蛍光ピンクの塗料の染みた模擬ナイフが現れた。
そして、それで軽く首をぽんとたたいて蛍光ピンクのビビットなマーキングを完了した。
「あ、ご苦労様です。とりあえず、一人目ってことで」
「あ、あああ……」
顔面を掴んでいた手を外すと、地面に転がったペイント銃を肩に担いで立ち上がる。
開始時点よりまだ三分と経ってはいない。
「……あと十九人か。散らばりすぎなんだよなぁ。まあ、地道に一か所ずつ潰していくしかないよな」
首を傾げてごきり、と鳴らす。
悠然と脱落者を見ることなくそうぼやく敵役の男。
ダークグリーンの森林塗装された白石特殊鋼材研究所謹製のVer3.0のスタンダードモデルを着込んだ「光速の騎士」こと、杉山茂だ。
「よし、やるか!」
気合を入れると、「騎士」はその場で垂直に飛び上がり、近くの高木へと消えていった。
「……くそ、やっぱりそうか。そうだったか」
ははは、と乾いた声で自分を笑う。
あの準備中に向けられた視線。
あれは不安ではない。
ただ単純に、同情していたのだろう。
きっと、こうなるだろうということに。
同病相憐れむ、そういうことだ。
「そうだな、やっぱり。やっぱりアレは。うちのアレとおんなじだったか」
うちのアレ。
あのアルコール中毒のシャレコウベ。アレと訓練した時と同じような結果になるのだろう。
(まあ、うちの老翁よりはマシだったか。お疲れ様です、か。こっちは、手加減なしでボコボコだからな)
大の字になって空を見上げる男。
遠くから風に流れて小さく悲鳴が聞こえてきた気がした。
(空は、青いなぁ)
もうやることはない。
訓練終了まではこのまま空を眺めていたい気分だった。
「ふぅ……! 疲れた! キツイ! 暑い!」
「はは、お疲れのようですね」
ぽい、と投げてよこされた紙パックのオレンジジュース。
片手で受け取り、ぺりぺりと備え付けのストローの包装を破って、てっぺんの差込口に突き刺す。
ピエロマスクの下にストローを動かして、上手にそれを口元に運ぶ。
ちゅぅ、とジュースでのどの渇きを癒す。
訓練が終了し、「光速の騎士」専用鎧Ver3.0が分析のために回収されていった。そのせいで、茂の今の姿はジャージ姿の頭だけピエロという素っ頓狂な姿である。
水分補給をしながら、休憩用に設置されたテントの中から、この炎天下の中で訓示を受けている蛍光塗料まみれの皆様を眺める。
「……大変そうですねぇ。本当に華を持たせなくてもよかったんですか?」
隣でこちらはリンゴジュースを飲んでいる門倉に質問する。
「ええ。向こうからも手を抜かずにお願いしたいと伺っております。やはり、実践的かつ実戦的な経験こそが訓練には必要不可欠ということでしょうね」
「まあ役に立つんならいいですけど」
昔は自分もああやって先輩の兵士の訓示を聞いていたなぁ、と懐かしく思う。
訓練と実戦を繰り返し、そうやって兵士は磨き抜かれていくのであろう。
まあ、実質三年間しか勤務していないぺーぺーが何を言っているのかと思うところはあるが。
「それで、どうでしたか?」
「ん? 向こうの人たちの状況ってことですよね? まあ、そうですね」
茂は飲み干した紙パックを丁寧に折りたたむと、近くのごみ箱に投げ入れる。
首をかしげ、ふぅむ、と悩む姿を見せる。
「まあ、向こうには『骸骨武者』の定良さんがいますしね。その分、特異能力者への対策はしっかりしていたかなぁ、と。ただ、終わった後で話聞いた感じだと結構、定良さんって小細工とかは嫌いで、真正面から強引に突っ込んでいく人らしく」
「ほう?」
「こっそり後ろから、とかどこかに隠れて、とかフェイントをとかはしなかったみたいですね。俺に複数で囲まれないように端から順に潰していくって形をとられて戸惑ったみたいで」
「なるほど……」
自分たちは逆に「光速の騎士」が極力被害を出さず、言い方が正しいかは解らないが“効率的に”敵を排除する方法で立ち回るからなのか、そのような手段への対策・方針に慣れているのかもしれない。
訓練は最終的に十分に時間を使い、一時間半で終了し。結果は言うまでもないが「光速の騎士」の勝利で幕を閉じた。
向こうから出てくるだろう今回のレポートはまた読ませてもらうが、そのような対応は想定外だったのだろう。
つまり、特異な能力を持つ超人的戦力の個人が、その能力にかまけることなく、現実的な方法で戦力の分断・削減・排除をくりかえす消耗戦を仕掛けてくることはあまりなかったのではないか。
確かに必要であれば「光速の騎士」もごり押しで場を切り抜ける事もある。ただ、それはあくまでも必要に駆られてであり、基本姿勢は徹底した合理主義・そして省エネ主義であると門倉は分析している。
自身をある程度特殊であると認識してはいても、集団に埋没することを厭わない。
どうしてもやらにゃあならんのならやりますが、ほかでできるならそれでいきましょう、と。
(ある程度の優位性を示していても、自らのその力に溺れることがない。チームとしての運用が重要であることを認識している。……確かに、こちらとしてはありがたいといえばありがたいが)
だが、それにしても自己評価が低い、と門倉は考える。
謙遜は過ぎれば侮辱や怠慢にもつながるのであるが、そのような気配はない。
過剰に卑屈になるわけでもなく、では逆に天狗になるかといえばそんな風でもない。
自分のできる範囲をキチンと正しく評価したうえで、それでいて他者からの評価との乖離が大きいのだ。
小さくコンパクトに手の届く範囲で収まる世界で生きていく。
そう本人が望むのであれば、問題ないステータス。
だが、本人が望む物以上の無理難題を現実は要求し、それに対しても杉山茂はその要求値を超えていくことができてしまう。
「でもまあ、次には向こうの人も対応できるようにしてくるでしょう。こういうケースもあるってのは経験として大切なんじゃないですかね」
茂がそう感想を述べる。
そしてちょっとトイレ、と足早にその場を離れていく。
そのどこにでもいる普通の青年と変わらない、そんな彼の後ろ姿を見て門倉は思う。
彼を本当にこのまま自分たちの、いや世界の都合に付き合わせていいのだろうか、と。
ただ、巻き込まれてしまっただけの彼を。
(年を取れば誰しも薄汚れていくものだ。だが、今さらそんなことを思うとはな……)
願えども、望もうとも届かない。
それは事実としてある。
だが、それを得た者がそれを願ったのか、望んだのか。
田を耕していた農夫が、望まず連れられた戦場で望外の戦果を挙げ、鬼神と呼ばれることとなる。彼の農夫は鬼神となりたかっただろうか。
ただ、稲穂が頭を垂れ、ずっしりと実るその恵みを友と、父母と、妻と、子と喜びたかったのではないか。
だが、農夫はもう、そうは成らぬし、成れぬ。
世界が、それを許さない。歴史という、残酷な事実が証明している。
門倉は知っている。
杉山茂はただの農夫と成りたいのだということを。
田に手を入れ、草を毟り、虫を除け、そして少しでも大きな収穫を天に祈る。
誰もが歩むその実直で、恥じることないそんな道こそが彼の望みで、幸福なのだということを。
分不相応な大きな野望を叫ぶではなく、分相応な小さな実績を積み上げる。
それが、彼を幸せに、穏やかに生かせるのに。
(我々は、本当に恥知らずなのだ。恥じることすらなく、ただ求めるだけで)
罪悪感なのだろう。
ちくちくと心を苛むこの痛みは。
間に合うかもしれない、間に合わないかもしれない。
結果はどうなるかわからない。もしかしたら彼を穏やかな農夫とすることもできる可能性はある。
だが、行動には移せない。
求めたのだ。
杉山茂という個人ではなく、象徴としての「光速の騎士」を。彼の願いなど一顧だにせずに。
門倉が、ではなく皆がだ。そして、「騎士」を求めた全員が罪人であり、恥ずべき者であるという事実に誰一人として気づいていない。
だから、我々皆が犯した罪をどう呼べばいいいだろうか。
昔から、そんなときの都合のいい言葉がある。
「必要悪、か」
犯した悪以上の悪の芽をつぶすためならば、それ以上の利を世界に供せるのならば。
罪を覆い隠すための、そんな都合のいい言い訳。
つぶやいた口に残るのは、甘いジュースを飲んだばかりだというのに、砂を噛んだようなそんな苦みだけだ。
門倉もまた空になった紙パックを握りつぶし、ごみ箱に放り投げて自分の仕事に戻るのだった。




