1-0-裏 晴天 のち 再起
ぼんやりと空を眺める。
青空に所々浮かんでいる雲。
上空は風が強いのだろう。雲が徐々に崩れ、薄くたなびいている。
「ああ、いい天気だねぇ……」
頭からスポーツタオルを被り、顔が影になっていた男。
タープの陰にレジャーシートを敷き、足を投げ出して休息している。
綿パンと前を開いたチェックのシャツ。麻地のTシャツがそこから覗いている。
タープの端に置かれているクーラーボックスに一匹、綺麗な青い羽根の蝶が止まっていた。
穏やかな天気で、風もやわやわと体を撫ぜる。
遠くから小さく野鳥の鳴く音も聞こえてくる。
一瞬強く風が吹き、それに耐えきれなかった蝶が空へと飛んでいく。
時間だけが穏やかに、ゆっくりと流れていた。
周囲には半分朽ちかけたコンクリート製の建物。もともとが何だったのかがわからないほど崩れ、ツタが半分ほどその外観を侵食している。
周囲も林に囲まれた街中の喧騒とは完全に断絶したその場所。
「何をやっているのですか。一人で黄昏てないで、参加するべきでは?」
「……人は何故、働くのか。ただ穏やかに風を感じていればそれで十分だというのに」
後ろから掛けられた声にそう答える。
両腕を天高くひろげ、舞台俳優のように大仰なしぐさで。
哲学のようでもあり、怠惰を肯定する言い訳にも聞こえる。
そんなことをのたまう彼が、そういった仰々しい様を見せるときは大抵、人をからかっているかバカにしているかのどちらかだ。
「それだけでは必要なものが何一つ手に入らないからですかね? そんな生活をしていいのは十分に貯金のある年金生活者か、親が金持ちの場合だけです。飯・服・家・女。あなた、このうち一つでも欠けて生きていけると?」
「世知辛いな。俺にはあと、酒も必要だな。まあ、金が無けりゃ夢も語れんってのが人生だが」
よっ、と疲れた感じで男が体を起こす。
尻についた細かな砂を払うと、声を掛けてきた女に顔を向ける。
「それで? あのバカ二人の消息は?」
氷と水の入ったクーラーボックスを開け、よく冷えた缶ビールを二本取り出す。
目の前の女に、要るかい、と目線で問うと不要だ、と首を振られた。
一本、クーラーボックスへと戻し、缶ビールを開け、口を付ける。
ごっ、ごっ、と喉を鳴らして一気に飲み干し空き缶の入った袋へと、空の缶を放り投げる。
「あの映像からするに、まず十中八九あの「鎧姿」の女性はマユミです。ただ、マサキに関しては全く情報が出て来ません。我々の日本での諜報能力はそこまで高くは有りませんから」
「腹にはきっちりぶち込まれている。……ひょっとすると死んだか?」
まるで何気ない風に、腹が減ったな、というような日常会話のような物騒なセリフにも女が顔色を変えることはなかった。
「可能性としてはゼロとは言えません。ですが、マユミが『光速の騎士』勢力の庇護下で健在である以上、マサキも同時に回収されたと考えるのが自然でしょう。警察の発表でも死体の発見報告はありませんでした。傷の回復に時間がかかっているのでは?」
返答に男がちっちっ、と指を振る。
「回収先が『騎士』ならば、不可思議な回復手段があるはずだ。どの程度までそれが有用かはさておいて試してみない手はないだろう。そうなれば、まずはマサキが出張るはずだ。それがないということが、少なくとも『騎士』の元に十分に動ける状態のマサキがいない、ということになる。……『騎士』のシンパの白石にマユミが身を寄せているのは確実。マユミがそこにいて、マサキの動きがわからないのは、嫌な感じだな。死んだ、というのは早計だが」
「先日、『女禍黄土』のクジョーより連絡がありました。お怪我はあれからどうなりましたか、とほざいていますが。こちらを探ろうとしているのでしょう」
「ほぅ……?」
頭から覆ったタオルで、ビールで汚れた口元をぬぐう。
「我々は関与する気はない、勝手にしてくれ、と」
「クジョーか……。どこまでも外野で眺める気か。しかも、怪我の具合は、だと? わかっていてやっているからな、気分が悪い」
そうは言いながらふふふ、と口元に笑みがこぼれる。
手入れをしていないのか、無精ひげが顎全体を覆っている。
「しかも、その言い分だと奴らも決して一枚岩ではないな。仲たがいというよりどこがイニシアチブをとるかの真っ最中といったところだな。まあ、奴らの思惑など我々の知ったことではないが」
「ええ、そうですね」
……どぉぉぉぉん!!
女が頷くと、遠くからの大きな音と、遅れて軽く地面が揺れる振動が届いた。
二人がその音のした方角を見ていると、
遠くで土煙が舞い上がる。
「せいぜい利用させてもらおう。我々もようやく“戻った”ところだからな」
「ええ、万全に。……そうであればそのように腑抜ける暇はないはずでしょう?」
ふ、と笑みを浮かべて口元をぬぐったタオルをレジャーシートに放る。
無精ひげに加え、目を覆うくらいまでに伸び放題になった髪。
あまり清潔には見えない風貌の男が、タープの陰から出ていく。
地響きがした方へと歩みを進めると、うっそうとした林の向こうから別の男がこちらへと歩いてくる。
その後ろには野戦服姿の男たちが数名続く。
「調子はいかがです?」
歩いてくる男に声をかける。
こんなうっそうとした山の中。いい方は悪いが廃れた集落の廃墟のような場所に、ぴしっとしたスーツにジャケット、革靴にサングラス。
場所に不似合いな男は、掛けていたサングラスを外し、答える。
「問題ない。以前と同じ。いや、気合を入れなおした分、上々の仕上がりだ」
「そうですか。それは重畳……」
サングラスを外した男、アキトシ・サーフィス・ガルシアは、目の前の畏まる男に尋ねる。
「私よりお前はどうだ?」
「ふふ、私ですか?」
すぅ、と場の空気に緊張が走る。
伸び放題の前髪の向こうで、目だけがきらりと光った。
ゆっくりと腕を上げ、少し離れた一本の木にそれを向ける。高さ八メートルほどの杉の木。
アキトシがそこへと目線を動かす。
めき、めきっ!
ごぎぎぎぎぎぃぃっ!!
杉の樹皮に罅が走ったかと思うと、その一点を中心に歪みが生じる。
歪みが広がっていくたびに、幹が悲鳴を上げて削れて行く。
ほんの数秒、それが続いたところで音が止まる。
ぐら、と杉が傾いて倒れる。
ずずうんっ!!
ちょうど、アキトシと男の間に杉の木が倒れてきた。
衝撃で土煙が巻き上がり、強い風が吹く。それにアキトシがサングラスを身に着ける。
後ろに控える男たちは、その行為に持っていた銃を男へと向ける。
それを気にするでもなく、逆側の男は風で巻き上がった髪をかき上げ、隠れていた顔を露わにした。
ゆっくりと目を開く。
三白眼の鋭い目が、正面からアキトシを見つめている。
「そちらも問題はないようだな」
「ええ、絶好調というやつです」
綿パンのポケットからピルケースを取り出し、そこからカプセルを口に放る。
水も飲まずにそれを飲み込むと、にたりと笑う。
その様が、まるで獲物を飲み込む蛇のようだ、とアキトシは感じた。
「借りは返しに行きましょう。貸した相手が忘れる前に、ね?」
かき上げた髪を撫でつけ、オールバックに整えた男、ケンショウ・ガルシアが向けられた相手をぞっ、とさせるような笑みを深く顔に刻んだ。




