9-1 摩天楼 のち 夜食
「おおおぉぉ……。ちょ、超高級マンション……」
唸るような声色で茂が感嘆の声をあげる。
入り口には監視カメラと部屋番号呼び出し式の開閉ドアが設置されており、下々の世界とそれ以外のセレブリティの世界とを隔絶していた。
「……お前、恵まれてんじゃん。何、この特別扱いは?」
「……一応虜囚の身のはずなんだけど」
茂の茶々にマユミが素で答える。
ぴぴっ……!
「では、どうぞ」
先導する門倉が入り口で認証作業を確認すると、電子音がして自動ドアが開く。
茂には何故かそのドアの内と外とで空気が違う気がした。
いや、違いなどあるわけもないのだが。
自動ドアを抜けると、通路に沿って横に曲がる。
その時にホテルフロントのようなスペースを通り過ぎる。
あれはうわさに聞く、コンシェルジュという人だろうか。
さらに移動途中に視線をずらすと、おそらく中央部に居住者専用の中庭があるようであった。
夜間では見難くなっているはずなのに、間接照明がライトアップして逆に趣深い光景を演出している。
「……せ、せれぶりてぃ……」
「……お金ってあるところにはあるのよねぇ」
まだ1階のエレベーターホールに着いただけだというのにその威容に圧倒される茂・マユミ。
一方で何でもないように門倉はエレベータを呼び出し、そのまま乗り込む。
「閉まりますよ。お早く」
「あ、はいはい!」
茂たちが大急ぎで乗り込むと、エレベータが音もなく動き始める。
茂の知る、各階でがたんがたんと軽い音の出るやつではない。
これは最新の商業施設とかに設置されているお高いエレベータだ。
(……すげえこの場にいるのが違う気がする。……俺の場違い感、半端ないなマジで)
じぶんの着ているそこら辺の量販店で買ったシャツに、着古したジーンズを見下ろす。
すごく、すごく場違いな気がする。
そんなことを思っていると音もなくエレベータが目的階に到着する。
開いた瞬間、ドアがあった。
「え?」
周りを見渡しても、そのドア以外のドアが無い。
素っ頓狂な声を茂があげるのも無理はないだろう。
茂とマユミが降りてから門倉が降りる。
そのまま彼らを追い抜くと、この階に"一つしかない"ドアへと向かい、カードタイプのキーをドアのスロットに差し込む。
ドアノブの上に光る小さなランプがオレンジから緑へ変わり、かちゃんと小さくロックが外れた音がした。
「どうぞ、杉山さん。……どうしてそこで止まっているんですか?」
門倉は「自宅」のドアの前でフリーズしている茂と、若干呆れたような表情のマユミ。
「……これが、金持ちの余裕かぁ……。すげぇ、すげぇなぁ」
「一旦持ってしまった人間って、持ってない人間のこと、わからなくなるものなのよね……」
門倉がマユミを保護する目的で準備した「自宅」。
それは全30階建て、超高級マンションの1フロアぶち抜きの、セキュリティはばっちりという高級物件だった。
「……俺、ここにいるだけで頭痛くなってきた」
「……そういうこと言わないで。私、これからここに住むんだから」
人間分相応な生き方というものがある。
間違いなく、茂もマユミもこのような住宅にはご縁の無い、生活をしてきたわけで。
「なんだろ。こういうデカイ家って無駄だなぁ、って思うのは貧乏性だからかな」
「多分、これを普通って思う人とは生活圏が違うのよ、きっと」
杉山茂、マユミ・ガルシア。
両名共に、高級住宅には興味の無い人種であった。
「嘘じゃん。隣の市の夜景までめっちゃ見えるし」
案内されたダイニングからは一面に広がる市内の夜景が目に飛び込んでくる。
周辺には高い建物もなく、遠くの山並みまでくっきりはっきり見える。
「強化ガラスの強度は万全を期して準備しました。たとえ狙撃されたとしても、防弾・対衝撃に特化していますので十分な防御をお約束します」
「そ、狙撃っすか?」
呆れ混じりの声が茂から漏れる。
「この家、私の自宅兼マユミ・ガルシアの保護施設、並びに非常用セーフハウスのコンセプトは可能な限り厳重なセキュリティを追求しています。周辺1キロ以内でこの部屋を直接狙える建造物はピックアップ済みです。緊急通報から8分以内に完全装備の部隊をこのマンション周辺に展開できるように準備も完了しました」
「お、おおぅ……。えげつない……」
引き気味になった茂を置いてけぼりにする形で門倉がテーブルへと向かう。
するとそこには、"4人分"の食器類が整えられており、スパークリングワインも氷入りの容器の中で冷やされ、準備万端になっている。
(?4人分?)
茂は指折り数える。
自分、マユミ、門倉、それで総計3名。
テーブルには4名分の食器とグラスは3つ。
未成年のマユミは飲まないとすれば、グラスは2つでいいはずだ。
かちゃん
そんなことを思った茂の耳にドアノブが回される音が聞こえた。
外のドアが開き、ぱたぱたと小走りに掛けてくる足音。
体重の軽い、女性の足音だ。
「あらあら、もう少し遅くなるんじゃないかと思ってたのに」
「すまん。話が思ったより早く終わったのでな」
部屋の中に入ってきたのは年若い、金髪ソバージュの女性。
純粋な日本人ではなく、ハーフかクウォーターか。
瞳が緑がかって、肌質も若干日本人にしては白い。
その彼女と門倉が親しげに話をしている。
門倉はソバージュの女性からスーパーの袋を受け取り、それをキッチンまで運ぶ。
取り残されたのは茂と、そのソバージュの女性である、
マユミはいつの間にかテレビ前のソファに座って、刑事ものの連ドラを興味なさげに見ていた。
「どうも、初めまして」
「あ、ああ!初めまして!こんな夜分にすいません」
ソバージュの女性はにっこりと笑って手を出してきたので、茂は何も考えずに思わずその手を握り返した。
そして軽くその手を握り、愛想笑いを顔に張りつけようと思った瞬間である。
ぐりっ……!
ダンッ!!
手を捩じられて、膝が抜けるような感覚を覚えた。
恐らく合気などに系統付られるタイプの奇襲に、身体が自然と動き、容赦ない反撃体勢に入ってしまう。
女性の身体が、床へと崩れるように沈み、彼女の膝とぶつかったフローリングの板が軋む。
咄嗟に掴まれていた手を逆に捩じり返し、そのまま手加減できずに相手を床へと落としてしまったのだ。
身体のコントロールを無意識下から取り戻した時には、ソバージュの女性の顔面3センチで茂の握りこぶしが辛うじて止まっているという状況だった。
「おおっ!?」
襲われた側の茂が、非常に慌てている状況で周りの門倉やマユミへ目線を交互にやる。
これは、一体どういうことなのかと。
「……反応するんだ。私は思い切り膝、やられたんだけど」
「体術関連ではウチの連中でもトップクラスの成績なんだが……。やはり技術だけでは足りないか」
「はいぃぃぃ?」
いきなりの“御挨拶”であるというのにマユミも門倉もさほど動揺した風情ではない。
疑問符を浮かべたまま、握手したままの相手を見返す茂。
正直な話として、握手したままのこの状態であればある程度無茶な動きをソバージュの女性がしたとしても、問題なく対応できると判断したからだ。
「いっっ……たぁ。やっぱ本物は一味違うわ!すごいじゃない!!「光速の騎士」!!」
「そんな彼を試すようなことをして……。止めておけとあれだけ言ったじゃあないか。本物だといっただろうに。……杉山さん、不肖の娘が申し訳ない」
「お?おお?門倉さん!?は!?なんで俺、襲われんの!?……娘?娘ェ!?」
ぶんぶんと首を門倉、金髪、門倉、金髪と振って顔を見る。
(で、でも!門倉さんの娘?……何で、それに俺が襲われんの!?え、何か変な事したかっ!?)
「な、何がどういうわけでこうなってるの!?」
疑問は尽きないが、茂以外の皆は笑い出す。
それに不安そうな表情でたたずむ、おそらくスペック上ではこの場で最も強い男が一人取り残されていた。
テーブルの上には、ほんのりと温かい皿の上に、今焼きあがったばかりのハンバーグステーキが乗せられている。
付け合せにフレンチフライとゆでたブロッコリー、見た目から出来合いのポテサラが乗っている。
外の光景は夜も更け、更に鮮やかな夜景が一面に広がっている。
ワイングラスには、門倉の手でどこかのワインがとくとくと注がれていく。
エチケットに明記されたスペルは無知な茂には読み解くことができなかった。ただし、少し古びている様子からして1本1,000円のボトルワインをちびちび飲る茂には縁遠いものであることだけははっきりとわかった。
小さいサラダ用の皿に盛られたレタスを中心としたサラダ類も、市販のドレッシングボトルから直にぶっかける茂とは違って、それ用の器からスプーンですくって掛けるスタイルだ。
なんというか、非常に優雅なお食事会であった。
「では、まずは乾杯ということで」
着座した門倉が、グラスを手に取り掲げる。
この場に不釣り合いなのを十二分に感じながら茂もグラスを手に取り、マユミは100%のオレンジジュースを。門倉の娘と名乗った女性、エレーナもワインを掲げた。
「乾杯」「「「乾杯」」」
かちん、かちん。
軽く打ち鳴らし乾杯を終えて、門倉がぐいとワインに口をつける。
それを見て茂も一口、ワインを口に含んだ。
(……すげえ申し訳ないんだが、俺ワインの良し悪しなんてわかんないんだよねー。……口当たりはいいし飲みやすい。後味もいいなーとは思うけど……。これは“おいしい”でいいんだろうか?)
先ほども言ったが茂は1000円のボトルワインで十分に満足できる男である。
何ならそのいつも購入する1000円の横に、特売のプライベートブランドで780円の物があればエチケットすら見ずに買い物かごに放り込むと言えば、ワインというものに対する茂のレベルがわかるだろう。
そういうわけで、それがどんなレベルのワインなのかをわからないままグラスを空にするという暴挙を実施していたりする。
だからこそ肉に行く。
まだそっちの方がわかる気がしたからだ。
ナイフとフォークを取って皿の上のハンバーグを一切れ切り取り、口へと運ぶ。
じゅわ、と広がる肉の脂とほんの少しだけ残る玉ねぎが甘みをプラスする。
表面は少し強めの焼き色をしていたので火が通り過ぎてぼそぼそになっているかもと少し不安を抱いてはいたが、そういうことはなさそうである。
猛と夕食を軽く済ませていると事前に伝えてはあったのだが、せっかくなのでとご相伴にあずかることとなった。
少し重いかとも思ったが、まあ飲みの二次会と考えれば若い茂には問題ない量ではある。
フォークでブロッコリーを刺して、傘にハンバーグの甘目のソースと肉汁を吸わせ、口に運ぶ。
しゃくしゃく、ぷちぷちとした食感と、独特の青臭さ、それにソースと肉汁が加わって、おいしさは増す。
ドレッシングなどでもいいのだが、こういう皿は最後に綺麗になると嬉しい性質の茂はソースを付け合せに吸わせるのが好きだ。
「それで、マユミはここで生活するってことになるんですか?」
全員がグラスを置き、皿に手を伸ばしているのを確認して茂が尋ねる。
かち、とカトラリーを皿に乗せて、グラスを手に取り門倉が答える。
「はい。可能な限りのセキュリティ、そして杉山さんの援助を必要とした際にはすぐに駆けつけていただける範囲での住居となりますと選択肢はあまりないもので。とはいえ、元々はこういった用途ではなく、雄吾様の別邸として準備していた部屋なのですが」
「こんな高い物件を別邸にですか……」
地方都市とはいえ、これだけの設備の整った住居。
不躾とは思ったし、答えてくれるとは思わなかったので、一応家賃なんぞを聞いてみたら門倉が何でもないような顔でトンデモな金額をさらりと言ってくれた。
度肝を抜かれた茂に、門倉が都心ではこの数倍はしますので、と言われる。
信じられない世界だ。
決して踏み入れられない壁を感じた瞬間であった。
「皆さんが“向こう”から戻られたタイミングで、こちらに拠点を置く選択肢ができましたので。その際の雄吾様が滞在する住居として、これ以上ない物件でしたから。即契約したのですが、実際はそうはならなくて。まあ、無用の長物になりかけましたがこうやって活用できていますし、よろしかったのでしょう」
「そうですか……。使わないかも知れないのに、家賃払うんですか」
やはりどこか自分とは考え方のベースが違う。
コーヒーが美味いとお互いに言っているつもりでも、片方はインスタント、片方は1杯2000円の物を言っているようなものだ。
「まあ、実際に住むのは我々ですし。こちらでの連絡拠点として私と娘、そして保護対象者のマユミ。3人で生活するには十分でしょう」
ここで十分の意味を問いただしたくなったが、あえてしないことにする。
若干自分が惨めに思えるからだ。
「それで娘さん?エレーナさんも一緒に住むということになったんですか……」
優雅に自分の前の皿を片付けていく金髪の女性。
門倉の娘ということだが、正直似ていない。
アジア系の血は顔立ちに感じることはできるが、ベースはどうもヨーロッパ系である。
がっしりとした顔の骨格の門倉に比べて、目の前のエレーナはほっそりしており、目鼻立ちも似ていると無理矢理に考えなければ共通点が見つからない。
「娘と言いましても、あくまで身元を私が保証しているだけですがね。白石の海外展開の中で人道支援や教育支援も行っております。そういったサポートを経て、優秀な人材をスカウトし、現地のスタッフとして採用する。まあ、長期的な視点から見た青田買いと思っていただければ」
「多国籍企業っていうのはそういう、世間に向けたアピールが必要なんですよ。日本だと素晴らしい活動だ、偽善的だ、なんだの言われるでしょうけど、海外ではそれがスタンダード。やってないとまず真っ当な企業としての認識すらされませんから。やる・やらないではなく、やるのが前提でそのクオリティや方針で優劣を決めるんですよ」
「……そういうもんですか。と、いうか日本語お上手ですね」
「一応、日・英・露・独は問題なく。日常会話程度ならあと数か国はできます。もちろんある程度の護身術は身に着けております」
「だから、私の監視役に来たのよ」
バゲットを齧りながらマユミがジト目で門倉親子を見ている。
湿り気の強い粘っこい視線で。
ということはこのエレーナという人物は、門倉とは親子を”演じるため”の保安要員として来たということだ。
「男である私と2人で住むとなると問題も多い。……悪いが世間体もあるのでね。家族で居住しているというのであればまだ言い訳もつくだろう?それに、女性が傍にいる方が色々と問題も少ないはずだ」
「マユミ、これはあくまでこちらの厚意と考えてね。……気に入らない、って言った瞬間。私がごりごりのマッチョなお兄さんと配置転換されるって理解はしてるはずでしょう?」
茂は思う。
その監視生活は、キツイ。
間違いなく数週間以内に心が滅入るはずだ。
「…………」
「そういうわけで、ここでマユミを保護することになります。可能な限りは杉山さんにご迷惑をおかけしないように我々も最善の努力をする所存です」
「……籠の鳥なのは変わらないじゃない」
「そのペンダントトップに発信器を仕込んである。それを所持してエレーナが同行する限りは市内の移動は自由だよ。あれだけのことを仕出かしてその結果がこれであればまだ人道的配慮を感じてほしいものだが」
門倉が言う。
ちゃらりとマユミが胸元のペンダントに触れる。
デザイン性などない無骨な黒い石のペンダントトップは、発信機をかねているのだろう。
確かにこれはかなりマユミに利のある条件だと思われる。
根本には模造異能者、デミ・サイキッカーの能力の調査やその制御という一面もあるのだろうが、それよりも杉山茂というそれよりもさらに触れざる存在への配慮がうっすらと感じられた。
つまり、あれだけぶっ飛んだ騒ぎを起こした者でも、白石グループはこのレベルで受け入れると示しているわけだ。
要するに、マユミですら自分たちはこれだけの待遇で受け入れると表明した。
遠まわしな「光速の騎士」への印象操作でもある。
(まあ、そういうことなんだろうけど)
このことは茂も気づいてはいる。
このようなことは向こうの異世界で散々「勇者」御一行が受けた歓待の数々を直に見て、その説明を「軍師」からされているのだから。
経験が生かされた瞬間でもある。
(ただなぁ……。俺、このままフェードアウトしてくし。そんな配慮、要らないんだよな)
そんな独白を心でしながら、それをおそらくお高いワインで腹へと一緒に流し込んでいく。
ただただひっそりと、陽炎のように消えていく自分を想像する。
まあ、今はそんな話をするべきではないだろう。
いろいろと白石グループには世話になっているし、今このご飯をゴチになっている身分としては。
「いやぁ、この肉。美味いですねぇ」
茂にはそんなありきたりな感想しか呟くだけの気力しか残ってはいなかった。




