3.気の迷い
紅の家へ行くとまだ親父さんが仕事をしていた。儲かっているのか知らないが何十万もする熱帯魚の専門店で、俺の名前の由来になった龍魚という種類らしい。
そして紅だが、うちの母さんがメイクアップアーティストで、歌手である紅の母親の専属メイクだから化粧由来の名をつけたのだ。
いくら隣同士だからと言ってお互いの子供の名を付け合うのはどうかと思うが、娘が欲しかった母さんと、息子が欲しかった紅の親父さんとの取引によるものだと聞かされている。
初めは龍子とつけるつもりだったらしいが、紅の母親が大反対したらしく、すでに俺が腹の中にいた母さんとの話し合いで名前を交換することになった。おかげで俺は男なのに紅なんてつけられなくてホッとしている。
「おじさん、遅くまでお疲れ様です。ちょっとスタジオ借りますね」
「うんうん、さっき紅が鍵を取りに来たよ。学園祭のライブ、ボクも楽しみにしてるんだよねえ。発表会とはまた違う緊張感や楽しさがあるだろう? 龍君のお父さんも毎年参加しててカッコよかったよ」
「あ、学園祭、そうですね、もうすぐですから頑張らないと。それじゃ練習行ってきます」
微妙な受け答えしかできずにそそくさと店の中を通り過ぎた俺は、裏口から庭へ出て離れになっているスタジオへと入った。
「龍君! 来てくれてありがと! もう紅のこと嫌いになっちゃったかもって悲しくなっちゃってたの」
スタジオに入って扉を閉めた瞬間、狙い澄ましたように紅が飛びついてきた。数か月年上で姉貴ヅラしてきた紅の背を追い越してからずいぶん経つ。
こうやってすぐ近くにいるとこんなに小さかったっけ、なんて思ったりする。
「ちっさい子供じゃねえんだからそんなくっつくなよ。それよりセッションするならとっとと始めようぜ」
「もう、そんなにせかさなくてもいいじゃない。いつもはナオちゃん達がいるから甘えられないんだもの」
「なんでお前が俺に甘えたがるんだよ…… いくら猫なで声出されても言う通りにはならないぜ?」
「そんなこと思ってないわよ。たまにはいいじゃないの、昔は何度もキスしてくれてたんだし」
「ちょっ、お前さ、小学校上がる前のことをしらっと言うんじゃねえよ。そんな誤解を招く言い方して誰かに聞かれたらどうすんだ」
「誰かに聞かれたら困るの? 紅はちっとも困らないよ?」
「何言ってんだよ、お前が男女交際禁止って言ってたんじゃねえか。気にしないでいいなら俺はそのままで学園祭ライブに出られるだろ?」
「えっ!? 龍君は紅と交際したいの? そんな急に言われても心の準備が…… でも紅も龍君のこと好きだし、そこまで言うなら付き合ってあげてもいいよ?」
まったく頭がどうにかなっちまいそうだ。いつの間にか俺が告白でもしたかのように扱われている。
この文脈でどうしてそう受け取られるのかわからないが、目を閉じてこちらを見上げている紅の顔を見ているとおかしな気分になってくる。
決してめちゃ美人ってことはないかもしれないが、中学のころは男子に何度も告白されていた程度にはカワイイ。
俺がひどい扱いを受けつつも産まれてこのかたずっとつるんでいるのは、コイツに異性としての魅力を感じているからなのかと悩んだこともある。
「な、なにを言ってるんだよ。別に付き合いたいって意味で言ったんじゃねえ。女装しなくても学園祭のステージに立てるんじゃないかって言ったんだよ」
「そりゃそのままでもステージへ上がることはできるよ? でも紅たち全員停学になるかもしれないでしょ? だから打ち込みで我慢するって言ってるじゃない。停学になるよりは白けたステージにする方がマシだもん」
「白けたステージって…… お前はそんなんでいいのかよ! いつものコンクールじゃなくて学園祭のステージだぞ!? どうせやるならメン募して盛り上げられるようにすりゃいいじゃねえか!」
「紅は! 紅は龍君としたいの! なんでわかってくれないのよ!」
珍しく興奮したようなデカい声、そして泣き出す紅を見ていると理性が失われていく気がする。俺にしがみついて泣きじゃくる紅の頭を数度なでると大分落ち着いてきたようだ。
「ひっ、うっ、ひっ、龍君……」
「紅…… 俺は……」
吸い寄せられるように顔が近づいていく。なんでこいつはこんなに俺の心を揺さぶってくるのか。
「紅に恥ずかしい思いさせない? 助けてくれるの?」
「あ、ああ、大切なお前に恥をかかせられねえからな。任せろ、なんでもやってやるさ」
つい返事をしてしまったがこの状況で流されるなと言うほうが無理だ。なるようになっちまえ、俺はそんな気持ちでさらに顔を寄せた。すると――
『ピポッ』
ん? 今のは何の音だ? 一瞬で我に返って紅の表情を確認するとにこやかに笑っている。そして俺にスマホを差し出した。
「証拠、ちゃんと撮っておいたからね。龍君だいすきよ」
この手口でおとしいれられたのは何度目だろうか。邪な考えで大事なものを失った気がして我ながら情けなくなり、俺はその場にへたり込んでしまった。




