マザコンと呼ばれるほど立派でない
中学時代、私をマザコンといってからかう者がいた。やれ田村はママが大好きだ、やれママが田村の彼女だ、とか。田村が家に帰ればママ、ママと呼ぶと彼らは知っていたし、そのママが恋しくて帰るらしく思われていたゆえ、「マザコンタクト田村」の異名がついたのも自然のなりゆきだったろう。
確かに、私はママの為に帰る日が多かった。中学三年生の時、余命半年と言われたママの手伝いをしに帰った。
けれども、私はいわゆるマザコンに分類されないだろうと思う。マザコンと呼ばれるほど立派な私ではない。
母親に恋したことがない。理想の女性像であったこともない。むしろ、私は母親を嫌った。小学生だった頃、私は母親から逃げて歩いた。何事にも過干渉で、人が見ていようと構わずべたべたして来る母親がうるさい存在で仕様がなかった。脂っこい臭いが纏わりつくのではと気にかかった。思えば親不孝な、罰当たりなガキだった。母が注いでくれた愛情に報いるぐらいの「マザコン」になってやればどんなに良かったか。治らない病気だと聞いて、まず頭をよぎった考えは、私の依存すべき対象がいなくなる、孤独になってしまうと、何よりも利己的な心配をした。
母は涙を流す名人で、私が冷淡な子だと嘆いては落涙した。私は女の子の泣き顔見たさで始終いじめていたけれども、おそらく同じ心理でもって母をも「いじめ」ていたのではとさえ思う。
なにしろ母には大層な涙腺が備わっていた。父と意見が合わなければポロポロ涙をこぼしてみせた。そういう両親を持った私は、「女の泣き顔ほど美しくも強い物はない」という、およそイビツな感性を養ってしまった。母を美しいと見たのでない──母がする泣き顔が美しかった。母の顔を、私は寧ろ平凡な、どこにでもある顔のように感じた。けれど、十人並みであっても泣けば世界で一番の物に変貌する。
私は幼稚園児だった時分、よく昼寝しながら夢を見た。夢に見る一番の顔はべそをかいていた。べそをかいている顔は母のそれでなく、今、ミスタードーナツで目の前にしつつある彼女のそれだった。




