『ブレイヴイマジン』幕間 エターナル・フリーズ
自分がいつ眠ったのか、記憶はなかった。しかし再び目が覚めた瞬間、俺は全身に謎の抵抗感を感じ、咄嗟に頭の中で警鐘が鳴り響いた。頭部を、何かが覆ってるのが分かる。
(サイコドライバー……)
俺は気付き、トンネル型のヘッドギアから頭を抜く。体に抵抗感を与えていた電極を剝がしながら見ると、部屋はいつの間にか無人となっていた。
(いつの間にか?)
俺は、その言葉の内に凝縮された時間について考える。
七十日間。実に二ヶ月半近くもの間、俺は『ブレイヴイマジン』の世界に居た事になる。そう考えた時、ログアウト出来た、という安堵と、自分が不具合に悩まされている間に運営がこちらを放置していた、という状況に対する怒りが同時に込み上げてきた。そして共に、どうしようもないやるせなさも。
それは、ユリアたちが仮想上の存在だったという事を──あまりにもリアルなメタバースでつい忘れてしまう事を、まざまざと眼前に突き付けられた事による寂しさだった。しかしそう思うのは、やはり俺が、エヴァンジェリアでの最後の一日に考えていた”仮説”をまだ自分──理性なのか感情なのかは分からないが──の中から捨てきれていないという事なのかもしれない。
そっと、腕を持ち上げた。ゲーム世界での体感時間と現実の時間経過が同じだとすれば、二ヶ月以上現実の体に栄養物を取り込んでいない事になるが、異常に痩せた様子はない。それどころか、デュアルブレードを振り続けた事で付いていた筋肉が、そのままその腕には乗っていた。
俺は、跳び退くようにベッド型のインターフェースから降りた。部屋には窓がないので、今が昼なのか夜なのかは分からない。点けっ放しになっている黒田氏のPC画面に駆け寄ると、右下の時刻表示は「15:23」となっていた。
(嘘……だろう?)
まさかと思いながら日付を見ると、「12/20」となっている。俺が『ブレイヴイマジン』にログインしている間、現実世界では一分たりとも時間は経過していなかったという事だ。
有り得ない、と思いながら、俺は時刻表示を凝視する。心の中で数を数え、表示が変わるのを待つ。だが、体感で一分経っても、二分経っても、数字は一切変動しなかった。嫌な予感を覚えながらマウスを動かそうとするが、そこで次の異変を感じて俺はひやりとした。
画面上のマウスポインタが、動かない。PCの異常か、と思い辺りを見回すと、今度は壁に掛かったアナログ時計が目に入った。その秒針もまた、完全に静止していると分かった時、俺は廊下に駆け出していた。
* * *
エレベーターは使えなかった。ボタンを押しても、表示が光らないのだ。同じく止まっていたエスカレーターを駆け下り、四十九階から息を切らしながら一階まで降りた時、俺はその場にへたり込みそうになった。
人々は凍りついたように動きを止めていた。あたかも写真に撮られたように、直前まで行っていた動作の姿勢のまま、動きが完全に止まっている。転倒しかけた子供の姿が見えたが、それもまた転びかけた姿勢のまま空中で止まっており、重力すらも働いていないようだった。
「何だよ、これ……?」
呆けた声が、口から漏れ出した。ポケットからスマートフォンを取り出すが、それもまた電源が入らない。停止した時の中に、俺だけが置き去りにされたかのようだった。
「エターナル・フリーズだ」
背後から声を掛けられ、俺ははっと振り返った。そこに立っていた人影を見、俺はじりじりと後退る。
「黒田……さん?」
立っていたのは、黒田氏のようだった。だが、彼の黒いスーツの裾は燕尾服の如く長く伸び、先端が靄の如く揺らめいていた。顔には、あのヤークトのように両目を覆う仮面を着けている。だが、それは機械的なバイザーではなく、俺も知っている伝説的なアニメの敵役が被っていたマスクのように、ファッションなのでは、とすら思える造形の仮面だった。
「その名前は、正確ではない」彼は、ゆっくりと首を振った。「私はイマジン・ルーラー。『ブレイヴイマジン』のクリエイター……創造主だ」
「何を言っているんですか、あなたは……」
俺は言いかけ、口を噤む。ルーラーと名乗った黒田氏は、「ケント君」と俺の名前を呼んだ。「私は、君に謝らねばならない。君が、ヴェンジャーズから全てのフォームメダルを取り戻し、『ブレイヴイマジン』に於けるゲームとしての戦いをクリアするに至った、初めての人間だからだ」
「ルーラー……」
俺は、自然に彼をその名で呼んでいた。彼は淡々と言う。
「私は確かに、無数にある多世界の中、エヴァンジェリアに於いて神性を持ち、理を敷く事を許された神だ。しかし、理はあくまで森羅万象の運動を司る前提条件であり、それを基に動く因果律に、私は干渉し得ない。だから私は……別世界ヘルヘイムの干渉から自分の統治する世界を守るべく、我が世界の因果律に縛られていない勇者を欲したのだ」
「それって、つまり……」
「フロントワールド。ここに生きる君たちが『現実世界』と呼んでいるこの世界は、マルチバースではそう呼ばれている。この言葉もあくまで、君たちの世界の言語体系に合わせているだけだがね」
ルーラーの言葉が浸透してくるに連れ、俺は両足がわくわくと震え出すのを自覚した。まさか、と思っていた現実が形になってしまったような気分だった。夢ではないだろうか、と考え、エヴァンジェリアでの日々を思い出す。
俺はあの世界で冒険していた時、それを夢と感じはしなかった。何事も起こり得る世界の存在を、俺は受容したのではなかったのか。
「ユリアたちは……」
俺はやっとの事で、それを口に出せた。
「実在するんですね? ルーラーも、イマジンたちも……あれは、俺の脳が電気信号で見ていた幻じゃない。俺が、自分の足で訪れた世界だったんですね?」
「そう、そして魔王ディアボロスもまた、実在するのだ。私は君たちを騙し、それを倒させようとしていた」
俺は天井を見上げる。その向こうにあるサイコドライバーに意識を向け、頭の中を整理する。あれは、メタバースと接続する為のインターフェースなどではない。その錯覚を俺たち被験者に抱かせる為の、装飾品。実際は、ゲームが起動されたと思われる瞬間に、俺たちはルーラーによって異世界エヴァンジェリアに飛ばされ、自分の肉体と命で冒険していた。
自分と世界に流れる時間が、同タイミングで同時間停止したとする。その時俺たちは、時間が停止した事を証明する術はない。体験会が始まって一人ずつ案内される間に、何度もエターナル・フリーズは行われ、何人もの被験者たちが、俺がエヴァンジェリアで行ったのと同じ冒険をした。そして、俺の番が来て──。
「……俺が、初めてクリアしたって言いましたね」
それに思い至り、俺はルーラーに尋ねた。
「他の被験者たちは、どうなったんですか?」
「……皆、命を落とした。あの世界がゲームだと信じ込み、安堵した者。君と同じように、それがデスゲームだと分かっても抗いきれなかった者。絶望し、自ら命を絶った者……理を司る私に、ヘルヘイムの干渉を受ける前の世界を巻き戻す事が出来ても、他世界の物事をリセットする事は出来ない」
ルーラーは、額に人差し指の関節を当てる。
「でも、エターナル・フリーズは出来るんですよね?」
「世界にも序列がある。フロントワールドはエヴァンジェリアより下位に位置付けされるから、神の属性を持つ私のような存在であれば、こうして渡る事も出来る。しかし、やはり不可逆的な因果には、余所者が関わる事は出来ないよ」
「理というのは、一体何なんですか?」
「さっきも言った通り、世界の運行にまつわる前提条件だよ。言語体系であったり、どのような種族が存在していたり、世界の監視者がイマジン『である』事、であったりね。私がエヴァンジェリアという世界を統括するに当たって──最早、ミッドガルドなど七つの土地が『世界』ではなく『国』である事は明らかだろう──、自ら敷いたルールであれば幾らでも書き換えられる。
現実が変われば、人々の記憶も整合性を持って再構築されるから、誰も世界が変わった事など気付かない。例えば君も、仮に今までフロントワールドで生きた記憶が全て捏造されたものだったとしても、それを証明出来はしないだろう?」
「それは……そうですね」
「分かりやすい理の改変の例について、教えよう。君は他世界の住人である私と、今どうして言葉でコミュニケーションを取れている?」
ルーラーが言った時、俺は全身を稲妻で貫かれたような気がした。
そうだ……俺は、異世界の住人であるはずのユリアたちと言葉を交わした。俺たちが、日本語と呼んでいる言語で。固有名詞にも、全て現実世界、否、フロントワールドの事物の名前が付けられていた。看板や書物の文字も理解出来たし、あまりにも自然すぎて何も疑わなかった。
エヴァンジェリアが、フロントワールドのゲーム制作者によって作られた場所でないとしたら、まず不可能な事だ。それも全て、ルーラーが俺たちをエヴァンジェリアで冒険させる為、書き換えたからだという事か。
「今、エヴァンジェリアに破滅をもたらしているのはヴェンジャーズ……彼らは、エヴァンジェリアの内側から出現した存在……だから、彼らがもたらした世界の危機はリセットする事が出来る。だけど、もし他世界からの干渉が……ヘルヘイムのルーラー、魔王ディアボロスによる破滅は、ルーラーにも防げない」
フロントワールドがエヴァンジェリアの下位に位置する世界であるように、エヴァンジェリアもまたヘルヘイムの下位に位置付けられているのだろう。納得すると同時に、俺は悲しみと怒りが同時に湧いた。
「何であなたは……」
向こうの世界で死んだ──こちらの世界から、跡形もなく消えてしまった人間たちの事が脳裏を掠める。
「ガーディさんが言っていた、あなたは勇者を使い捨てたって! アポストルなんて伝承を世界に与えてまで俺たちを招喚したなら、何で最初に、本当の世界の危機が迫っている事を明かさなかったんですか! どうして俺たちが、最後の最後で絶望するような明かし方をするんです!?」
「……二千五百人の希望者の中から、私がどのようにして君たち五十人を選び出したか、分かるかい?」
ルーラーの声が、そこで悲しげなものになった。
「基準は簡単だ。このフロントワールドに対して逃避願望を抱いていた人間たち、だよ。その上で、たとえ仮想の世界だったとしても、それを救う事を”遊び”に出来た者たちだ。……滅ぼされる心配のない世界に生きながら、自ら命を空費しようとしている者たち。その命を、私は有効利用しようとした」
「そんな馬鹿な事……」
声を荒げかけたが、すぐに唇を噛んで黙り込んだ。
確かに、俺はドロップアウトを決め込んだ。報われない世界で生きる事が嫌になって、自分の内側へと逃げた。その果てに、この体験会に応募し、エヴァンジェリアで冒険する事になった。
そして俺は──日常から自分次第で、小さな奇跡を拾い上げられる事を知った。それは奇しくも、エヴァンジェリアでの冒険がなかったら気付く事すら出来なかった可能性の世界だった。
「皆……死んでしまったんですね」
「君が最後で、もう後はないんだ。正確にはもう一人、生き残りが居る。けれど彼は最後、ロゼル・ダークネスの章で失敗し、同時に世界の真実を知って絶望し──勇者から、世界の破壊者へと堕ちた」
「それが……ガーディさん?」
俺がそれを口にすると、ルーラーは一瞬口を引き結んだ。やがて、
「気付いていたんだね」
小さく、息を吐き出した。
「薄々、でしたけどね……そうか、やっぱりガーディさんは……」
「近衛公威。それが、彼の本名だ。ガーディは、恐らくこちらの世界で用いていたユーザーネームなのだろう。『近衛』のもじりなのかもしれない」
俺は顎を引いて肯く。だが彼は、決して絶望しただけではない、と思った。
ガーディさんは、ルーラーに選び出された勇者たち、フロントワールドの人間たちに犠牲を強い続けるエヴァンジェリアを滅ぼそうとして、俺以前に何人もの勇者を殺してきた。あくまでそれが、エヴァンジェリアが不可逆的に滅亡するまでの最後の犠牲である事を願って。だから、俺に対してあれ程親切にしてくれ、最後は意を決して葬り去ろうとした。
「彼は、フロントワールドの住人だ。また魔神族と契約している為、彼らの加護も受けていて私には手出しが出来ない。リセットの効果も、無論受けない。彼は、巻き戻る前の世界の記憶を、何周分も持っている」
「もしかして……エストクライス山で待ち伏せしていた時も、ユリアがイヴァルディさんたちと王宮に忍び込んだ時、それが読まれていたのも……」
「彼が既に、それを経験していたからだよ。たとえ世界がリセットされても、その記憶がない人間は同じ事を繰り返すし、世界は同じ因果律で動く。勇者である君たちが余程の行動を取らない限り、同じストーリーが展開される」
ギデルやレーナの所業に対して不快感を見せていたのも、かつて彼自身が勇者として、彼らと戦ったからかもしれない。
俺が考えていると、ルーラーが徐ろに言った。
「彼が冒険する前の世界で、ロゼル・ダークネスのメダルはギュスターヴによって奪われていた。だが彼は、それを取り戻す冒険の中、フォールン・セラフでセイバルテリオを半分壊滅させてしまった。
彼は、長いという言葉では不十分な程長い時間、命を削ってギュスターヴと戦い続け、フォームメダルを取り戻した。その直後、絶望からヘルヘイムへと逃げた。彼がフォームメダルを持っている事の辻褄合わせをする為、私は『ロゼルはいちばん最初に彼によってメダルを奪われた』という過去の改変をした。エヴァンジェリアの住人を、理解不能な事象に直面させない為に」
「因みに、彼は今……」
「生きているよ」
ルーラーは、そう断言した。
「ヴェンジャーズのプランで世界を滅ぼす事が出来なくなった以上、彼は次の計画を実行に移すだろう。私にはそこまで知る事は出来ないが……彼個人が魔神族の力を使えるからには、決して穏やかなものにはならないだろう」
「俺は……」
複雑な気持ちを抱えたまま、俺は開口した。
「ガーディさんを、倒さなければならないんですか?」
「確かに彼を放置すれば、エヴァンジェリアは滅ぶだろう。しかし、君は定められていたゴールを果たした。これ以上世界の命運を背負う事が重いのなら、私はもう強制はしない。彼がヘルヘイムに踏み込む前であれば、エヴァンジェリアの誰かに倒して貰う事も出来る」
ルーラーの台詞を聴きながら、俺は自分が揺れるのを感じた。元々、彼の世界にとって俺は無関係な人間だ。そして俺にとっても、関わる余地のなかった世界だ。失敗したら自分の命が失われるとはっきりしたからには、これ以上の危険を冒す必要はないはずだ。しかし……
「卑怯ですよ、あなたは」
俺は、そう絞り出した。
「救えるところまで世界を救った、だからもう用済み? 俺が、向こうの世界で誰とも繋がりを生まなかったとでもいうんですか。俺には、大切な人が出来ました。戦う理由も生まれた。その上で、俺がここでやめるなんて選択が出来ると、あなたは思っているんですか!」
「それはつまり」
ルーラーの目はマスクに隠れ、感情は読み取れなかった。彼の淡々とした言葉は、俺に決定的な一言を言わせるものだった。
「君は、まだ私たちの世界の為に、戦ってくれるという事かな?」
「ユリアたちの生きる場所の為です。俺は……自分の手でガーディさんを止めます」
「……ありがとう」
ルーラーは言い、そこで頭を下げた。
「身勝手な行動であった事は、反省している。君には、恨まれても仕方がない」
「確かに、俺は怖い思いも沢山したし、命の危険も感じた。この世界に慣れすぎた俺には、過酷すぎる、きっと生きられない世界でした。だけど……ユリアたちに出会えた事は、後悔していません」




