『ブレイヴイマジン』第5章 サンダー④
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翌日、午前十時半頃の事だった。
いつスティギオが帰って来るのか、待ちきれない、という様子でそわそわと席を立ったり戻ったりを繰り返すセルナと共に、俺たちは岬の家でスティギオを待ち続けていた。セルナは、遂には屋上の見晴らし台に上がって双眼鏡で海を眺め始め、俺たちもそれに加わって一緒に待った。
そうしていると、水平線の方から海鳥が飛び、こちらに近づいてきた。その足には、蓋の付いた金属の筒が巻きつけられていた。
セルナの顔が、海鳥の接近と共に不安そうなものに変化した。
「どうしたの?」
ユリアが尋ねると、彼女は海を見つめたまま答える。
「連絡用の伝書鳥。これが使われるのは、船に予期せぬトラブルがあって港に帰れない時なんだ。いわゆる、SOS」
「SOS……」
不吉な予感が、俺の体幹を駆け上がる。固唾を呑んで見ていると、海鳥は見晴らし台の手摺りに着地して翼を畳んだ。セルナが指を差し伸べると、ぴょんと跳んでそこに留まる。
「よしよし、ご苦労さん」
セルナは指の腹で海鳥の頭を撫でると、筒の蓋を開けて中から細く巻かれた紙を取り出した。くるくると開き、文面に目を落とす。
ユリアや俺も、脇からそれを覗き込んだ。
「何が書いてあるの?」
「帰港困難……沖合、海岸から二十海里(約三十七・〇四キロメートル)地点に、Aクラスの魔物、海域の主が出現。海上警備隊と共同で掃討作戦に当たっているから、直ちに応援を……って!」
セルナに紙面を突き付けられ、素早くそこに書かれている文章に目を通すと、俺は段々体の奥の方から焦燥がわくわくと込み上げ、足を震わせるのを感じた。ユリアも蒼白になり、俺の袖を掴んでくる。
「Aクラス……って、また海の荒くれ者!?」
シルフィが叫んだ。どうやら、グレイバンド山脈の地下水脈に居たカシャロットの事を思い出したらしい。
「シルフィ、お前の監視、本当に大丈夫なのかよ? あいつらに舐められてんじゃねえのか?」
アロードは、やれやれという風に呟く。シルフィは、彼に噛みつかんばかりに顔を接近させ、口を開けて反駁した。
「失礼ね! あたしだって、こう見えて監視をサボった事なんてないのよ! 第一、アローちゃんもオブリヴィオンに暴れられたでしょ!」
「あいつはSクラスだっつうの! 力を過信するのも仕方ねえよ」
「じゃあ、こっちのAクラスはただの驕りって事ね。あたしたちは、そのSクラスのオブリヴィオンにだって勝った。ブレイヴの力は伊達じゃないって、思い知らせてあげましょ!」
「当ったりめえよ!」
アロードは自分の二の腕を叩くと、「おいセルナ!」と彼女を振り向いた。
セルナは急に名指しされ、ぴんと背筋を伸ばす。
「は、はい?」
「俺たちにどーんと任せとけ。俺たちが、お前のフォームメダルを取り返せる奴らだって証明してやる。スティギオも漁業組合の連中も、皆俺たちがまとめて助けてやるよ!」
「そ、そうだよね、アローちゃん!」
セルナは肯き、俺とユリアの方にも視線を向けてくる。
「お願い、ケント君、ユリアちゃん。スティ君を助けて!」
「勿論よ、セルナ」ユリアは強く肯き、岬の向こう、港の船着き場を見た。「船の借り方って、教えて貰える?」
* * *
海上警備隊の待機組であり、海の漁師でもあるバウエ船長は、俺たちが漁業組合からの応援要請を見せると、すぐに船を手配してくれた。待機組は全員駆り出されるとの事だったが、俺たちは自分たちがブレイヴである事を告げ、危険防止の為俺たちだけで行かせて欲しい、と頼むとすぐに了承された。
スティギオの家にも小舟があり、エンジンを搭載した二馬力ボートだとの事だったので、結局俺たちだけが救援に向かう事になるならそれでもいいのでは、と俺は思った。だが、セルナ曰くそれは沿岸での一本釣りに使うものであり、二馬力ボートの沖に出る目安は手漕ぎで戻れる距離、せいぜい一キロから二キロ程度が限界だ、という事だった。
「本当は遠洋漁業自体に、限界があるんだけどね」
船上でそのような会話を交わしていると、それを耳に挟んだらしくバウエ船長がそう言ってきた。彼は”海の男”らしく、その声は波の音やエンジン音にも負けない程太く練られており、よく通った。
「ブレディンガルも、ぶっちゃけて言えば僻地だ。ここじゃマナをこれでもかと使って、大きな船を建造する事なんか出来ねえし、それが出来る都市部で大型船を作ったとしても、こんな山を幾つも超えた場所まで運ぶ手段がねえ。だから、俺たち住民が町工場で造れる船はせいぜい五百馬力が限界なんだ」
「それじゃ、水平線の向こうに何があるかは、分からないんですね」
ユリアが呟くのを聴き、俺はそこでふと疑問が頭を擡げた。
エヴァンジェリアのこの大地も、球形の天体の上に載っているのだろうか。水平線が弧を描いているという事は、そうなのかもしれない。
だが、この世界で水平線を超えた裏側に大地があるのかどうかは、分からない。バウエ船長が言うように、事実上到達不可能な場所であるから、マップとしても設定されていないのかもしれない。もし、この世界が球形なのだとしたら、魔神族が住むヘルヘイムというのは、どのような立ち位置で存在する世界なのだろう。地底、という表現をされ、エヴァンジェリアという世界系の外に存在されるというヘルヘイムが、球形のエヴァンジェリアの内部に存在する、というのは少々無理のある話のように思えた。
(世界は観測出来るから、世界として定義される……か)
柄にもなく思考を深みに嵌め込みそうになった時、バウエ船長が頭をちらりとこちらに向けた。
「お嬢ちゃんも、水平線の向こうが気になるかい?」
「まあ、そうですね……今まで世界の果てなんて、気にした事もなかったけれど」
ユリアは、うっとりと夢を見るような表情を浮かべた。
「不思議だよなあ、水平線が丸く見えるってさ。世界の果てが、もし俺たちの立ち入れねえような虚無だったとしたら、今度はその虚無の果てに何があるのか気になるだろう? もし、俺たちの越えられねえような高い壁だったら……それでも、その壁の果てを見てみたくなる。果ては、辿り着いた瞬間に本当の意味で”果て”じゃなくなるって、俺は思うんだ」
「バウエさん、無骨な感じだけど割とロマンチストだよね」
セルナが言うと、船長は「いや、真面目な話さ」と返した。
「酒場で飲んでいる時に言ったら酔っていると思われたけどさ、月って丸く見えるだろう? で、満月の日には潮の満ち引きが大きくなる。もしかしたら、エヴァンジェリアと月は同規模の存在で、何らかの形で干渉し合っているのかもしれねえ。となると、このエヴァンジェリアも実際は丸いんじゃねえのかな? 俺たちじゃ想像もつかねえ程デカくて、こうして見ると平面にしか見えねえけど」
「そんな、まさかあ!」
シルフィが首を振る。
「それじゃ、エヴァンジェリアっていう世界系はもっともっと広いって事になりますよね? ここは一つの、月みたいな天体に過ぎなくて、あたしたちが世界って呼んでいるイマジスハイムやアルヴァーラントは国みたいなもので。待ってよ、そうなるとヘルヘイムは……」
「次元の壁を隔てた何処か、とか? たまたまその窓口が、俺たちが世界樹ガオケレナって呼んでいる樹の地下というだけで、世界のあらゆる場所で、すぐ隣に魔神族の世界がある、とか」
「やめて下さいよ、怖いじゃないですか!」
「いやいや、すまんな。でも、世界が本当にそんなに広いなら、どうやって確かめればいいんだろうな?」
「船じゃ無理なら、空を飛べる何かを造ればいいんじゃない? そうすれば山だろうが街だろうが、一息に飛び越せちゃいますよ。もしかしたら、月にだって行けちゃうかもしれない」
「シルフィお嬢ちゃんも、結構なロマンチストだよ」
あっはっは、とバウエ船長は豪快に笑った。
聞きながら俺は、それこそがこの『ブレイヴイマジン』に於ける、エヴァンジェリアという世界系に与えられたバックボーン的な設定なのかもしれない、と考えた。NPCを、そしてプレイヤーを、理解不能であったり不合理な事象に遭遇させないようにする為の整合、というべきか。
何処までもリアリティを追及するレーラズの姿勢には頭が下がるが、本当にそれだけだろうか、という思いがそこで萌芽する。
もしこの世界が、ゲームの宿命的な設定の強引さ、いわゆる”力技”の一切をこの調子で排し続けるのなら。もしもプレイヤーがシルフィの言うような飛行装置を作り出し、この世界に於ける「宇宙」を目指した時、それはビジュアライズされるのだろうか。
そのような事が仮に出来てしまったとしたら、これは本当に単なる、画期的なゲーム、という表現で説明が付くだろうか。一企業に、否、人間に、現実と同規模の宇宙を作り出せるという事になるのだろうか。
何やら恐ろしくなり、俺は思考を停止した。これ以上は、考えてはならない事のような気がした。常識的に考えて、さすがにメタバース空間でそこまでを行うプレイヤーは居ないだろう。だから、レーラズも黒田氏も、そこまではリアリティの追求として考えていないに違いない。
無理矢理自分を納得させると、俺は行く手を見据えた。
何はともあれ、今はこの世界が、俺にとっての現実なのだ。たとえ俺が動かないでいたとしても、事態は淡々と進んでいく。スティギオや漁業組合の人々が危険に晒されているという事も、ヴェンジャーズがセルナのブレイヴフォースの為、準備を着々と進めているであろう事も。
(この世界で死んだら、現実の俺も死ぬ。世界が滅びたら、死は確実に来る。それにユリアたちは……友達だ)
遊びではないゲームもあるのだ、と俺は考えた。それは、この世界を久々に仮想空間として分析しようとした事に罪悪感を感じ、再びその思考を意識の奥に押し込める為の、心の作用だった。




