『ブレイヴイマジン』イベント キャット・パニック①
タイタスのフォームメダルを取り戻し、更に二日が経過した。
ランストゼルドの村を出た俺たちは更に北西へと移動を始めたが、造山帯を完全に抜けるには、まだ峠道を歩く必要があるようだった。とはいえ、グレイバンド山脈や周辺の岩場を抜けた時のような険しさはなく、また旅が始まって一ヶ月も経たないうちに三つもフォームメダルを取り戻した、という実績も相俟って、俺たちの心は穏やかだった。
次の目的地は、雷属性のイマジン、セルナ・サンダーの拠点を定めている最西端の港町、ブレディンガルだった。峠を越えたら、幾つかの村や町を経由し、この間俺たちが下った地下水脈を始点とする川を下流へと下って行けば海へと合流する辺りで辿り着けるという。
「はい、ここから下りだよ。でも、その前にお昼にしよっか」
エストクライス山も大分遠ざかった頃、ユリアが一行に声を掛けた。アロードとシルフィは腰を下ろし、いそいそと弁当を開く。俺も座ろうとしたが、その時ユリアが言ってきた。
「ここは『三界の回廊』っていうのよ。ここからだと、全ての界廊と世界樹ガオケレナを一望する事が出来るの。グレイバンド山脈最高峰の山からだと、雲が広がっていてよく見えないから。ケント君も見てごらん」
振り返ると、俺は思わず「おお」と声を上げた。海に囲まれた楕円形の大地が、はっきりと見える。そこまで険しい峠を登ってきた訳ではなかったが、造山帯に属しているここはそもそもの標高が平均よりも高い場所らしかった。
「こうして見ると、私たちが旅をしてきたのって、ミッドガルド北部のごく限られた地域だけなんだって分かるよね。まあ、だからこそ一ヶ月以内に、イマジンたちにこうして次々会う事が出来た訳だけど。そこに半数以上のイマジンが集まっているのも偏っているとは思うけど、イマジスハイムを出てすぐの地域を活動拠点にすると、やっぱり何かと都合がいいのかな、彼らも」
ユリアに言われ、俺はもう一度ぐるりと三百六十度の景色を展望した。遠くに、今まで俺たちの訪れたスピナジアの村やフレイリオス、ハルバードルズらしき町や村も見えたが、それらが本当にそうであるのかについては、小さすぎて今一つ確信が持てない。
このように峠から果てまでを見る事が出来るという事は、七つの世界を持つエヴァンジェリアという世界系に於いて、ミッドガルドという一つの世界はそこまで大きいものではないという事か。
大地の中心に、天を貫くように伸びる巨樹が見えた。その光景は、異世界ファンタジーの典型のような印象を俺に与えてきた。
「あれが……世界樹ガオケレナ?」
「ええ。世界を満たすエーテルの源泉にして、地下に根を張って界廊を作り、エヴァンジェリアという世界系を生み出した母なる樹。いつか空に届いて、私たちが伝説でしか知らない天界っていう新たな世界にも繋がるかもしれない。地下は根を張りすぎて、ヘルヘイムからの侵食を許してしまったけど……」
「つまり、世界系を移動する窓口にもなる樹って事か……」
「それから界廊も見えるでしょ? イマジスハイム以外だったら、私たち人間でもどんな世界にも行ける」
ユリアは言うと、眼下の林の奥、霞む山脈の尾根の彼方から空に向かって伸びている道を指差した。その界廊が、俺たちにいちばん近いらしい。
「あの先は、巨人族の住む世界マクロンティア。エヴァンジェリアには人間族、妖精族、小人族、闇の妖精族、サラマンダー族、巨人族、そしてイマジンが居るけど、他世界の異種族はそれぞれに文化と社会があるし、扱いでいうと『人種』みたいな違いかな。
巨人族やサラマンダーは、ずっと昔は亜人族と一緒くたにされて、魔物扱いだったんだけどね。人間と対立はあったけど、今ではちゃんと和解しているから大丈夫。人間とは異なる言語を話すけど、外見は殆ど人間と変わらないし、剣技も武器も使うのよ」
「なるほど……じゃあ、いちばん人間に近くて、いちばん人間に友好的なのは?」
「妖精族かな、アルヴァーラントの。世界観も『お伽の国』って感じらしいし、手強い魔物もあんまり居ないし」
その時、「そういえば」とアロードが口を挟んだ。
「ケントはギアメイスの村に現れる以前の記憶を取り戻す為に、アルヴァーラントに行こうとしていたんだよな? 今、まだそれは戻らねえのか?」
「………」
俺は、自分が記憶喪失の設定だった事を思い出す。もしかしたら、本当に『ブレイヴイマジン』の主人公はこの世界の伝承にあるという「使徒」なのかもしれないが、未だに確信が持てないでいる。
「……まだ、なんだ」
彼らの事を友達だと思っている故に、やはり現実世界の事は口に出せなかった。少しばかり罪悪感を感じながらそう言うと、ユリアは何故かほっとしたように「良かった」と呟く。俺が怪訝な顔を向けると、彼女は「ああ、ごめんね」と慌てたように付け足しながら早口に言った。
「普段は意識もしないんだけど、ケント君が記憶喪失だって事、思い出すと時々怖くなるの。もし記憶が戻ったら、ケント君は私の所から居なくなっちゃうんじゃないかって……」
「台詞が乙女すぎるよ、ユリアちゃん」
シルフィが突っ込みを入れる。
俺は、いつか不具合が修正されたら、自分は『ブレイヴイマジン』との接続を切られるのだ、と改めて思い、感傷的な気分になったが、それを隠すように「心配しないで」と言った。
「それでもきっと、ユリアと一緒に居た思い出は消える訳じゃない。その時は、俺は何も言わずに居なくなったりしないから」
「ケント君……」
頰を可愛らしく染めながら幸せそうに笑う彼女を見、俺は、まだこの世界で彼女と旅を続けたいという願いが、現実世界に帰りたいという願いと激しく鬩ぎ合うのを感じた。様々な気持ちが氾濫しそうになり、無性に彼女を抱き締めたくなった。
* * *
川岸の道に出た時、行く手に川合いの村が見えてきた。高い板塀で囲まれ、入口には自警団と思しき男性がマスクをして槍を持ち、立っている。俺たちは、そこを目指して歩いた。
「ここを抜けないと先にも進めないみたいだし、村の中で一旦休憩しようか」
「そうだね。今日は野宿じゃなくて、宿に泊まるのもいいかもしれない」
ユリアと俺は肯き合い、皆で村の入口に近づいた。
だが、そこで思いがけない対応を受けた。入口で番をしていた男性は、突然槍の石突きで地面をカンッ! と鳴らし、鋭い声で叫んだのだ。
「マスクをしていない人間は、村に立ち入ってはならない!」
「えっ?」
突然の事に、俺は面食らう。ユリアが「どうしてですか?」と尋ねると、男性は彼女をじろりと一瞥し、マスク越しのくぐもった声で答えた。
「現在、この村ではユナ・モモコネコによる伝染病が猖獗を極めている。病人をこの界隈から外に出せば、被害が鼠算式に増える事となる。余所者に、知らなかったという理由で感染対策を台なしにされる訳には行かんのだ」
「ユナ・モモコネコ?」
何だ、そのネーミングは? と俺が首を傾げていると、アロードが口を挟んだ。
「それ、キャスパリーグの事だな」
「キャスパリーグ?」
「黒い山猫の魔物だ。闇属性で、主にオブシデントに生息している。ミッドガルドにも居るっちゃ居るけど、住む地域が限られているんだよな。だからマイナーで、種名より俗称の方が広まってるんだ」
アロードが珍しく長い解説をしたので、シルフィが目を丸くした。
「へえー、アローちゃんも色々詳しいんだね」
「俺だってイマジンだぜ? これくらい、知っててどうって事ねえだろ。……このキャスパリーグについて名前が広まったのが、このおっさんが言う伝染病をスキルとして使用するって事なんだ。一種の精神疾患と、それに伴う色んな二次症状を引き起こす。感染者はまず、自分が猫になる病気に掛かったと思い込む。獣化妄想症に似ているけど、ちょっと違げえな。そして、それを治癒する為には虫を食わなきゃいけねえと考え出すんだ」
「そんな変な病気、あるかなあ?」
シルフィが首を捻ったが、そこで男性は「その少年の言う通りだ」と肯いた。「俺はまだおっさんではないが」と前置きした上で後を引き継ぐ。
「病気自体が、本人の命を奪う事はない。だが、まず虫を食べるという事で体に有害物質を取り込む可能性があるし、誤嚥によって呼吸器疾患を引き起こす事もある。そしてそれを周囲の人間が止め続けていると、今度はそれらが虫に見えてきて、無性に人間を食おうとする。人間の噛む力は、俺たちの想像を絶するものがある。実際それで噛みつかれ、皮膚や肉を食いちぎられた人間も居るし、酷い時には死亡事故にすら繋がりかねないんだ」
「キャスパリーグにこの『異食病原体』のスキルを見出し、疾患を学会に報告した二人の研究者、ユナ博士とモモコ博士の名前から、病名は『ユナ・モモコ症候群』と付けられた。そしたらいつの間にか、スキルを使う魔物にまでユナ・モモコネコなんて俗称が付いて広まっちまった」
愛らしい名前だと思っていたが、全然そのような事はなかった。
俺が顔を引き攣らせていると、アロードは「で、おっさん」と更に続けた。
「感染力が極めて強いっていっても、治療法が意外と単純なのがこのユナ・モモコ症候群だろ? それが、どうして村を閉鎖するまで放置されたんだよ?」
「俺はおっさんじゃない。……いや、別に放置した訳ではないんだ。それはまあ、以前からユナ・モモコネコは村に家畜などを襲いに来る事はあった。だが、危険度はBクラスだし、我々自警団で撃退出来ない程ではなかった。
ユナ・モモコネコの使用する病原体は、あくまでスキル、魔法の産物だ。最初に猫から直接感染した人間と、そいつから感染した連中に関しては、ユナ・モモコネコが意志を持って、魔法を発動させれば発症する。だが、逆にスキルを使った魔物を退治すれば、全員が完治するだろう」
「それじゃあ、巣を突き止めてユナ・モモコネコの親玉を退治したら? 個体としての戦闘力は、そこまで高くないんでしょう?」
シルフィが挙手したが、男性は悔しそうに首を振った。
「残念だが、今ではそれも叶わない。多くの者が、群れの頭領を狩って呪いを解くべく、川向こうの森に出た。しかし、彼らは皆ことごとく病に蝕まれて村に戻り、隔離されるに至った。何故ユナ・モモコネコが突然それ程強くなったのか、詳しい事は分かっていない」
「きっと、それはユナ・モモコネコが闇属性だからですよ」
ユリアが、胸の下で腕を組みながら考えるように発言した。
「ロゼルのフォームメダルがヴェンジャーズに取られちゃって、彼女の配下である魔物たちが野放しなんです。それで凶暴化が起こって……今回のユナ・モモコネコみたいな被害が出たんです」
「すぐに被害を食い止めたいけど……」
俺は、外の一切を拒絶するように閉め切られた村の門を見る。俺たちがブレディンガルに行くには、ここを通らなければならない。そうである以上、この問題は俺たちが解決せねばならないタスクだ。それに、目の前で苦しんでいる人が居るという状況を知り、放置出来るはずがなかった。
「ユナ・モモコネコの凶暴化は相当深刻なようですし、親玉を探し出すのにも時間が掛かりそうです。一時的にでも、症状を抑える事の出来る特効薬とかはないんでしょうか?」
「今あるのは、誤嚥性の肺炎に効く咳止めくらいだな。ユナ・モモコネコが狩れないと分かって次のプランに選ばれたのは、『月香の願い花』って薬草を採って来る方法だった。それが、疾患系の魔法を無効化する効果を持っているんだ。だが、採りに行くにはユナ・モモコネコの縄張りを通らねばならないし、自警団の主戦力は今や軒並みダウンしているからな……」
「おっ……いえ、お兄さんは、大丈夫なんですか? 自警団で、ユナ・モモコネコとも戦ったんでしょう?」
ユリアが言うと、男性は「うっ」と声を詰まらせた。
「俺、この間戦力外の通告を受けてしまったんだよ……だから、こうしてユナ・モモコネコとも戦わず、五体満足で見張りをする事になった」
「健康ならいいじゃないですか」シルフィが言うと、
「悔しいものは悔しいんだ!」男性が拗ねたように返した。
俺は少し考え、そちらのプランの方がいいかもしれないな、と思った。ユリアと視線を交わし、互いに確認を取ってから、男性に向かって肯いた。
「俺たちで、その月香の願い花というのを採って来ますよ。何処に生えているんですか?」
男性は驚いたように俺たちを見たが、やがてマスクから覗く目をぱっと輝かせ、興奮したように早口で教えてくれた。
「森の奥にある『明月洞』、その更に奥で、天井の破れ目から自然光が差し込む場所がある。そこで、月光を受けて自生している植物があればそれだ。……本当に、行ってくれるのか?」
「はい! お任せ下さい、ユナ・モモコネコによる伝染病は、必ず俺たちが食い止めてみせます!」
俺が力強く宣言した時、アロードがそこで割り込んだ。
「あのなあ、お前ら!」
黙っていたがもう我慢出来ない、という様子で、俺の頰を指先でつついてくる。
「俺がキャスパリーグだって教えてやったのに、まだその適当な俗称で呼び続けんのかよ! ユナ・モモコネコは俗称で、正式名称はキャスパリーグ!」
「あ、ああ、それは……まあ」
俺は、間投詞を連発する。アロードはいつも妙なところで几帳面だな、と思い、彼に頰をつつかれならも苦笑を堪えようとした。




