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『ブレイヴイマジン』幕間 オーシャン・キラー②


          *   *   *


 進んで行くと、地下水脈の源泉らしい巨大な湖に出た。自然豊かな山奥で、公害も存在しない場所だからか、その碧潭(へきたん)に湛えられた水は天井から微かに零れる光で青々と光り、巨大な鏡のようだった。

「ここかな……?」

 シルフィは呟き、水際まで行って水中を覗き込む。

 静かすぎた。ここに、彼女の言うような危険な魔物が潜んでいるとは思えない程、今まで俺たちが旅をしてきた地で、最も澄んだ空気が空間を満たしていた。

「シルフィ、気を付けてね。相手は縄張り意識が凄いんだから、迂闊に近づきすぎると攻撃を……」

 ユリアが言いかけた、まさにその時だった。

 刹那、森閑としていた湖から物凄い水飛沫(しぶき)が上がった。漆黒の、ぬらぬらした鯨の魔物が湖面に飛び上がる。現実に存在したら、イルカなどを含まないヒゲクジラ類の中では世界最小、コセミクジラより一回り大きいか、という程度のサイズだが、それでも鯨は鯨だ。十メートル程のその体躯は間近で見ると、さすがに尻込みせざるを得ないものだった。

「ウオオルルルルルッ!!」

 魔物は大口を開け、俺たちを呑み込まんばかりに向かって来る。シルフィが慌てたように跳び退()いたが、打ち寄せた波の引き潮に足を浚われそうになり、ユリアが咄嗟にフォームメダルへと吸収した。

「荒くれ者ってカシャロットかよ! こんな奴が暴れてんのか!」

 アロードが、少々引き気味に叫ぶ。

 俺は彼を、シルフィと同様フォームメダルに宿らせる。そのままユリアとコンタクトを取り合い、変身した。

覇山焔龍昇ハザンエンリュウショウ!」

「スピニングマリン!」

 跳躍し、岸に乗り上げてきたカシャロットの胴体に剣を滑らせる。俺はその背に着地し、続けて足元に刺突を行った。

 カシャロットは大口を開けて咆哮し、尾鰭を使って体を垂直に立てる。俺は足場のバランスを崩し、水中に滑り落ちる。落下しながら、岸側に居たユリアがオーシャンスラストで魔物の腹部中央を撃ったのが見えた。

 水中戦闘は、以前のゲームにも存在した。水中では浮力や潮流があり、体に力を入れないと一箇所に留まる事は難しい。また、剣を振るうにも水圧による抵抗が掛かる為、動きにどうしても一定の鈍化が生じてしまう。『ブレイヴイマジン』の現実再現度からして、水圧による行動制限は恐らく現実と同じ、またこの湖は、静止しているように見えて実際には絶え間なく水脈へと流れ出ている。カシャロットの立てた波であの始点まで流されれば、俺は間違いなく奔流に呑まれて溺死する。脳裏に、あのウォータースライダーじみた流れが()ぎった。

 水中で、抵抗を(ほとん)ど受けない攻撃が刺突だが、俺のデュアルブレードは槍のように、そこまで突き技に特化している訳ではないし、刺突系の剣技も今のところ取得出来ていない。通常攻撃で攻めきれる程、敵の体力が少ないとは思えなかった。陸に上がろうにも、魔物の巨体を大きく迂回せねばならないし、その間にユリア一人にターゲットを任せ続けるのも危ない。

 沈んでしまう前の今であれば、何か対処法があるかもしれない。俺は必死に考え、ある一つの方法が閃いた。だがそれは、危険極まりないものだった。

(出来るか? もし失敗したら……)

 その時、垂直に浮かんでいたカシャロットが首を傾けた。その口に、莫大な水が集まっている。

「ユリア! 避けろ!」

 俺が叫んだ時、ユリアの目が見開かれた。間を空けず、彼女に向かってカシャロットの水ブレスが放たれる。

「ユリアーっ!」

 声を上げると、魔物が傾いた際の大波が鼻腔と口腔に一気に侵入してきた。息が出来ず、肺が悲鳴を上げるのを感じる。が、俺は自分のダメージなど考えている暇はなかった。

 ユリアは、彼女は大丈夫なのか。

 水を吐き出し、もう一度叫ぼうとした時だった。

「スパイラルストリーム!」

 彼女の声が洞窟に反響した。彼女は、レジーナソードに纏わせた円錐形の水で、突撃槍の如く水ブレスを貫いていた。柱のようにすら見えていた魔物の水流が、リボンのように真っ二つに裂けていく。

「私が使っているのは、シルフィの力なのよ……!」

 彼女は襲い来る水を突き抜け、開きっ放しのカシャロットの口にそのまま技を叩き込んだ。

「下剋上なんて、早すぎるのよ!!」

 カシャロットが、大きく仰反(のけぞ)った。その小さな目が、背後に居る俺を捉える。俺は最早、躊躇っている時間などないと腹を決めた。

赫閃燃導劔(カクセンネンドウケン)!」

 数日前に修得した技を使い、剣を振り下ろす。しかし、それはカシャロットに向けてではない。俺の浮かんでいる場所の下、底知れぬ青い水が満たされた空間に。

 下方で、急激に熱せられた水が水蒸気爆発を起こしたようだった。湖水が蠢き、爆発のエネルギーが巨大な塊となって突き上げてくる。俺はそれに追い着かれぬよう、剣技発動の反動を利用して自分の体を押し上げた。震え、対流する水が加速を掛けてくれる。爆発に追い着かれたら、俺は木っ端微塵に吹き飛んでしまう。そのような自爆だけは、避けねばならない。

 俺は水面に飛び出すと、こちらに傾倒してくる魔物の潮吹き穴に剣先を向けた。そこから、背部の中心を狙って斬撃を放った。

「終わりだ! アグレッシヴブレイズ!」

「ウォオオオオオオルルルルルッ!!」

 断末魔の声と共に、カシャロットは大量の水飛沫(しぶき)を撒き散らしながら水中へと倒れて行った。俺は跳躍し、ユリアのすぐ横に着地する。

「やったね、ケント君!」

「ああ、勝ったな」

 俺たちはそれぞれの剣を納めると、ハイタッチを交わす。

 が、その時水ブレスでひび割れていた陸地の一角、俺たちの立っている地点の岩石が崩れた。あっ、と気付いた時には、俺たちは既に水へと落ち、成す(すべ)もなく地下水脈の流れに投げ出されていた。

「ああっ!?」

 俺とユリアは並んで、急流を下って行く。

「うわああああっ!」

(ユリア──!)

 俺が手を伸ばし、ユリアの腕を探り当てた瞬間、彼女は急カーブの岩壁に頭をぶつけて小さく悲鳴を上げた。俺は咄嗟に彼女の体に手を回し、ぶつかって怪我をしないよう身を縮める。

「ねえ! これ、このまま流されたら何処に出るのかな!?」

「地下に下っているみたいだけど、この速さからして結構急だし、山の麓まで行くかもしれない! 少なくとも今は、脱出出来ない!」

 舌を噛みそうになりながら、俺は轟音に負けないよう叫んだ。ただ、離れ離れにならないよう、ありったけの力でユリアを自分に引き寄せる。

 守ってやるからな、と、現実では恐らく二度と心に浮かべないであろう言葉を、俺はずっと胸の内で呟き続けていた。


          *   *   *


 いつの間に、気を失っていたのか分からなかった。

 はっと気付いた時、俺は森の中を流れる渓流の岸辺に打ち上げられ、仰向けに倒れていた。すぐ傍にユリアが倒れており、いつの間にか変身は解除されてイマジンたちもその横に身を横たえていた。

 日は暮れ、葉間から漏れる光は既に月光へと変わっていた。

「ユリア」俺は、痛む体に鞭を入れて這い進み、ユリアを揺さぶった。「しっかりしろ、ユリア。俺たち、助かったみたいだよ」

「んん……っ! ここは……?」

 彼女は起き上がると、ぐらりと俺の方に凭れ掛かってくる。俺は彼女の肩を支え、横に座らせた。「ケント君……大丈夫?」

「俺は平気だよ。ユリアは?」

「私も。流されている間、ずっとケント君が守ってくれていたみたいだから……」

 ユリアは頰を染め、俺は気恥ずかしさを覚えながらも嬉しくなった。

 アロードとシルフィも、腰や背中を摩りながら起き上がる。彼らの方はアロードがよろめきかけ、シルフィが「しっかりしなさいよ」と彼を支えた。本当に姉と弟のようだな、と感じる。

「いやー、今日は大冒険だったな。よく皆揃って生き延びたもんだ」

「アローちゃんも頑張ったもんねえ……まあ、ケント君が無茶したっていうのもあるんだけど。でも、無茶させちゃったのはそもそもあたしが原因か」

 シルフィは苔()した石の上に正座し、頭を下げた。

「皆、ごめん。あたしが寄り道させちゃった挙句、魔物にも……」

「ストップ、シルフィ」

 ユリアが、彼女の頭にぽんと(てのひら)を置いた。

「こういう時はただ、『ありがとう』っていうものよ。私たち、友達でしょ」

「……ありがとう、ユリアちゃん。ケント君とアローちゃんも」

「どういたしまして。シルフィもイマジンとして、エヴァンジェリアの均衡を乱す魔物を討った。私もブレイヴとして、それに協力した。本来在るべきブレイヴとイマジンの関係よね。それに……」

 ユリアはぴょんと立ち上がり、森の奥を指差した。俺も、その先を見る。

 渓谷の向こう、少し低い山を隔てた場所に、黒々とした岩山が聳え立っていた。夜空をバックに、威厳を持って屹立している。

「あれって……エストクライス山か?」アロードが呟く。

「って事はあたしたち、グレイバンド山脈を地下ルートで超えたって事?」

 シルフィが小さく言うと、ユリアはぱっと笑みを弾けさせた。

「思いがけない近道になったでしょ! これも、シルフィのお陰だよ!」

「ええ……でも、危険はあったし」

「結果オーライって事でいいじゃん! ね?」

 嬉しそうに言うユリアを見ながら俺は、ユリアっていつも前向きでいいな、と思った。立ち上がり、コートに付いた砂利や苔を落とす。

「でも、今日はもう夜だし、凄く疲れたからこの辺りで野宿しよう。この暗さで進むのは危ないだろうし。幸いこの辺りは木が茂っているから敵からも隠れられるし、雨が降っても避けられる」

「……そうだね」

 俺は言い、渓流に数歩だけ足を踏み入れた。見た目通り、水深は十五センチ程度しかない。足元が滑らない事を確かめ、仲間たちを呼ぶ。

「向こう岸の方は、草地になっているみたいだ。こっち程石もないみたいだし、もう少しだけ歩こう」


          *   *   *


 木の下に手頃な場所を見つけ、携行食で簡単な夕食を済ませると、ユリアたち三人は火も消さないまま草の上に寝転び、眠ってしまった。

(疲れたよね……おやすみ)

 俺は心の中で彼らに言い、野外用の毛布をユリアにそっと掛けた。火の始末をし、俺自身も着替えないまま横になった。

 しかし、この世界で何度も経験した事とはいえども、やはり落ち着かない。寝心地は思いの(ほか)悪かったし、静かになると今度は木々の葉擦れや風の音、夜鳥の飛び立つ音などにも心を驚かされる。

 エヴァンジェリアに来てから──『ブレイヴイマジン』にログインしてから、今日で十六日。早くも半月が終わろうとしている。もしもこちらの時間経過が現実世界と同じなら、とうに年は越され、一月になってしまったという事だ。各大学の一般入試への出願は一月下旬に迫り、それまで次の希望進路を定めていない俺は、もう受験勉強も間に合いそうにない、と思った。

 現実の事を考えた時、唐突に激しい(おこり)のような震えが、胸の辺りを中心に全身をわくわくと支配した。

 俺は、落伍者だと思った。探せば、進路先に選択の余地は、まだ残されているのかもしれない。しかし、自分のしたい事を無視し、間に合わせで選んだ道の先がどうなっているのかと想像すると、最早そこに居るのは俺ではないように思えた。

 ──いっそこのまま、永遠にログアウトが行われなかったら。

 ふと、そのような考えが脳裏を掠めた。しかしそう思うと同時に、それはこの世界で死ぬという事を意味しているのだ、と気付き、俺は慄然とした。

 この、死が身近にある世界で。

 余計な考えを起こさせるものがないだけに、思考は何処までも、自分自身の遥か内側へと流離(さすら)って行く。

 ギアメイスの村での戦いを皮切りに、この半月間に俺が潜り抜けてきた戦闘の数々が頭を通過した。度々間近に迫った死の気配がフラッシュバックし、俺は震えが激しくなった。思えば、よくここまで来られたものだ。俺は今まで、剣を持った事も魔物と戦った事もなかったというのに。

 現実での生活は、散々だった。届かないものや、徒労、絶望や嘆息、諦観ばかりがそこにあった。信じて追って来たものからも、酷い裏切りを被った。それに耐えきれなくなった時俺は、逃げた。毎日、両親も学校も騙し続け、一人用のゲームに耽溺していた。ただ受動的に、消極的に生き、”何となく”を積み重ねながら、毎日を浪費していた。

 それでも──そんな俺でも、あの世界は「生きていい」世界だった。

 あちらには、毎日安心して過ごせる家があった。毎日三食絶対に欠ける事はなかったし、安心して眠る事の出来る部屋もあった。

 当たり前の事だ。

 だが今、俺からはそれさえも奪われていた。

(俺でさえ……生きていい世界……)

 その言葉を、何度も何度も心の中で繰り返した。そうしているうちに、急に悲しさが込み上げ、涙が溢れてきた。俺は必死に、嗚咽を堪える。そこまで思考が現実世界に肉薄しても、向こうには実在しない人間であるはずのユリアたちを、起こす訳には行かないという心理が消えなかった。

 帰りたい、と思った。

 あの生活に。たとえ上手く行かなくても、俺はずっとそうして生きてきたはずだった。限界を迎えた訳では、決してなかったのに。

 それは、今更気付いても遅すぎる俺──ケント、いや、永野健斗の十七歳冬、異世界での夜の出来事だった。早生まれの俺は、まだ誕生日を迎えていなかった。

 先日『禁猟区 聖痕なきメサイア』を読み返す中で大量の誤字脱字を発見し、一から読み直して修正したのをきっかけに、本作『ブレイヴイマジン』でも同様の作業を実施中です(2025/10/07)。本日、文庫本換算で全三巻となる本作の一巻分までのチェックをひとまず終了しました。とはいえ作者本人が行っている修正なので、これからまだ見落としが見つかるかもしれませんがご容赦下さい。

 noteに連載していた頃、X(旧Twitter)でも呟いた事でもありますが、本作は私が中学二年生の時にキャンパスノートに手書きで原形を書いていた初の小説です。ネット上で公開したのは『破天のディベルバイス』の連載が終了した後なので順番が前後しましたが、原形はとても人に読ませられた代物ではないので公開に当たって大規模に加筆修正したとはいえ、やはりまだカバーしきれない拙さが目立つような気がします(元のノートはゴミに出しました)。しかし、『ディベルバイス』が重苦しく全体的に陰惨な話だったので、本作の「明るく楽しく元気よく」といった雰囲気は非常にいいセラピーとして働き、私自身も自信作だと言えるようになりました。恐らくこの先、ブレイマ(公式略称です)以上に軽快な作品は書けないと思います。

 中二で原形を書いていた頃、私は今程積極的に読書をしていた訳ではなく、ストーリー構成も人物の描写も、語彙や表現力も惨憺たる有様でした。この経験から常々「日頃から小説を読まない人は書くな」と言っている私ですが、一応当時から本作のモチーフとした創作物はあり、ドラクエとテイルズは勿論の事、購読を始める以前に学校図書館で借りて読んでいた川原礫さんの「ソードアート・オンライン」シリーズ、ティム・バートン監督の映画『アリス・イン・ワンダーランド』などが根底に流れています。……あまり詳しく書きすぎると、この先を未読の方にはネタバレになりかねないので、詳細をここで語る事は控えましょう。

 本作の改訂作業を行っている際に驚いたのは、光属性のルクス以外は属性を意識せずにつけていたイマジン(原形では彼らの総称が「ブレイヴイマジン」でした)たちの名前が、思いがけずそれぞれの属性との関連性を示唆するようなものになっていた事です。例えば


・シルフィ(水)…小栗虫太郎『黒死館殺人事件』で「水精」に間違えて「ジルフェ」(シルフ、シルフィ、シルフィード。正しくは風の精)とルビが振ってある事への皮肉

・ヴァレイ(風)…堀辰雄が「風立ちぬ、いざ生きめやも。」と訳した一節で有名な詩「海辺の墓地」で有名な詩人ポール・ヴァレリー

・シェリカ(空)…スペイン語で「天の」「天空の」といった意味の「celica」

・タイタス(地)…地神タイタン(Titan)


 ですが、当然ながら中二の(スマホもネットに繋がるPCも持っていなかった)自分にこのような知識があったはずもなく。偶然とは恐ろしい、とつくづく思いました。この調子でアロード(火)、セルナ(雷)、ロゼル(闇)もどうにかこじつけられないかと思いましたが、それは無理でした。

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