『ブレイヴイマジン』幕間 オーシャン・キラー①
ハルバードルズを出発してから二日後、俺たちは巨人族の世界マクロンティアへ続く界廊の麓から、ミッドガルドの中央を貫くように伸びるグレイバンド山脈を超えようとしていた。
次の目的地であるランストゼルドの村は、この造山帯の外れに位置する死火山、エストクライス山の麓にあり、向かうには山脈を超えねばならない。谷の道もある事にはあるが、一週間以上の遠回りになるという事だったので、俺たちは準備を整えた上で山に入り、森の中を歩くルートを採った。
同時に、もう一つの目的が山中で生じた。先日、アロードの監視下にある火属性魔物、オブリヴィオンが暴れたという事で、シルフィも自分の支配下にある魔物の様子が気になったらしく、フォームメダルを通じて監視を行った結果問題を一件見つけたのだ。
「この先に地下水脈の洞窟があるんだけどね、そこに荒くれ者が棲んでいるみたいなのよ。水属性で、縄張り拡大の為に周辺の他の魔物を次々に殺しているの。魔物が増えすぎるのは問題だけど、マナの供給が滞るのもいけないしね」
シルフィは、俺やユリアの先に立って歩きながら説明した。
「でもさ、さすがにオブリヴィオンみたいにSクラスではないんだろう? シルフィの監視している魔物が、そんなに生態系を壊すまで暴れるのかな」
「舐められてるって事なんでしょ、あたしが。イマジンの監視なんて、大した事ないと思っているのよ。だから、あの無法者には思い知らせてやらなきゃ駄目よ! そうじゃなきゃ……」
そこで、彼女の声が小さくなる。
「……自分の部下みたいな子が何の罪もないのに死んだら、嫌でしょ」
「シルフィ……」
俺は、少々意外に思いながら彼女を見た。普段はのんびりしているように見えるシルフィだが、結構頑なになる事があるんだな、と思った。
歩いていると、木々が大きく開けている場所に出た。落ち葉が敷き詰められた地面の向こう、岩山の下に、羊歯植物に半ば隠されるように黒々とした穴が口を開けていた。どうやら、件の地下水脈に繋がる洞窟らしい。入口に、大蛇の魔物の死骸が投げ捨てられるように置かれている。
「これは?」
「ワルタハンガだね。噛み痕が結構ある……多分、この中に居るあいつにやられたんだ。傷を負って逃げようとして、ここまで出てきて、力尽きたのよ。死体が消えていないって事は、ほんのさっきの事だと思う。……可哀想」
シルフィは魔物の死骸を引っ張って来ると、茂みの陰に埋め、黙禱した。
「ユリアちゃん、ケント君、このワルタハンガみたいに、暴れてもいない魔物が犠牲になるのは放っておけないよ。力を貸してくれる?」
「分かった。……入ろう」
俺は答えると、ユリア、アロードと肯き合った。
* * *
入口は狭かったが、洞窟は入って行くに連れて、段々と腰を屈めなくても歩けるようになり、やがて天井は遥か頭上で闇に溶けるようになった。遠くから水の流れる音は最初から聞こえていたが、すぐにその音源に到達する。
すぐ近くを、水が物凄い勢いで飛沫を上げ、渦巻いて流れていた。地面は打ち寄せる小波で濡れており、滑りやすい。風が吹き抜ける度洞窟の奥で反響し、幽霊が叫喚しているようにも聞こえて恐ろしかった。
そんな道を暫らく進んだ頃、ユリアが不意に呟いた。
「こんな所に棲んでいる魔物かあ……シルフィの監視を恐れずに暴れ回るなんて、一体どんな奴なんだろう? 私たちだけで、大丈夫かな?」
彼女が弱気になるのは珍しい。ギアメイスの村でも、皆の前では毅然としている印象が強かった彼女だが、やはりこちらの方が本当の彼女なのだろう、と思った。やはり、実際は普通の女の子なのだ。ハルバードルズを出発し、また旅で俺たちだけになったので、頼れるリーダー的存在で在り続けようとする、外連にも似た意識が緩んだのかもしれない。
俺は彼女を元気づけようと、わざと明るい声を出し、ポジティブに言った。
「大丈夫だよ。俺たち、今までだって何回も強敵と戦ってきたじゃないか。今回だって問題ない、変に力まない方がいいよ。それに……ユリアが万が一危なくなったりしたら、俺がその分頑張るから」
「ありがとう、ケント君。……何だかケント君、最初に会った時よりずっと強くなったよね」
「俺が強くなれたのは、アロードのお陰っていうのが一番だけど……」
俺は少し考え、眩しげにこちらを見つめるユリアと視線を合わせた。
「ユリアのお陰でもあると思うんだ。俺は本当は、魔物やヴェンジャーズと戦うのは怖かった。それでもこの世界を救う為だって、自分に言い聞かせて戦ってきた。だけど、それだけじゃここまでは来られなかったと思う」
この世界での死が、現実に直結するという事に気付いた時、俺には「村の安全な建物に籠る」という選択肢もあったはずだ。このゲームはあくまで体験会であり、現在まで続いている原因不明の不具合が修正されれば、すぐに現実世界に帰還出来るはずなのだから。
しかし俺は、ユリアが旅に出ると言った時、彼女に従う事を決めた。それは、彼女を純粋に心配したからに他ならない。彼女が電子上の存在でしかなくても、この世界の危機がゲームシナリオとして設定されたものであったとしても、少なくともエヴァンジェリアでは、起こっている事全てが本物だ。そして俺は、今その世界の一部として生きている。
「友達になってくれたユリアを、何が何でも守りたいって思って……それだけで、自分でもびっくりするくらいに力が湧いてきて。ユリアが、俺に『大切だ』って思わせてくれているから、俺は今でも戦えているんだと思う」
言ってから急に恥ずかしくなり、慌てて下を向いた。
いきなり何を言っているのだろう、俺は。
「ごめんね、変な事言って……だけど、勇者の始まりは、いつでも小さな勇気だから……」
「分かるよ……本当にありがとう!」
ユリアは頰を上気させると、急に俺に飛びついてきた。
(えっ?)
両腕が、首に絡み付く。柔らかく流れる髪と絹のような素肌が顔に当たり、俺は動揺した。
「私……私ね、ケント君の事、大好き!」
(ええ──────っ!?)
心の中で絶叫した。
ユリアが? 俺を? 頭が回らない。このような時、どうすればいいのだ?
落ち着け、と自分に言い聞かせた。このような展開は、オフラインゲームにはありがちなものだ。実際、俺が以前プレイしたRPGでもあったではないか。そのような逃避的思考が萌しかけ、いや違う、と打ち消した。
ユリアは、現実の女子と何一つ変わらないのだ。俺は、自分が異性から告白される事など有り得ないと思っていたから、このような状況など想定しているはずがなかった。本当にどうすればいいのだ。
戸惑い、恐る恐るシルフィの方を見ると、彼女は面白がるような目付きで俺たちを見つめていた。アロードは茫然自失となっていたが、やがて「俺の負けだ」と言うように両手を上げる。
幸せそうな顔でユリアがやっと体を離すと、イマジン二人が口を開いた。
「ユリアちゃんって、こんなに動じずに告白出来るんだね……ちょっと尊敬。ところでケント君は、ユリアちゃんの事どう思ってるの? 好き?」
「こうなったら仕方ねえ、俺の分まで幸せになれよこの野郎! 俺はそいつが幸せなら、それでいいって思う事にするからさ」
「と、言われましても……」
現実で高校三年生の俺としては、美少女のユリアに告白されて嫌な気はしない。だが彼女は──本当に、このような事を考えるのは申し訳ないのだが──、NPCである。頭の中では分かっている事とは、このような状況で判断能力を失わせるから宜しくない。
だが当然、そのような事を口に出す訳には行かない。
(本当にユリアが、現実世界の学校に居たらいいのにな……)
絶対に叶わない願望的な方向に、俺の思考は低回を開始する。その沈黙をどのように受け取ったのかは分からないが、ユリアはやがて、滞りそうな空気を破るように言ってきた。
「ごめんね、唐突に……ケント君だって、いきなりじゃ困るよね。まだ答えてくれなくて大丈夫だよ、私はケント君がどう思っていたって、『自分はケント君が好き』ってだけだから」
「あ、ああ……ごめん」
自分でも情けないと思ったが、このような問題はすぐに「はい」「いいえ」と答えられるようなものではない。ユリアが、そのような機微を分かってくれる女性で良かった、と妙に感謝の気持ちが湧いた。
「……じゃあ、行こっか。シルフィの言う”荒くれ者”を退治しないと」
彼女は、変わった空気を元に戻すかのように言ってくれた。




