第12話:ささやかな行為
朝がきた。
ひんやりとした空気の元、シフォンが長すぎる金髪を引きづりながら歩いていた。
身長以上に伸ばした髪を踏まないよう、ゆっくりと天井裏に続く、はしごを登る。
天井まで達すると、シフォンは天井をノックする。
「こんこん」
……反応はない。
何度もノックしても反応がないので、シフォンはハッチを持ち上げて、屋根裏の中に入った。
シフォンの顔が独りでにほころんだ。
生活上、必要ではなくなっていた物資を整理して、空いたスペースの中に2人の男女が眠っている。
10代後半から20代前半の小柄な青年を抱き枕代わりにしながら、6歳ぐらいの女の子が眠っている。
全身を覆うように伸びた髪が、僅かに漏れる太陽の光を浴びて艶を作っている。その艶は、女の子が呼吸するたびに揺れ、見入ってしまうぐらいに艶めかしさを放っている。
女の子はとっても幸せそうだった。
「……いいなあ」
そんな女の子を幸せそうに見ていたシフォンであったが本来の任務を思い出すにそう時間はかからない。
「おはようー。朝だよー」
反応はない。
「起きないと、イツキのごはんくっちゃうぞー」
わめくが反応がない。
「っとに、気持ちよく眠っているなー」
ズラトはもちろんのこと、樹も起きる気配が全くない。シフォンの前では飄々としていた樹であったが、樹なりに緊張していて、張り詰めていたのが一気に解放されたからだろう。
シフォンとしては寝かせてあげたいところであるが、事情が安眠を許してくれない。
シフォンは口元にショーンがよくやるような邪悪な笑みを浮かべると、身体を樹の側に寄せ、桜色な唇を近づけた。
何か嫌な予感がして樹の意識が醒めると、眼前に迫っていたのはドアップになったシフォンの顔と唇だった。
「……おはよ」
ドアップになったシフォンは機嫌がいいとはいえない。
「おはよう、シフォン。なにしようとしていたの」
「しらない」
いちいち聞かなくても、近すぎる距離と不機嫌そうに赤面しているシフォンの態度から、彼女の行動は明白だった。
シフォンに釣られるように、樹も熱くなる。
「ひょっとして、イツキは女の子とキスしたこと、ない?」
直球な質問だった。
「……したことないけど」
樹としては不機嫌にならないといえば嘘にはなるが、虚勢を張ったところで意味はない。
樹は自身の中学高校時代を思い出そうとしたが、なかなかうまく思い出すことができない。
ただ、一つ言えるのは、カノジョという存在を得ることができなかったこと。
女の子の裸とか興味がないわけではないのに、なぜか欲しいとは思えなかった。
…実は草食系?
思ったよりも、枯れていることに気づかされて樹が愕然すると、シフォンが悪魔みたいな笑みを浮かべた。
「しよっか」
こういうところは、ショーンに似ている。
「しよっかって、なにを…」
「さっきのつづき」
悪戯っ気満載だけど、蠱惑的なシフォンに樹の心臓は激しく鼓動する。
「意外と鈍感?」
「無礼なこと言うかなー。キミは」
動揺している。
はっきり言わなくても動揺している。
童貞丸出しで、からかわれているのが分かるだけに、樹としてはむかつかなくないのだが、嫌悪感以上に身体のほうがノリ気で、下半身はすっかり戦闘態勢になっている。
樹は唾を飲み込んだ。
「先までいってもいい?」
この時のシフォンはひどくやさしい。
「いいよ」
その一言に猛り狂いかけた樹であったが、肝心なことを一つ忘れていた。
樹とシフォンの間にある存在のことを。
腹部に締め付けられるような衝撃と、何か鋭いものを突き立てられた感触を覚えて、見ると腹部に誰かがしがみついていた。
それがもそもそと起き出す。
樹は一瞬、それが何者なのか分からなかった。
「……ここは……どこなのだ……」
ズラトだった。
"なにをやろうとしてたんだろうな、オレたち"
"そうね"
樹とシフォンはアイコンタクトで苦笑をするのだった。
夢にまで見たサイクリングライフ。
新鮮で、未知なる驚きに満ちている。
心が躍動するのも事実であるが、同時にあまりにも予想外なことが起こりすぎて、戸惑いのほうが大きかった。
「つうか、なぜオレらを起こしにきたんだよ」
樹がシフォンに理由を尋ねると、天使のような笑顔で、ある事を要求してきた。
「髪を編んでもらおうかなと思って」
「ほんま、むっちゃ髪長いよな」
お団子を解いて、ゆるく束ねただけのシフォンの髪は爪先を軽く越えていた。素人の目算では身長の二倍はありそうな気がする。
「どしたの?」
落ち着かない。
今のシフォンは、長すぎる髪をお団子にして纏めているシフォンのイメージと余りにも違いすぎて落ち着かない。
どちらのシフォンも可愛いことは可愛い。
どちらが好きかとの答えには答えられないのと同じように、何と表現したらいいのか分からない。
迷っていたところで樹はズラトにつねられる。
「ズラト」
「虫がいたから」
虫なんていないのは言うまでもない。
ズラトの様子がおかしい。
視線が定まっておらず、ヤクを与えられた犬のように落ち着きがない。
隠すはずの角やら翼やら露出しており、尻尾に至ってはバタバタとしている。まるで、ワンコ。
シフォンは悪魔だった。
「ズラトちゃんも、私の髪を撫でたいの?」
「撫でたいなどといっとらん」
バレバレだった。
「……シフォンが撫でてくれといえば、応えなくもない。それだけだ」
人間状態で自分の背丈以上の髪設定にしているのだから、髪に思い入れがあるのは疑いない。愛着がなければ伸ばそうとは思わないだろう。日常生活では不便だからだ。
その長すぎる髪は。
「ヨダレ垂れ流しておいて、せっとく……」
足を思いっきり強く踏まれた。
「すまん。脚が滑った」
「わざとだろ」
「ズラトちゃん。私の髪を撫でても梳いても編んでもいいけど、私からもお願いい?」
「なんだ」
「ズラトちゃんの髪、触らせて撫でさせて編みさせてて!! お願いっっ、お願いしますっっ」
「そうかそうか。そんなに我の髪を撫で撫でしたいと申すか」
「撫で撫でしたいです」
「そんなに願うのなら仕方がないなあ。我の髪に触る権利を授けよう。誇りに思うがいい」
「光栄の極み。恐悦至極に存じ上げます」
2人は気づかない。
……樹が、こみ上げてくる頭痛を必死になって我慢していることに。
妙なことになった。
樹の目の前に二つの滝がある。
一つは太陽のように光り輝く金
一つは無の中に艶めかしい光りを宿す黒。
その二つの滝は、床へと降り、二つに混ざり合いながら部屋の果てまで続いている。
隙間から差し込む光が、滝の表面に反射して一秒一秒ごとに複雑にして無限な変化を見せることに見とれた事に気づいて、樹は愕然とする。
樹はその滝に指先を突っ込んでみた。
滝の正体は水ではなく、糸。
糸の束を掴んで、適当に引っ張ると何処からともなく甘い二重奏が響き渡る。
「らめぇっっ!!」
「イツキ、乱暴はダメ。もっと丁寧に扱って……はぁあんっ!!」
髪を引っ張るたびに、顔を熟れたリンゴよりも赤く紅潮させては、甘ったるくて実に魂の底から歓喜しているような叫びを上げているのだから、まるで説得力がない。
2人とも、完全に繁殖期を迎えた雌猫のようになっていて、ズラトに至っては尻尾や翼を激しくゆらしている。
イツキとしては、言わざるおえなかった。
「…お前ら、どうしてそこまで興奮するの?」
髪を撫でているだけで、嫌がるどころか顔を真っ赤にして悦んでいるのだから、つっこまざるおえない。
そのあたりは、シフォンもわかっていないのだろう。
「師匠に髪を引っ張られると痛いだけなのに、イツキに髪を撫でられると感じちゃうのが不思議」
「ズラトはわかるか?」
「……汝だから感じるんだろうな。他人なら……何をするこい…や、やめろ……」
髪を引っ張るたびにズラトは砂糖よりも甘い叫びを上げつづける。
傍目から見れば面白いのは面白いのだけど、頭が痛くなるのも事実であった。ズラトの将来なんか気にしなくてもいいとはいえ。
ズラトはわかる。
ズラトが樹に対してどのような印象を持っているのか、言うまでもないから。
問題はシフォン。
樹は櫛を手に取ると、金を絹糸に混ぜたようなシフォンの髪を梳かし始める。
最初は毛先から、徐々にその範囲を広げていく。
あまりにも長いので大変であるが、ズラトも一緒に梳かしていくので、労力は半分以下で済む。なぜなら、ズラトが樹よりも愛着を込めてシフォンの髪を梳いているからである。
ズラトが睨み付ける。
視線が気になって、ズラトに話しかけようとするが、そっぽを向かれること2度3度。
むかつかない訳でもなかったが、口に出しかけた矢先に気づくと、今度は闇を溶かし込んだようなズラトの髪を手にとって櫛を入れる。
「なにをする!!」
「てめぇはオレの奴隷だ。従え」
しかし、やっている事はズラトの髪を梳ること。
梳ることによって、ズラトが日だまりにいる猫みたいな笑顔になるのだから、これほど安上がりな事はない。
それはシフォンも同じこと。
真っ正面を向いているので、表情こそ伺うのは難しいが、梳るたびにボサボサだった髪がまっすぐになって輝くのにつれて、悦んでいるのがわかる。
髪を伸ばすのは面倒だ。
まとわりつく髪は伸ばせば伸ばすほど重く、文字通りの鎖になっていく。夏は暑くてたまらない。シフォンは戦闘職なのだから、ウェイトを背負っての戦闘というのは苦行に近い。
それでもシフォンは髪を伸ばしている。
身長をすら超えて、伸ばしている。
それはシフォンが髪好き、長髪好きだからである。そこまでの愛情がなければ伸ばせないだろう。
だからこそ、樹としては気になる。
恐らくは、自分の子のように愛しているはずの髪を、昨日知り合ったばかりの得体の知れない奴に委ねていることに。
「はい」
どうにか、シフォンの髪を纏め終えて一息つく。
重労働であったけれど、これが一日の終わりではなく、まだ始まりにしかすぎないのが頭が痛い。
でも、長い髪を動きやすいように、頭の後ろで一つにまとめたシフォンはかわいくて、
「ありがと♪」
そんな彼女を見ていると悪くはないと思う樹であった。
「いだっ」
足をズラトに踏まれる。
「わざとだろ」
「すまん。虫が通りすぎたような気がした」
絶対にわざとである。




