第11話:はじまりのおわり
長かった一日も、ようやく終わろうとしていた。
隙間から刺す空気は冷たく、暗い屋根裏を魔石ランタンの淡い光が室内を照らしている。
下では酔客たちだろうか。歓声が聞こえている。
「明日になるかな」
「何が?」
ようやく整理がついて、毛布が敷ける空間にいるには樹とズラトのみ。
「アクィラさん達にズラトの正体ばらすの」
夕暮れ時はお客で繁盛しており、アクィラもシエラも対応している間がなかった。
明日にはなればズラトも樹も実戦投入されそうな気配ではあるが、その前に読み書きができなければならないと思うと樹は頭が痛くなる。
でも、ウェイターやメイドのほうが、いくら気が楽でもない。
ズラトは未経験だが、樹にはそこそこ経験がある。
敢えて今日は聞かなかったが、2人に要求されるのは生死に関わる仕事だ。
「今日の飯は美味であった」
「ヨダレが垂れてるぞ」
シエラが2人に出したのはザワークラウトをベースにベーコンやソーセージ、ジャガイモなどを入れたスープで、シンプルであるがザワークラウトの酸っぱさと出汁がやみつきになる美味であった。
この手のご飯が食べられるだけでも、異世界に飛ばされた楽しみはある。
一仕事終えて、後は寝るだけといった充実感が満ちている夜だったが、不意にズラトが真剣になった。
「汝、なぜ、あの時に我を助けようとした?」
「あの時って?」
「赤毛狼のボスと戦っていた時だ」
あの時の光景がまざまざと蘇る。
ボスと正面から衝突しようとしたコンマ数秒前、電気ショックのようなものを受けて、樹はズラトから落ちたが、あれは意図的なものだった。
「どうして、我を助けようとした?」
「なんのこと?」
「とぼけるな」
樹がずり落とされた直後に、ズラトは体当たりに負けて吹っ飛ばされた。
全力で突っ込んでいく、赤毛狼のボス。
ぴくりとも動かないMTBを見た瞬間、身体がひとりでに動いていた。
反射的な行動に説明をつけるのは難しいが、かといって説明しないことは相手が納得しない。
「あの男は、我に味方をするなと言っておったろ」
ショーンは、対象の身内を不幸にさせてでも、味方にさせる覚悟を問うていた。
「あやつの判断は実に正しい。我はこの地に災厄をもたらすためにおる。仮に我に世界を破滅させる意志がなくても、我の存在が知れ渡れば、全ての人間どもが敵対するに違いない。あそこで、我が死んでおれば、世界は平和だったろうに。愚かなことよ」
「龍王だろうが、魔王だろうが、そんな事はしったことか。オレにとって、ズラトはオレの下僕だ。下僕は下僕らしく、オレの言うとおりに従っていればいいんだ」
ズラトは絶句する。
「そうか。我は汝の下僕か」
「最初にそう言っていただろ。死にたかったから、主人の許可を得てから死ね」
どうしてこうなるのか、樹は頭を抱えたくなる。
ショーンとの問答の時もそうであったが、ズラト絡みになると発言が高圧的なものになる。樹としては、ズラトは大切な相棒であって、死ぬまでコキ使うつもりはないのに、口を開けば、ズラトがすっかり奴隷扱いになってしまう。
奴隷だの下僕だの、口調が厨二病臭くて、思い出せば悶絶している。
全世界を敵に回すか否か以前に、ズラトがいなければ樹は生きていなかった。ズラトがいるから樹にも利用価値があるわけで、結果として樹には選択の余地はない。好こうが嫌おうが不本意な展開に巻き込まれようが、結果を変えられない以上はズラトと共に生きていくしかない。
「ズラトこそ、どうしてオレを放り出した」
赤毛狼とのインパクトの直前に、樹を放したのは衝突に負けるとズラトが悟ったからである。間違いなく、衝撃に樹は耐えられなかった。
「オレがいなければ、奴隷から解放されて、自由になれる。世界を破滅させるつもりなら、まず、オレから殺すべきではなかったのか」
実際はそうは事は運ばないのだろう。
ボスとの衝突に負けるとは思えないのに負けたのは、様々な出来事でズラト本来の力が大きく損なわれているからだろう。ズラトがプロと融合したのは、復活するのに樹の存在が有益だからということに他ならない。
それでも、言わずにはいられなかったが。
「我が、汝を殺す?」
ズラトの声が震えていた。
「オレも、ズラトが憎んでいる人間だ。しかも、主として、ズラトを酷使するもっとも憎むべき存在だ。そのような存在は一刻も早く始末するべきだろうが」
こうなることはわかりきっていた。
「……いやだ」
ズラトの瞳からは、涙が怒涛の勢いであふれ出ていた。
「汝を殺すなんてできるものか……そんなの絶対に嫌だ。汝がいなくったら我は…我は…」
ズラトの小さな身体を樹は抱きしめる。
その体温は、炎を抱いているように熱いが樹にとってはそちらのほうが好ましかった。
「我は寂しかった。ずっとずっとひとりで寂しかった。もうひとりなんていやだ。だから、汝は死ぬな。ぜったいに死ぬな」
その想いが、樹を暖めてくれる。
ズラトに言いたいことは山ほどある。
ある意味、ストックホルムシンドロームなのだろうか。
突如として困難な状況に放れこまれても、樹が前を見て歩いてこられるのも、ズラトがいたからである。ズラトがいなかったら、寂しさとプレッシャーに潰れていた。
シフォンはこれからといったところだろう。
ひとりきりの寒さに凍えていた。
これから先はどうなることは言えないが、たった一つだけ確かなことはある。
「これからも一緒だからな」
魔石の街灯が灯る公園にいるのは、ショーンだけ。
噴水の敷石に座り込んでいる。
昼前はそれなりに賑わうの公園もひっそりと静まり返っている。一般人が深夜に1人だけでいるのはとてつもなく危険な行為で「襲ってください」とプラカードを張っているようなものだが、何処をどう見ても遅う側にしか見えないショーンに喧嘩を売る酔狂な奴はいないし、ショーンもそのような事態になってくれたほうが面白いと思っている。
闇の中に1人の男が現われる。
「こんばんは、ショーンさん。お久しぶりです」
「どうもどうも、こんにちは」
男はショーンの隣に座り込む。
「早速ですが、弟子の具合はいかがですか?」
「特に何も。変わったことはありません」
ショーンは平気な顔で、嘘をつく。
「いや……今日、うちのギルドに新入りが入ってきまして、そいつに弟子の面倒を分担させる予定です。1人よりも2人のほうが楽ですから」
「その新入りは信頼できますか?」
「異世界人である事には間違いないですから、スパイどころか、こちらの事情も知らんでしょう」
"異世界人"という単語に、警戒していた男も興味の色を浮かべる。
考えていることが分かるだけに、ショーンも苦笑する。
「剣皇と同じ世界かどうかは分かりませんが、あんなのがゴロゴロしていたら、この世界はぶっ壊れてますよ」
「それもそうだな」
でも、この男はショーンの内心に気づいているのだろうか。多分、気づいていないだろう。
"魔元帥ズラトのマスターが味方だと知ったら、驚くだろうなぁ"




