第10話:Novo mesto
橋を渡り終えたところから、既にカラパに入っている。
厳密にいえば、城門を潜り抜けたところからカラパなのだが、橋の入り口から城門までの空間に隙間なくびっしりと建物が建てられていて、街区の一つになっていた。だからこそ、河を渡る前に検問所がある。
空気が悪い。
建物とはいっても、急こしらえのバラックがほとんどで、樹としてはユニセフのCMで流されるようなスラム街に迷い込んだような気がする。昼間はともかく、いや、昼間であっても脇道に入り込むのは危険だろう。
ただ、喧噪には満ちている。
城門の前は市場になっていて、食品や物資やら様々なものが売られていて目を引いた。露天形式であるが、それだけからこそいっそう喧噪が増しているともいえる。
「……ど、どうだ。おい」
3人は市場の中で、靴を扱っているエリアに行った。シフォンが見繕ったのは黒の、甲についたストラップが印象的なシンプルでどことなく可愛らしい靴だった。
「すっごく似合っているじゃない。ズ…ボラリス」
「似合っているぞ」
「汝、心がこもっているようには聞こえんぞ」
「……気のせいだ」
樹は、靴を履かせた今まで、ずっとズラトを抱っこしていただけに、ようやく解放されて安堵したところだった。自転車の輪行修行だと思えば耐えられるが、それでも限界はある。
両腕の筋肉が岩みたいに硬くなり、重いものを持てるまでは、それなりの時間がかかりそうだった。
樹がポケットに突っ込んで、携帯の無事を認識しているとシフォンが話しかけてきた。
「かわいいって、言ってあげなよ」
「ズラトがかわいくないわけないけど、言ったらあいつ、怒るだろ」
「イツキって鈍感? それともトボけてる」
「どっちなんだろうね」
「こらーっっ ふたりともーーっ おそいおそいーっ!!」
シフォンと樹が会話していると、先行していたズラトが怒鳴ってきたので、間を詰めた。
「靴の次は靴下だね。後は何にしよっかなー」
露天で売られている商品に、興味がないといったら嘘になる。
「支払いはツケ。当然、樹持ち」
「何気に危険なことをぬかすな」
食い物とか、欲しいものはいくらでもあるのだけど、金がない。間違いなく日本円が使えないからである。
それより、以前に書かれている文字が分からないのが大問題だった。
会話のやりとりが出来ているだけに不思議な感じがしないのでもないのだが、早めに修得しないとまずいのは言うまでもない。いざという時には、ズラトを頼る手もあるが、常用ができないのはいうまでもない。
「汝は気分が晴れないようだが、どうかしたのか?」
不安がズラトにも伝わったらしい。
「後で説明する」
シフォンがある露天の前で、立ち止まる。
その露天は石をたくさん並べた店で、ファッション関係かと思いきや、そこらの河原で拾ったような石を陳列している店であった。
日本であれば、間違い無く詐欺ではあるが、カラパでは、その店の前にそれなりの人が並んでおり、石も飛ぶほどではないにせよ、売れている。そして、シフォンも店主と会話した後に二つほど、購入した。
何か理由があると樹が思った時、お腹から音が鳴った。
……お腹が空いた。
食料はパニアバックとチューブバックに入れているが、パニアバックはショーンに預けており、チューブバックのは一回、ズラトを変形させる必要がある。どのタイミングで変化させようとした矢先にシフォンが声を掛けてきた。
「何を食べたい?」
舌に絡みつく、甘辛いタレがとっても心地よい。
焼き鳥って、こんなに美味しいものだったのかと広場の一角に腰掛けながら、樹は屋台飯を堪能していた。
「おいしい?」
「すっごくうまい」
空腹だからというのもあるが、それでも美味しいものは美味しいといえる。味の観点では現代と引けが取らないように見えるのが不思議だった。
お茶会で食べたサンドイッチも美味しかったので、今後の食事も期待できるというものだろう。
隣に座っているズラトも一生懸命に焼き鳥を頬張っている。
なぜか、小鳥みたいで微笑ましい。
焼き鳥を食べ終えて、木のコップに注がれたオレンジジュースの甘さと酸味を味わっていると、シフォンが露天で売っていた、石のような物を取り出して、なにやら会話をし始めた。
見れば怪しい人にも見えるが、知り合いに電話しているような感じにも見える。
ズラトや樹の名前も出ていた。
「シフォン、その石は」
「この石は魔接石というの」
「魔がつく、ということは魔力を持った石ということ」
「正解。この世界では、魔力を持った石が取れるようになったの」
「とれるようになった、ということは、今までは取れなかった?」
「剣皇様の時代には取れなかったみたい。取れだした理由になかなか、えぐい話があるんだけど、聞く?」
「後で聞く」
どうせ、ロクでもない話なのだろう。
「魔石を様々な用途に加工する職人さんがいて、さっき寄った店では、その石が売っていたの。これは遠くの人と会話するための石で、自分の血を垂らせば身分証になるというすぐれ物」
「あの時の衛兵が、身分証といっていたのはこれ?」
「そう」
要は現代のfelica付き携帯と言いたいところであるが、画面はない。
ラジオやテレビの放送音がまったく流れてこないので、限定的とはいえ遠距離通信ができるというのは誤算であった。
ただし、Wifiルータとしては使えないだろう。絶対に。
ファンタジーな世界と思っていたが、思っていたよりも発展している世界なようで、樹は少しは希望が持てた。
「欠点はある?」
「欠点は魔力を使い切るとダメになっちゃうこと。役割を持たさせすぎると寿命が短くなっちゃう」
アルカリや、リチウム本体に通話機能がついているといえば納得する。充電バッテリーのように魔力を供給できれば、永続的に使えるかも知れないが、誰もができるというわけでもないだろう。
ガソリンのように魔力とやらを供給できれば話は別だろう。
「ん? 我がどうかしたか? イツキ」
「かわいいなあって」
「ざざざざざざれごとを抜かすな、イツキ!!」
褒められるたびに赤面するズラトが可愛いのも事実ではある。
魔力について、ズラトはずば抜けてはいるが稀にしかいない。ズラトみたいなのがゴロゴロいるような世界であったら嫌になる。だから、足りない魔力を充電するというやり方は使えないだろう。
樹はふと、ある可能性に思い当たった。
「シフォンは魔力を持った獣を狩ったことはある?」
「今日の赤毛狼がまさにそうだよ」
「その手の魔獣は、魔力を持っている」
「もちろん。師匠が倒してくれたボスなんかケタ違いの魔力を持っているから、美味しいことになってる」
推測を裏付けるシフォンの言葉に、樹は頭を抱えたくなった。
魔力が強力な獲物ほど、強大な力を持っている。その意味で考えると、ズラトは赤毛狼のボスとは比べものにならないほどの力を持っている。
ショーンが、樹たちに味方をするのなら、家族も連座するリスクを抱え込まなくてはいけないと言った言葉の意味が、樹には理解ができそうな気がした。
「だいじょうぶ?」
「なんでもない」
樹は平気なふりをする。うまくいったとは思えなかったが、シフォンはツッコミはいれなかった。
「それじゃ、買い物の続行だね」
「何を買う?」
「何を、ってイツキの服でしょ。周りとは違うし、替えだってないし」
替えならリアのパニアバックに一式入ってはいるのだが、ショーンに渡していて手元にない。
ショーンのことだから物色されているのだろうと樹は思う。この世界ではズラト共々、異質な存在だからだ。重要なのは財布と携帯であって、パニアバックには盗られてもいいものしか入っていない。
ただし、この世界で暮らすことが確定しているので、服は色々と買いそろえないとまずい。
「というわけで♪」
いきなり、シフォンが抱きついてきた。
柔らかくて大きな胸が露骨に押しつけられて、心臓からは急速に血が登り、下半身が異常なまでに元気になる。
「いいいいったい何を」
「採寸。サイズ分からなければ決めようがないじゃない」
「きききききき貴様ぁぁぁぁっっっっ!!」
少し遅れて、ズラトの怒号が響いた。
城門を潜り抜けると、家々が立ち並んでいる。
カラパの入り口ということもあって、飲食店や宿屋といった、東西を行き交う旅人向けの商店が多い。人々の声はするものの、人混みで混み合っているとはいえず、全体的におとなしいのは、夕食時間までの合間の時間に入っているからなのだろう。
それでも、通りには人がそれなりに行き交っているので、樹は自然と携帯に注意する。
「この地域は物騒だからね」
大都市だからだろう。郊外との落差がありすぎるのでそれがわかる。
「樹が住んでいるところは安全だった?」
「すごく安全だった。スリの心配もしなくてもいいし、夜中も1人で歩ける」
「すごいいい所だったんだね」
苦笑と共にシフォンが先導すること数分、ある店の前に立ち止まる。
この界隈では、かなり大きめな二階建てで、一階は酒場なようである。人の出入りがあまりないのは、仕込みの時間に入っているからだろう。
「ここは野犬亭。ここが、ズラトとイツキの新しい家だよ」
ようやく寝床が決まって安心しかけた樹だったが、ある問題に直面していた。
「どうしたのだ、イツキ」
「シフォン。悪いんだけど、オレ、文字が読めない」
「嘘!? ちゃんと会話できるのに!?」
「会話はできるんだけど、文字が……」
シフォンが頭を抱え、少し悩んだ後に自分で結論を下したのか何回かうなずくと、野犬亭への裏手へと回った。
賑わっている表とは違い、裏手は静まり返っている。
シフォンが裏手のドアをノックしてから数分で、ドアが開かれた。
「おかえり、シフォン」
現われたのはシフォンと同い年ぐらいの少女。
「ただいま、アクィラ」
シフォンが挨拶をすると、アクィラは樹とズラトに視線を向けた。
「キミ達が、シフォンの言っていた2人か。アタシはアクィラ。よろしく」
「どうも、イツキ・カワサキです。今後ともよろしくお願いします」
「ズじゃなかった、ポラリスなのだ。世話することを光栄に思うがよい」
樹がズラトの後頭部をどついた。
「いだっ」
「世話になるのはオレ達2人だろうが。えらすぎ」
「面白い2人だな。中に入った入った」
アクィラの言われるままに、ドアの中に入ってみると、そこは壁と家屋に囲まれたちょっとした庭になっていた。庭という割には緑が少なくて作業場という雰囲気であるが、それでも開放感があるのはいい。
その奥に続くドアを開けると、厨房になっている。
「おかえりなさい。シフォンちゃん」
「ただいまー、シエラ」
台所でスープ類のチェックをしていた女性が、シフォン達が入ってくるのを見て、視線を向けた。
アクィラと対称的におっとりした雰囲気を持っているが、顔がアクィラとそっくりと言ってもいいぐらいに似ている。髪型が2人として違うのもそのためだろう。ただし、シエラのほうが胸が大きいので識別は容易だ。
「アナタたちが、シフォンちゃんが言っていた2人ね。初めまして、私はシエラといいます。よろしくお願いしますね」
「イツキ・カワサキです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ポラリスだ。よろしく頼むぞ」
互いが名乗り合ったところで、シフォンが説明に入る。
「アクィラとシエラは冒険者ギルド兼酒場「野良犬亭」のマスターなんだ」
「アタシがギルドの実務担当で、シエラが料理担当。シエラの飯はうまいから期待しなよ」
「すっげえ期待しています」
おいしいごはんがあるのは、とてもいいものである。どんなところに行っても。
「イツキくんは異世界から来たって聞いたけど、どんなところなの? おねーさん、すごく興味ある」
おねーさんと言われたところで、アクィラとシエラの年齢は不明である。見た目には10代後半から20代後半といったところだろう。下手をすると年下かも知れない。
「すっごく長くなりますよ」
「そのほうが楽しいわね。そうでしょ、アクィラちゃん」
「イツキは、剣皇様に会ったことはあるのか!?」
「剣皇が誰なのか分からないので、なんとも言えません」
実際に会った可能性があるかもしれないが、説明すると大変めんどくさい事になるので、樹としては言いたくない。
「残念だなー」
「しかたがないわよ。私たちだって、剣皇様のお姿を見たことがないんだもの」
「でも、イツ…」
ズラトが何かを言いかけたのを察知して、樹は慌てて口を塞ぐ。剣皇の紋章が横浜FCのと同一だと知れたら、ますますめんどくさい。
暴れるが、この際は力づく。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
「シエラ。私はこの2人を案内するから」
「イツキくんにポラリスちゃん、ご飯お楽しみにね」
シエラと離れて、2階に上がると1階とはうって変わって個人的な居住区になっている。
通路の突き当たりにははしご。
「ここが2人の部屋だ」
アクィラに案内されたのは屋根裏部屋。
長い事使ってなかったようで埃が溜まっている。物が雑然と置かれているが、あるだけマシだと思うしかない。
入り口辺りに掃除道具がひととおり用意されている。
「魔石はこれだ。アタシは仕事がある。一階にいるから用があったら呼んでくれ」
アクィラは、灯りが灯る部分に石がはめ込まれたランタンを渡すと、そのまま下に降りていった。
樹は、ランタンの石の部分を「光れ」と念じながら撫でた。するとランタンは樹の想い通りに灯ったので、樹はいったん消した。
「……つかれた」
その途端に強烈な疲れが襲いかかってきて、樹はそのまま屋根裏の床に倒れ込んだ。
「その程度で倒れたとは軟弱者め」
「うっせーな」
異世界に来てから、出口を求めて彷徨い、狼たちの群れに飛びこみ、それからシフォンを載せてカラパまで降ってきた。休憩を何回か挟んでいるとはいえ、乗り続けているのにも限界がある。目算とはいえ100kmは走ってきた自信がある。パラトルーパー・ブロがズラトと融合していなかったら、樹は途中で倒れていたかもしれない。
「おつかれさま」
その隣に、シフォンも倒れ込む。
「わたしも疲れちゃったかなー」
「お互いに一戦やった後だからね」
2人して苦笑いを浮かべる。
「このまま寝てる?」
寝たいのはヤマヤマである。
「でも、片付けないと始まらないから、やる」
「せっかくだから、わたしも手伝うよ」
「いやいやいや、シフォンも疲れてるんだろ」
シフォンの立場はズラトとは違う。
「そりゃ、わたしも疲れているんだけど……」
なんともいえない沈黙が、狭い空間を包み込む。
妙な緊張感がたゆってきて、樹は逃れようともがくが意外なところから、救いがきた。
「では、シフォンの代わりに我が休もうかの」
「てめぇはキリキリ働け!!」




