第13話:新しい朝
朝は硬いパンに、ベーコンエッグ。白くて温かい液体はマッシュルームスープなのだろう。
素朴な見た目とは裏腹に、美味しいことは美味しいのであるが、和食が食べられるのは相当難しいことなのだろうと樹は思った。
朝の野犬亭。
夕方から夜にかけては、酒場として賑わっている野犬亭も、客席部分にいるのは樹とズラトとシフォン、アクィラとシエラにショーンだけである。
「てめぇには、オレらの仲間としてやってもらいたい事がある」
むしろ、この話を今まで持ち出してこない方が不思議だった。
野犬亭に厄介になる以上、衣食住が与えられる代わりに働かなければならない。樹とズラトがニートしてやる理由もないわけで、対価を支払う必要があるのだが、問題はその仕事の内容である。
「早い話がなんでも屋。イツキやポラリスに助けられてもらったように害獣の駆除とか、その他もろもろの仕事を行うっていうわけなの」
シフォンの説明は樹の予想通りだった。
要は冒険者である。
RPGではおなじみの職業ではあるが、その仕事をすることになるとは、三ツ沢公園にいた時には想像もつかなかった。
「ショーンの、イツキの評価は?」
「アクィラとシエラにも教えるが、イツキは類を見ない能力を持っている。唯一無二といってもいい。が、戦闘力がまるでない。てめぇもわかってるんだろ?」
他者に対して攻撃的な態度を取ったのは小学生以来だろうか。それから今に至るまで暴力とは無縁だった。それだけに昨日の赤毛狼との戦闘は、未経験者にしてはよく反応できたほうだとは言えるが、攻撃方法がズラトに頼っての突撃だけしかないのは問題だった。
事実、ボスと体当たり勝負に負けており、ショーンが現われなかったら死んでいた。
「その能力とはなんだ?」
アクィラの問いに、ショーンは軽く樹に目配せをする。それだけで樹はショーンがやらせたいことがわかった。
全員が中庭に移動する。
今日のカラパの天気は晴れ。爽やかに駆け抜ける風が心地よく、樹の頬を撫でていく。
時刻はいったい何時ぐらいなのだろう。
腕時計は機能しているが、あまり役に立ってはいない。
ただ、日が出てかなりの時間が経っているにも関わらず、それほど暑くはなってはいない。
樹が命令を伝えて。ズラトを変形させるとシエラが歓声を上げた。
「すっげぇーっ これがイツキのところのテクノロシジーっていう奴か。乗っていいか?」
パラトルーパーを理解するには、口であれこれ言うよりも載せて走らせたほうが早いのであるが、樹は首を横に振る。
「悪いけど、時間に余裕がない」
「だろうな」
樹としてはやぶさかではないのだが、パラトルーパーは非常に目立つ。今は目立つことができない。
シエラは後輪に注目している。
「この歯車が面白いわね~ なんに使うの~」
「それはスプロケットといって、切り替えることで速度を変えられるんですよ」
樹はラックスタンドでパラトルーパーが立っていることをいいことに、ペダルを回す。ペダルにつながったチェーンに連動して後輪が回転し、右側のギアを押すことで、ワイヤにつながったDEOREの|後段変速機<<リアディレーラー>>が作動して、チェーンを大きめのギアへと載せていく。
「後ろのギアが大きいほど、急坂が登りやすくなります」
「なるほど~」
「こいつはどれだけ飛ばせるんだ」
ショーンが一番重要なことを聞いてきた。
「シフォン。昨日の走りはどう?」
乗ってみた奴の感想が一番早いということで、シフォンに投げてみたのであるが、シフォンは首を横に回すばかりで答えになっていない。
ショーンが邪悪な笑みを浮かべた。
「漏らしたか」
「漏らしてません!!」
「漏らした味はいい味か? それとも苦い味か?」
「だから漏らしてませんってば」
女の子に堂々とセクハラかますショーンは最低だった。
「こいつはどれだけ早い?」
セクハラをするだけしておいて、ショーンは本題に戻る。
「まず最初に言っておきますが、自転車は基本的に遅い乗り物です。動力が自分の足なので、徒歩の数倍の速度しかでません。下り坂は快感ですが、登りと逆風は地獄です」
「簡単に地獄って言うな。たるんでるなあ」
ショーンの茶々を樹は無視する。
「でも、これはただのジテンシャではないんだろ」
「|ポラリス<<ズラト>>ちゃんが変わった姿なんか信じられないわね」
持ち主である樹であるも、未だにズラトがパラトルーパーに変形するなどとは信じられないのだから、他人は尚更だろう。
「ぶっちゃけ、こいつはポラリスなのですっげぇ速さでぶっ飛ばせます」
説明が難しい。
通常の自転車の速度は平均時速15km。下り坂やロードバイクでは30kmは出せるが、違う世界の人達に概念を説明するのは難しい。
少し思考して、既存の物と比較する事にした。
「…ウマは軽くぶっちぎれるかと」
「空を飛ぶ奴に対抗できるかどうか難しいが、充分だ」
この世界ではウマのような動物は多数見かけたが、せいぜい馬車といったところで、バイクや車はもちろん、自転車さえも見なかった。つまり、飛脚やタクシー利用なら充分ということである。
「面白そうじゃないか。これなら充分に稼げるぜ」
「あらあら。アクィラちゃんって、せっかちねぇ」
「そういう問題ですか」
パラトルーパーから、ズラトに戻して店内に戻る。
「この世界について、教えてくれませんか」
「あいよ」
予想されていたのか、樹の求めに応じて、アクィラが何処からか取り出した地図をテーブルいっぱいに広げた。
書かれている文字を見て、樹は頭を抱えた。
「どうしたの? イツキ」
樹は正直に告白することした。
これから頼りにされ、頼りにする仲間に隠し事をしても、いい事なんて一つもない。
「実は…字がわからない」
一瞬、間が空いた。
「字がわからないの? 言葉は喋るのに?」
「あらあら。イツキちゃんは異世界人だものね」
「言葉が通じる方が変だよな」
それは樹も思った。
「魔法で覚えさせるのが手っ取り早いんだが、それはそれで面倒でコストもかかるからなあ」
嘆いていても喚いていても、字が読めないという大問題は解決しないし、冷静に対応しなければならない。
もっとも、魔法で解決させる手段があるのが驚きだった。
「解決できるんですか?」
「魔法使いに翻訳の魔法を掛けてもらうか、翻訳の護符を使うとか、でも、高いし、そういうのは違うような気がする」
金さえかければ解決できる手段があるのは理解できたけれど、アクィラの言うことも樹には理解できる。
が、魔法が使えないとなれば、地道なやるしかない。
樹は英単語をいくつか思い浮かべてみた。
英語の成績はそこそこだったが、ネイティブというほどでもない。
「勉強しかないよな、勉強」
ショーンが楽しそうなのは、気のせいではないだろう。
なんで、邪悪に笑ってくれるんだこの人は、と樹は頭が痛くなった。
「学費とかは必要なんですか?」
「この国は、聖帝陛下の意志で最低限の教育は、タダで受けさせてもらえるからな」
「聖帝陛下って、何者?」
樹からすれば、聖帝というからには、子供たちを大量に強制労働させてピラミッドを作らせたり「逃げぬ、媚びぬ、顧みぬ」とでも叫んだりするのだろうかと思ってしまう。
「イツキくんは、本当に異世界の人なのね」
「聖帝陛下とはこの国、ヴェストファーレン帝国皇帝のラーシュ陛下のこと。剣皇と共に戦い、この地に平和と秩序を取り戻した英雄ということで、崇められているんだ。気をつけろよ、イツキ。国王批判は不敬罪だが、特に聖帝陛下の悪口を言おうもんなら、そっ首飛ぶぞ」
「実名も言ってはいけないわけ?」
「そういうこと」
タイとか、トルコみたいなものだろう。
国王というのは国の象徴である以上、崇められるのも批判禁止なのも当然だとはいえ、実名さえも呼ばれるのさえもはばかれるのは、特別中の特別といってもいい。
樹は地図を見る。
この世界を移した地図は、大きく三つに分かれている。
東と西に大きな大陸があり、その間を隔てる海の中にいくつもの島々がある。
樹には文字読めないが、色分けされているので、区域の所属は分かる。注目する点は中央の群島と、東大陸のほとんどの区域が黄色に塗られている。
「オレたちが住んでいるのは、ヴェストファーレン帝国なんですよね」
色面積から察すると、大帝国と見ていい。
「そうだな」
西大陸は群雄割拠という状態ではあるが、それでも樹にすれば意外に統一されている感があった。
「その帝国のどこに住んでいるんですか?」
「ここよ」
シエラはニコヤカに指を差したが、樹は嫌な予感がした。
シフォンは住んでいる都市をカラパといった。
シエラが指を差したのは、東大陸における黄色以外の最大勢力に突っ込んでいる場所だった。
「シエラさん」
「はい。なんでしょう?」
「この地域は、友好国ですよね」
「敵国だよ。ばーか」
樹のほんの僅かな希望を、ショーンが楽しそうに打ち砕いた。
「ついでにいうと、元々カラパはヴェストファーレンの占領地で、その支配も揺らいでいるというとっても素敵な場所だ」
「どこが素敵な場所なんですか!!!」
日本みたいな安全な場所は高望みだとはいえ、少しでも、安全な場所であったら良かったのにと思わなかったら嘘になる。
同じ戦地であっても後方基地みたいな場所を期待していたのに、ショーンの話からすれば、ここは前線。しかも、旧来の支配地ではなく、最近になって支配した場所しただというから、ハードにもほどがある。
樹は、バグダットやカブールにいるものだと思うと、頭が痛くなってきた。
……生きていけるのだろうか。
それよりも気になることがあった。
「どうした? ポラリス」
ズラトは樹が声を発してから少し後に、自分が呼ばれたことに気づいて反応する。
「なんだ? 汝」
「さっきから黙っているから。身体の具合でも悪い?」
「おう。調子悪いぞ」」
絶対に嘘だ。
下に降りてからというもの、ズラトの口数が少ないのが引っかかった。
「ポラリスちゃん、どうしたの? 元気なさそうだけど」
シエラは優しいんだけど……その優しさが、樹には時には怖く感じることがある。
「ちょっと寒い…かな?」
「じゃあ、おねーさんが暖めてあげるわね~」
ズラトが逃げる間もなく、がっちりとシエラに抱きしめられる。
「や、やめぃ…」
「照れないの。苦しいのも痛いのも最初のうちだから~」
「ショーンさん」
「なんだ?」
「シエラさんって、怖いような気がするのは気のせいでしょうか」
「気のせいなんかじゃねえぞ。うちのギルドで一番恐ろしいのはシエラだ。見ている分には面白いが」
樹としては同意したいところではあるが、それはそれでズラトがかわいそうすぎる。
「楽しいのは分かるが、時間がないからちゃっちゃっとやるぞ」
「はあい」
アクィラに促されて、残念そうにシエラが放れる。
ズラトはホッとするが。
「へぇ~ すっかり甘々じゃねーか。おい」
ズラトがそっと樹の手を握りしめてきたのを、ショーンが見逃してはくれなかった。
「………」
ズラトは赤面する。
反論したくても図星をついているので反論できなかった。
その分の怒りが、力の増加で跳ね返ってくるのだから、樹としては勘弁してくれと言いたくなる。
「楽しそうですね。ショーンさん」
「楽しい? んなわけねーだろ。てめぇがモテモテだから、嫌がらせしているだけだ」
「流石、師匠。性格悪いっすね」
「誰が性格悪いだと?」
「いだいいだい、いだいっすよーししょうーーっっ!!」
そりゃ、アンタだとツッコミたくなるけど、男女平等に突っ込まれるのが明白なので、心の中で言うだけに留めた。
「ショーンも遊ばない。これから魔接石の登録があるんだから」
シフォン相手には傍若無人であるが、アクィラの言うことは聞くようである。
「魔接石?」
要は自分専用のsuicaやpasimoのようなもので、カルパに入る時には、これで身分照会をしていた。
「役所での登録が必要なのでは」
「役所の登録も必要なんだけど、その前に魔接石本体を自身の物にする必要があるんだ。ちくっとするけど、男の子だろ。我慢しろよ」
ショーンなら絶対に"ちくっ"レベルではすまないのであるが、アクィラなら信用はできるのだろう。
人が悪い笑顔をしているのが、気にはあるが。
「了解」
樹は、一差し指を出すとアクィラが用意したナイフで、一差し指をついた。
かすかに痛い。
アクィラはナイフについた樹の血を、取り出した魔接石につけると一言二言、呪文を唱えた。
魔接石が発光する。
「これで登録完了っと。どうだ、痛くなかったろ」
「少しは痛かったですけどね」
「それじゃ、今度はポラリスにも行くぞ。ふっふっふっ」
どうして、この界隈には人が悪い連中が集まるのかなと樹は思った。
ズラトの認証が終えた後、樹は疑問を口にした。
「魔接石の認証が済んだとはいえ、役所に行かなくてはいけないんですよね」
都市に入るには、ゲートで認証を受けなくては入れないのであるが、そのためには役所での登録を受けなくてはいけない。
樹にしても、ズラトにしても登録すべき情報がないのが問題。
スパイ映画のように、身元を偽造せざるおえなくなるという展開になるとは、樹にも想像ができなかった。
無論、賄賂で潜り抜けるという手もあるが、町に入るたびに行っていては金がいくらあっても足りないので、どうしても正規の身分が必要になってくる。
「方法はいくらでもある。でも、時間は必要だ」
賄賂が効くぐらいなのだから手段はいくらでもあるが、それなりに手間と予算がかかるのは言うまでもない。
そして、その予算は樹が働いて返すことになる。
気が重いがやるしかない。
「今のイツキの実力では実戦には出せないから、修行期間にはちょうどいいかもな。そこで、イツキには行くべきところがある」
それが修行の場だろう。
「今日の予定はシフォンの後についていけ、以上だ。シフォンもわかったな」
「あそこですか?」
「あそこだ」
シフォンとショーンにすれば定番というべき場所なのだろう。
ショーンだけだったら不安になるが、シフォンも絡んでいるだけに何ともいえない。
「我は?」
「ポラリスは働いてもらう。タダメシ喰わせる余裕もなければ、イツキばかりに働かせるのも不公平だからな。アクィラとシエラの手伝いだ。以上」
「…わかった」
何をされるか分からないが、野犬亭の一員になったからには選択の余地なぞない。
「決まったからには、イツキもとっとと行ってこい」
ショーンの一言でイツキは立ち上がる。
「それでは、ショーンさん、アクィラさん、シエラさん。それとズラト…いってきます」
「それととはなんだ。まあ、そのなんだ。無事に行ってこい」
シフォンと連れだって、街の雑踏に消えていく樹に表現不可能ないらだちを覚えたズラトであったが、その余韻に浸る余裕はなかった。
小さい肩を叩かれて、ズラトが振り向くとそこには満面の笑みを浮かべたアクィラとシエラがいる。
その背後には、悪魔じみた笑みを浮かべたショーン。
「野犬亭の一員になったからには、キリキリ働いてもらうぞ。ちびっ子」
「ちょうど新人が欲しいと思っていたところなんだ。楽しみだなあ」
「痛いのも怖いのも最初のうちだから♪」
ズラトからすれば、この三人が悪魔にしか見えなかったが、助けてくれる者は誰もいない。力を振るうわけにもいかない。
絶・対・絶・命
「シエラ、頼むな」
「アクィラちゃんも一緒にいかないの?」
「ちょっと仕事があるから」
「という訳で、行きましょうか。ポラリスちゃん」
「や、ややめろっっ、は、はなせ~」
たおやかな見た目とは裏腹に強い、シエラに背筋を引っ張られて、ズラトは店内から消えていった。




