第一章1 『泡沫に消える夢物語1』
死ぬ間際の人間が見るとされる走馬灯。それが日常的に、視界に現れるとしたらどうだろうか。
チラチラと見える灯火。それをスクリーンとして映る数々の思い出。今まで思い出すことさえできなかったそれが、日常的に現れるとしたら。
「そりゃ怖いな」
そう、怖いのだ。怖いに決まっている。なのに、この男は。
「なんでそう、平然と……」
「なんでだろうなあ。……それだけ、だからじゃないか?」
私の前であぐら――ではなく、座禅を組みつつ話を聞く同級生、安出琉千。悔しいし認めたくないけれど、顔は整っている。だがモテない。理由はといえば、その素行に問題がある。
まず、常に上半身が裸なのだ。それなりに鍛えているのだろうか。見栄えは悪くない肉体を惜しげもなく晒し、あまつさえその状態で授業を受けている。教師も半ば諦めているようだ。
次に、『僕は王様だ』と豪語するところ。あれは入学式のことだったか。教室での自己紹介時に、
『僕は王様だ。オマエたち全員家臣にしてやる。光栄に思えよ』
などとのたまり、当然のごとくぼっちになる。
「それにしても、クラス一の才女が僕のところに来るとは……フッ、惚れたか?」
「キミがぼっちだからだよ……」
そう、ぼっちであること。それこそ末池杏奈が、彼を相談相手に選んだ理由だった。
アンナは特別彼を意識してはいない。むしろ早々に『見なかったこと』として記憶から排除していた。それをわざわざこうして、再び彼の強烈な姿を目に焼き付けることになった理由に、冒頭の問題がある。
「なんだ、違うのか。ふぅ……走馬灯ね」
「別に、何か答えを期待しているわけじゃないんだけど。ただ誰かに相談したかった、それだけだから……ほら、キミなら誰かにバラす前に、」
「バラす相手がいない、……そう言いたいんだろう? クソ、悪趣味な女め」
「……キミって結構、毒吐くんだ」
彼のことを知って、そして忘れて一年。その間一度も接することのなかった彼のことを、こうして改めて知ることになるとは思いもしなかった。
「今さらそんなことを言われてもな……まあオマエだけじゃなく、クラスの誰もが僕のことを見て見ぬフリしてたんだから、知らないのも当然だな。や、そのことを責めるつもりはないんだ。……でも、」
そこで切り、ヤスダは立ち上がった。
「僕以外に相談できる相手がいないオマエも、似たようなものじゃないのか?」
「……本当、遠慮の壁っていうものが存在しないなあ」
まあ、事実だ。
アンナはクラスだけではなく、学年でもトップクラスの成績を誇っている。そのせいか、クラスメイトは皆アンナに対し一歩引いているような節がある。
別にそのこと自体は気にしていない。が、他人にこうも言われてしまうと頭に来るものがある。
「遠慮なんてしてたら相談相手は務まらん。そうだろう? だからほら、」
言いつつ、誰もいない空き教室で一人座禅を組んでいた自称王様は両手を広げ、
「ここには誰もいないし、オマエも遠慮する必要はない。存分に助けを乞え」
「うわー上から目線。嫌になるなあ……」
嫌になる、けれど。
妙に自信たっぷりのその姿に、アンナは苦笑を漏らすのだった。
◇◇◇
始まりは、特になんでもない日常の一時からだった。
「おっと……」
「あ、ごめん。急いでたから……」
鼻歌交じりにスキップをする女子生徒とぶつかりそうになり、それをかわして。
別に気にするほどのことでもない。相手もしっかりと謝ってくれたし、何よりここ最近睡眠時間が足りず、アンナ自身不注意だったところもある。
……しかし、不注意どころの話ではなかった。
前述のそれに加え、やけに人にぶつかりそうになるのだ。それだけではなく、授業中に教科書を十分な声量で音読したつもりだったのに「聞こえない」と読み直しを求められたり。
そんなミスが続き、疲れているのかと思い始めた時だった。
不意に、視界の端にチリチリと何かが浮かんでいた。
(……あれ、これ、なんだ?)
小さかったそれは次第に大きくなり、はっきりと視界に入るようになる。
そしてしばらくして、その灯火に『思い出』がスライドショーのように流れるようになったのだ。
もはや睡眠時間の不足どころの話ではない。
そして感じたのは恐怖だった。だって、それはまるで――、
「走馬灯のようだった……と。いや、気にしすぎだろ」
「そんなことないってば。現に今だって見えてるんだから」
「ほぉ、例えばどんな思い出が?」
「……い、言えない」
「あぁ?」
また座禅の体勢に戻り話を聞いていたヤスダだったが、そんなアンナの態度にしかめ面になる。
だが仕方ないではないか。今現在、アンナの顔は真っ赤に染まっていることだろう。
アンナの視界にあるそれは――
(『お母さんにべったりしてるところ』なんて言えない……!)
実はアンナ、大の母親っ娘である。
まさかそれをヤスダに知られるわけにはいかず、真っ赤な顔でダンマリを決め込むアンナ。それを見て何を思ったのかヤスダは、
「ははーん、なるほど。広いとはいえ、一つの空間に男女が二人きり。意識もしてしまうだろう。なに、緊張することは」
「いや、意識とかまったくしてないから」
「……さ、さっきも言っただろう? 遠慮は必要ないと――」
「遠慮とかじゃなくて、全然、ええ」
「…………」
何を勘違いしているのかは知らないが、きっと彼が考えているようなことではない。それは間違いない。
「とまあ、そんな具合。さっきも言ったけど、解決策を求めてるわけじゃないよ。ただ誰かに言いたかっただけだから。……ところでさ、遠慮しなくていいって言うなら、質問してもいい?」
「ん? ああ……まだ相談に対する答えを出してないけど」
「だからそれはいいんだって。で、なんでキミはこんなところで座禅組んでるの?」
実は、ヤスダが放課後になるとこの空き教室にいるのは周知の事実だ。いつしかこの教室は、誰がそう呼び始めたのかはわからないが『王の座』と呼ばれるようになっていた。……自称王様の座す教室。なんだそれ。
「……それを聞くか。いや、たしかに遠慮するなとは言ったけど……まあいい、答えよう」
「うんうん」
「僕がここにいる理由、それは――」
「やっほー! 初めまして、一年の水宮秘女でーす! えっと、るーちんさんに用があってお尋ね申しました!」
ヤスダの口が開こうとしたその瞬間、騒がしい訪問者によってそれは閉ざされてしまった。逆にアンナの口はポカンと開いたままだ。
その威勢のいい女子生徒はどこかで見た覚えがあった。たしか、……そう、先ほどの話にも出てきたスキップ少女。
セミロングの髪はウェーブがかかっていて、ふんわりとしたイメージを保っている。アンナと同じ制服を着ているはずなのに、胸元がゆったりとしていたり妙に足元が肌色多めだったり、なんというか、イマドキ、といった感じだった。オシャレに疎いアンナにはそう理解するのが精いっぱいなのである。
「……随分早いな。オマエ、いったいどれほど好き勝手したんだ?」
「はて、好き勝手の意味がわからないけど……んーとね、とりあえず憶えてた通りに、ここに来ましたよん」
さて、状況を把握しよう。
アンナはヤスダに相談しようと空き教室にいた。そしてその最中、話題は『なぜヤスダはここにいるのか』というものに移り、その話題が膨らもうとしていたところに乱入者が現れた。
ざっとこんなところか。
「あ、あの? この子は?」
「さっきわざわざ自己紹介してくれただろう。もう忘れたのか? 鶏頭」
「んなーっ!?」
「仕方ないから僕が教えてやる。彼女は一年四組の水宮秘女。そろそろヤバくなってきたから、僕の言った通りにここに来たまでだ」
「いやいやぁ、ヒメでいいですよぅ。……まあアタシ、ヤスダ先輩に言われたことしか憶えてないんですけどね?」
アンナは見逃さなかった。ヒメという少女が『憶えていない』と告げた瞬間のヤスダの顔を。
何か、不穏なものを感じさせる表情だった。
「……オマエ、自己紹介してみろ」
「へ? なんで――」
「いいから。ここに来たってことは、大分追いつめられてるはずだろう」
「あー……」
ヤスダの有無を言わせぬ強い口調に押し負け、ヒメは照れ臭そうに自己紹介を始めた。
「なんか、こういうの恥ずかしー! はい、では改めて……一年四組の水宮秘女です! 好きなものはカッコいい人、嫌いなものはなんか怖い女の人、趣味はー……えっと、たぶんあったんだろうけど忘れちゃいました☆」
「――それだ。オマエ、もう記憶まで代償にかけてるのか」
「へ……」
先ほどまでのおちゃらけた口調とは違い、随分と迫力のある声。それを出したのがヤスダだということに気づき、そして困惑する。
「えっと、どうしたの? なんか恐いんだけど……」
「悪いけど、深刻度からオマエの相談は後回しにする」
ヤスダは先ほどまでの恐い表情を引っ込め、また調子に乗った笑顔を浮かべた。
「なに、ちょっとばかり面倒事を片付けるだけだ。心配しなくても、オマエの相談事もしっかり解決してやるよ」
「あの、言ってることの意味が――」
「わからなくていい。この程度のことを理解できないなら説明するだけ無駄だ」
「ま、またバカにしたーっ!?」
「それよりも、おい、ヒメ! オマエの教室に連れて行け!」
「ん? なんだかよくわからないけど、ラジバンダリーです!」
「……ん?」
なんだか一瞬、聞きなれない言葉が聞こえた気がして、アンナとヤスダは顔を見合わせた。
「……ラジャー、でしたね。間違えました、てへ?」




