王太子と婚約せよと言う王命 その5 (本編完結)
サリマン帝国皇帝とアルスラン辺境伯とトラキア大公、そして前ローゼンバーグ公爵夫人が顔を付き合わせて話し合えば、その場でローゼンバーグ公爵領のトラキア大公国への統合とアイシャとアレンの婚姻が決まった。
なんせ皇帝が居るのだ、アイシャはアルスラン辺境伯家に嫁ぐのだから、その場で皇帝自らが許可のサインをすれば良い。
当然、トラキア大公国はサリマン帝国が後ろ楯になるのだ、もし万が一にでもルミニア王国が戦う素振りをみせれば、その時点で合同軍が王国を制圧することも決められた。
翌日には公爵も前公爵も到着して、統合の調印を終えた。
ローゼンバーグ公爵家の寄り子家も続々と祝いに集まると、サリマン帝国皇帝との謁見が叶うとか奇跡か!と感動の坩堝と化した。
国際会議の様相の中、思いの外気を揉んだのは花婿の登場であった。
「アレンはまだ来ないのか」
予定通りに教会での式を上げることに決まったのだが、挙式が一時間後に迫るこの時も、花婿が姿を現さない。
アレン、どうして。アレン、どうして来てくれないの。
花嫁衣装を身に纏い、美しく装ったアイシャの表情は暗い。
「わたくしのこと、お嫁さんにしたくなかったのかしら」
珍しく自信喪失に陥るアイシャに、
「へえ、お前も落ち込んだりするんだね」
兄は気にも留めない様子で慰めもしない。
「お兄様、わたくし今はお兄様の相手をしてられないの。どこかに行って頂戴」
減らず口もキレが無く、泣かないように奥歯を噛み締めているアイシャを、レオンが目を細めて眺め、それから
「大丈夫だ。アレンはお前が惚れた通りの良い男だ。信じて待って居れば良い」
そう言って、頭を雑に撫でて出て行った。
式を遅らそうと言う話し合いが両家で持たれた頃、アレンと夫人を乗せた馬車がやっと大公国の大聖堂に滑り込んで来て、
「申し訳ありません」
アレンが馬車から飛び降りて、直角に腰を折って謝罪して、そのまま走ってアイシャの控え室へと飛び込んだ。
「姫様、待たせてごめん」
扉の開く音と同時のアレンの声に、アイシャは弾かれたように立ち上がってアレンを見た。
「アレン。アレンはわたくしとの婚姻が嫌で出奔してしまったかと思って」
そう言って、ポロポロと涙を溢すアイシャの前に飛び出して、その手を取って膝をついた。
「姫様、いやアイシャ姫。俺なんかしがない騎士もどきが、皇帝の大姪をお嫁になんて大それたことを願う筈もなく。いつか忘れてしまう世迷い事だと自分に言い聞かせておりました。
ですが、アイシャ姫はその身分を以て願って、大国の思惑も、過去の因縁もみんな使って、本当に願いを叶えてしまった。
でも求婚だけ、もう結婚は決まっていることだけど、求婚だけは俺からさせて欲しい。
アイシャ姫、どうか俺の嫁になって下さい」
額に手をあてての求婚に、夢にまでみた場面に、アイシャの顔は赤くなって言葉が喉から出てこなくなった。
「姫様、アイシャ姫」
長い沈黙に耐えかねて、アレンが申し訳無さそうに声をかけると、アイシャも意識を戻したようで
「アレンのお嫁さんにしてください」
掠れた声でそう答えたのだった。
トントンと扉の叩く音。
「式の時間だけど、アイシャどうするの」
兄の少し笑いを含んだ声に、アレンは立ち上がってポケットから指輪を出した。
「遅れたのは、この婚約指輪を特急で作らせてたからなんだ。婚約を飛ばしたから無しなんて言うことはしたくなくて。俺の色の、ブラックダイヤの婚約指輪を貰ってくれ」
そう言って、アイシャの左手の薬指に指輪を嵌めた。
「これが遅れた理由」
「そう、ゴメンね。父さんは後で良いなんて言ったんだけど、俺と母さんは一生の事だから今日渡すんだって領地で粘って。職人に無理をさせたから帰ったら労らないと」
「ええ、わたくしも感謝に伺うわ。あなたと一緒に」
そうして、予定通りに式は開始されて、多くの列席者の見守るなか、女神に永遠の愛を誓い、初めての誓いのキスをしたのだった。
披露宴を恙無く終えると、初夜はアルスラン辺境伯家に帰ってからと言う大勢の意見にアレンとローゼンバーグ前公爵夫人のお祖母様が真っ向から異を唱え、
「ルミニアの王太子だかへっぽこだかが、万が一にもアイシャを拐って妃にするようなことの無いように、俺は初夜を決行する!」
「結婚して初夜も終えた花嫁を拐うなど、それは嫁取りではなくて誘拐よ。一分の隙の無いように、きちんと初夜も遂げないと!」
そう口々に言い連ねる圧に流され、と言うか、たぶん婚約状態を無かった事にされて半ば拐われたような母セレスティアのことを皆が思い出して、こちらも恙無く終わった。
辺境家の武骨な騎士であるアレンと自分は両親みたいな関係にはならないだろうな、と思っていたアイシャは、翌朝から甲斐甲斐しく自身の世話を焼くアレンに、母の口に葡萄を運ぶ父の姿が重なって、え、ええ?と戸惑ったり、嬉しかったり、恥ずかしかったりと感情の揺れ幅に振り回された。
そして、そんな溺愛始まりましたの最中、飛んで火に入ってきたお邪魔虫、ルミニア王国王太子の王命に、アレンのお猪口の裏の堪忍袋が割れ弾けて、ヒャーハーしたのだった。
王太子の王命を知った王妃からの連絡を受けた大陸外遊中の国王と宰相は、予定を変更してすぐさま帰国した。
連絡を受けた王妃は、即座に謝罪文を出し許しを乞うたが、アドリアンが読み上げた王太子の王命書をダラムが持って帰ってきて、それを読むや血圧が上がって倒れた。
帰国早々、国王と宰相が、トラキア大公国に統合されたルミニアに一番近い伯爵領で会談を行って、ローゼンバーグ公爵領と一門の統合は言うまでも無く、それ以外に、南の半島の港を自由に利用できる百年間の使用権を与えることにさえなってしまった。
ルミニア王国は先代の頃から三分の一と小さくなって、港の使用権も無くなりより貧しくなったが、独立国として依然存在していた。
今回の責任を取って、国王レオポルトはアドリアンに王位を譲り、東の離宮で倒れて身体の不自由になった王妃の世話をして過ごした。
アドリアンは、トラキア大公国で負った傷が癒えぬ中、国王としての責務を果たすことになった。
腰の痛みを感じる度に、ああ、不干渉と言う国の約束を違えるのでは無かったと、後悔ばかりが胸を襲うのだった。
アイシャは嫁いだアルスラン辺境伯家で、超特急で婚約指輪を作ってくれた職人を慰労して、彼らの願いを聞いて歩いた。
ある者は、夜も作業が出来るような灯りが欲しいと言い、ある者は住居が手狭で弟子が取れないと言う。
その一つ一つを丁寧に対処して願いを叶えた。
辺境伯家は大公国との交易でも利益を得て、繁栄していった。
「アレン、わたくしの願いはだいたい叶うのよね」
フフフと笑い声を上げながら、その腹を撫でた。
「ああ、アイシャの願いは俺が叶えるよ。何が望み?」
アイシャを膝に乗せながら、同じように腹を撫でて、アレンが聞いた。
「元気な子が生まれて欲しいわ。あなたに似た可愛い子が」
「その願いはどうかな。俺は君に似た可愛い子が嬉しいな」
「元気なら良いわ。かあ様はあなたを待ってるわ」
わたくしの願いはだいたい叶うんだから。




