王太子と婚約せよと言う王命 その4
ローゼンバーグ公爵家からもたらされた婚姻祝いの数々の中に、真っ白なウエディングドレスも入っていた。
「今からでは間に合わないと思っていたのだけれど」
母がその豪華なドレスのチュールを撫でながら呟いた。
「まあ急にこうなるとは思わなかったけれど、以前滞在した時に依頼しておりたのよ。母としてあなたが用意したかったかもしれないけれど、老い先短い母に今回は譲って頂戴な。その分レオンの時にはせいぜい張り切りなさい」
「そうよ、足りなかったらうちの子たち、まだ三人共結婚していないのだもの、どれでも手も口も出して頂戴な」
祖母と伯母が母に気遣いを見せ、母も笑顔を向けて、ウフフオホホと笑い声が室内に広がった。
そこに、サリマン帝国第10代皇帝スレイマン・オスサノウルとアルスラン辺境伯オルハン・アルスランが兄レオンと護衛たち共にやって来たと言う知らせがもたらされた。
突然の皇帝の来城に、父も大臣たちも大慌てで謁見の席を儲けたと言う。
知らせに来た兄に、婚約から結婚に変えるようにと祖母がしれっと指示を出した。
「ええ!婚約だって数日じゃ大変なのにけ、結婚!?」
兄が慌てて大きな驚きの声を上げたが、祖母はええそうよ、と答えると、兄の侍従に謁見の場に祖母が参る旨を大公に伝えるようにと言った。
直ぐ様、大公国の宰相が迎えに来て、祖母は伯母を連れてその場に赴いていった。
「なぜ伯父様が来られたの?帝都は遠く、ここまで馬車では一週間はかかるでしょう?」
アイシャの問いに、兄は遠い目をして
「辺境伯家に居たんだよ。少ない供を連れてお前の婚約の話を詰めに来たらしい。
そこに俺たちがやって来ただろう?ルミニア王国の王太子が王命でアイシャと婚約しようとしていると言う話と共に。
すぐに皇帝に火が着いてな、戦の準備を指示して供たちは帝都に引き返し、辺境伯と戦略を練り始めた。そこで、今回のトラキア大公国の態度を伝えた所、では参ろうと即決されて、俺はとんぼ返りした訳」
「アレンは?なぜアレンがおりませんの?花婿が居ないなんて式になりませんし、婚姻宣誓書に署名しなくちゃ神に認めて貰えないわ」
兄の心労なぞ気にも止めず、一緒に行ったはずのアレンが、従者としてもう8年も兄の後ろに控えていたアレンが居ないことにアイシャは取り乱した。
「心配することはない、アルスラン辺境伯家で婚約式に出る為の衣装を急いで設えなければならないと夫人が焦ってな、そのまま採寸になったので置いてきた。準備を終えたら一緒に馬車でこちらへ来るそうだ。辺境伯家からなら馬車でも半日で着くからな、夫人は自分のドレスの準備も間に合わないとお困りだったぞ」
その兄の言葉に、アイシャは焦り、
「婚約式から婚姻式に変わったことを急いでお知らせしなければ!お兄様、もう一度アルスラン家へと走って下さいませ」
帰ってきて早々、服も着替えもしないままの兄へとムチャぶりをした。
さすがにそれは嫌だったようで、眉間にシワを寄せて不機嫌さをみせた兄に、
「夫人が婚姻式だと知らずにドレスを選んだとなれば末代までの恥となるやもしれません。レオン、アルスラン家とトラキアのこれからの縁に傷をつけないために、頑張って頂戴。あなたは次期大公なのですから」
母は慈愛に満ちた目を息子に向けながら息子が断れない言葉でアイシャのムチャぶりを肯定した。
はあぁと長いため息をはいた後、兄レオンは護衛を伴って、本日二度目のアルスラン辺境伯家への道を早馬で走るのだった。
ルミニア王国の王太子アドリアンは、意気揚々とトラキア大公国へ向かった。
手には、トラキア大公女であるアイシャ・フォン・トラキアへの自分との婚約を命ずる羊皮紙を持って。
王命による婚約であるから、万が一にも拒否なんてされるはずもない。
しかし、王命を出すに当たって、国璽がルミニア王城には無かった。
それもそうだ、現在父親であるレオポルト国王が南の海を渡った大陸の国へと宰相を伴って公式訪問している。ルミニア王国の南の海岸に、大陸から不法移民が大挙して渡って来ており大問題となっていることへの抗議のための訪問であった
勝手にやって来るそっちの国民をうちが対処するのおかしくない?そっちで、大陸の国々で自国で対処してよね、プンプン。
そう言う話を、大陸の国中とつけて回って協定に署名捺印するのだから、当然国璽は持って行ってしまっていた。
だからアドリアンの持っている羊皮紙には国王の署名も国璽も無い、けれども、ルミニア王国の王太子であり次期国王のドリアンの署名と捺印があるから特別問題など無いとばかりに、王宮の一級書記官に命じて作らせた本物そっくりな立派な物であった。
アドリアンは今回、お忍びの旅である。
母の王妃に『王太子の王命でトラキア大公女を婚約者にする』なんて言ったら、たぶん軟禁されてしまう。
以前、父に言った時の両親と宰相の慌てぶりは酷かった。
進言を撤回しても心底反省するまで自由を与えないと宣言され、自室での軟禁は半年に及んだ。
その間誰とも会うことも出来ず、食事も部屋で独り。
与えられたのはルミニア王国史全集と王国と周辺国で取り交わされている条約協定全集最新版だけ。
余りの暇さにパラパラと読んでみたところ、ナルセオラ王家に金が無いのは20年前に父がローゼンバーグ公爵家の令嬢であった大公妃を婚約破棄したからだと知った。
なら、その責任を息子の俺が取って、その大公女を王妃にしてやれば良いのでは無いか。
なんせ、婚約破棄の慰謝料で、ローゼンバーグ公爵家には百年の免税権を与えているのだ、いくらなんでも不当だ。あと八十年も免税なんて、狂っている。
どんな女か知らないが、王妃にしてやって、気に入らなきゃ愛妾を召し上げれば事足りる。
大公国自体が、父の異母兄が王領地を与えられただけの、言わば貸してやっている土地だ。
俺が国王になった暁には、不当に利益を貪っているあ奴らをきっちりと締めてやって、財政基盤を正常化するんだ、そうして俺は賢王と歴史書に名を刻まれるのだ。
幽閉を解かれ、手足となる側近たちには少しずつ話を持ちかけた。
特に親しい南の辺境伯家次男のボリスが『王命で婚約者にしてしまえば大公領も公爵家からも税が取りたい放題』とアドバイスをくれた。
王命、王命を出すのなら国王になってからでは?と言う疑問にも、他国では王位継承権保持者が多いため、王太子であっても国王になると決まっている訳では無いが、ルミニアには王子は自分一人で、王位継承者も居無い、この状態で出した王命も効力があるんじゃないか、と言う至極真っ当な回答をくれたので、納得して行動に移したのだ。
付き添いは、ボリスとその乳兄弟リオ、そして母の実家レイ子爵家の従弟のダレオの三名だ、お忍びなのだからしょうがない。
王都を過ぎると直ぐに、街道の様子がおかしいことが気になった。
馬車には俺とダリオが乗り、ボリスとリオが騎乗で馬車の左右を護衛してくれていたのだが、窓から見えるのは街道にズラリと並んだ、重装備の兵隊たち。
その後ろには領主の家紋の入った旗が風に泳いでいた。
「なあ、ダレオ。街道はこんなにズラリと兵士を立たせるものだろうか」
「領主の旗も掲げられていますね、どなたかをお迎えするような。アドリアン様を歓迎されているのでは」
「今回のトラキア行きはお忍びだぞ、歓迎されるはずないだろう」
それに、兵士の向ける視線は決して友好的なものでは無いピリピリしたもので、休憩時間にボリスも
「なにかが起きてるみたいだな、大きな窃盗団なんかを捕まえるのか。戦前のような雰囲気だ。危険だから野宿などせずにきちんとした宿に泊まった方が良いし、日の高い間だけの移動にしよう。危険な感じが漂っている」
と言うので、結局トラキア大公国に着くまで1週間もかかってしまった。
だがそれも仕方がない、俺を護るのは御者を入れても四人しかいないのだから。
トラキア大公国の城門で、門番に羊皮紙を掲げ見せて、馬車の窓から
「我はルミニア王国の王太子アドリアンである。この国の大公女アイシャとの婚約を命ずる王命を渡しに来た、城へ案内せよ」
と大声で叫ぶと、すぐに門が開かれた。
そこには見渡す限り鎧兜を装備した多くの騎士が居並び、その後ろには兵士が槍を構えて臨戦態勢を取って居た。
「ギャ!」
向かいの席のダリオがブルブルと震えながら奇声を上げた。
トラキアの騎士たちが馬車を囲むと、御者になにか話しかけて彼らの後ろに連なって馬車が進み始めた。
石造りの重そうな門が開かれ、そこを何重にも騎士に囲まれて進み、とても王城のエントランスには見えない広場の真ん中で止まった。
御者は騎士に平伏して何かを訴え、赦されたのか兵士に囲まれてどこかへと連れて行かれた。
騎乗で付き添ってくれていたボリスとリオも城門を入った時から姿が見えない。
ドンドンと馬車の扉が叩かれ、外から出てくるようにと呼び掛けられた。
「殿下、呼ばれてますよ。降りないと」
「ダレオお前が先に降りて、この羊皮紙を渡してこい」
「え!しがない子爵家の私なんかが大公女様にお目通りなんて叶いませんよ、殿下がバシッと言ってやるんじゃないですか。そう言ってたじゃないですか」
ダリオがイヤイヤと首を激しく振って、珍しく言い返した。
クソっと舌打ちをして、扉を開け馬車から降りると、そこはコロシアムのように周囲をぐるりと観客席が配置された場所の真ん中で、馬車から数メートルを空けて、騎乗の騎士たち、歩兵たちでいっぱいだった。
「呼んで無いルミニア王国の王太子アドリアン。用があるなら申してみよ」
観客席の一番豪華な席から声がかかって、そちらを見上げてみれば、黒髪の男が立ち上がって声を張った。
あれが、父の異母兄であるキリアン・フォン・トラキア大公だろう。その横に立つのは、同じ黒髪の男、次期大公レオンか。
その後ろの席に座っている、同じ容姿の二人が、大公妃セレスティアと大公女アイシャ、遠くて良く見えないが、北の妖精と呼ばれていた大公妃そっくりと言う噂だ、日の光に煌めく白金の髪。見目は悪くないのだろう。
セレスティア大公妃は我が父に捨てられた女、我が母が選ばれたのだ。
そんな女の娘を王妃に迎えてやるのだ、泣いて喜ぶであろう。
政略結婚の末亡くなった王妃の息子の癖に、要所の王領地を与えられただけの存在が、偉そうにふんぞり返って、伯父にも少しお灸を据えてやろうか。
そう思い返せば先程までの恐れも遠退き、すぅーっと気持ちが落ち着いてきた。
「我はルミニア王国の王太子アドリアンである。ここにあるのは正式な王命書である。トラキア大公女アイシャに王太子との婚約を国王レオポルトの名で命ずる。
この王命によりお飾りとは言え、王妃の座をトラキアにくれてやろう。これでかつて我が父に捨てられた罪深いお前の母大公妃セレスティアも、その生家であるローゼンバーグ公爵家も満足であろう?此れを以て嘗ての命約を破棄し、我が国に即刻服属せよ」
アドリアンの朗々とした芝居かかった声が響き渡った。
その瞬間、ピュンと言う風切り音がした途端にアドリアンが宙に舞って背中側の兵士が犇めいている場所まで飛ばされて、ドサンと言う音と土埃を立てて背中から地面に叩きつけられた。
「グファッ!」
「お前に常識と言うものを教えてやろう。まず、王命は国王が出すもので王太子が出したものは王命じゃねえ」
ドガっと倒れている背を蹴った。
「次にトラキア大公国はルミニア王国でも属国でもねえ、歴とした独立国で他国が王命出そうが関係ねえ」
もう一発蹴りを入れると、アドリアンの胸ぐらを掴んで頭よりも高く持ち上げて
「あとな、ローゼンバーグ公爵領は昨日を以てトラキア大公国に統合されたし、アイシャは俺の嫁だ。お前のお飾りになんてならねぇんだよ」
そう言うと高く放り投げ落ちてきたところを回し蹴りで遠くまで蹴って飛ばした。
ドサンと言う音と共に、ウォォォーと言う兵士達の雄叫びが上がって、茶番はあっという間に終わった。




