王太子と婚約せよと言う王命 その3
「アレン、お前!」
「まあ、アレンあなた!」
テーブルの向こう側にいる両親から全く温度の違う声が揃って上がった。
低く重い声でアレンを呼んだ父を、咎めるような冷たい目を向けた母のおかげで、父の威圧はシュンと萎んだ。
「何を驚いているの、アレン。あなたが言ったじゃない、わたくしの願いはだいたい叶うって。
ですから、デビュタントの後にアレンと婚姻するのはどうしたら良いかと、サリマン帝国皇帝にご相談してましたのよ。大伯父様はお喜び下さって、既に内々でアルスラン辺境伯家に打診して下さったとお手紙も頂いてますの。
なんならこの好機に進めてしまえば、両得ですわ。いえ、我が家も、サリマン帝国もローゼンバーグ公爵家もですから三つ得ですかしら?」
フフフと楽しそうに笑うアイシャに母のセレスティアも母性に溢れた眼差しで微笑みかけた。
「まあまあ、それはおめでたいことだわ。でも、アイシャったら、そんな素敵なお話が来ていたのなら、かあ様にも教えてくれたら良かったのに」
「お母様、ごめんなさい。本当につい最近の手紙で知らされたばかりだったし。あらっまたまたうっかり。わたくしったら、アレンにもまだ伝えて無かったわね、フフフ…婚約時期は数年先かしらと呑気に考えていたのだけれど幸運の使者がやって来ると言うのだもの、その運に乗りますわぁ」
オホホ、ウフフと良く似た見目の母娘が微笑み合い、朝食の場が実に和やかで楽しげな状況となった。
「そう言うことですから、これからも宜しくお願いしますわ、アレン。
ささ、この後すぐにでもお兄様と一緒にアルスラン辺境家に向かって頂戴な。お兄様も、トルキア大公の名代として、次期大公としての大仕事ですわよ、戦争同盟をきっちりと仕切ってきて下さいませね。
これで辺境伯家も国境線が下がりますし、持参金としてわたくしが国境線沿いの領地を割譲してもらって嫁げば、大いに益が有りますわ。
とは言え、わたくしはアレンに嫁ぐ身。
アルスラン領は、サリマン帝国に従ずる方が得かトラキア大公国に従ずる方が得かもよぉーくお考え頂いて。
今回はまだ婚約ですもの、まだまだ時間はございます。
大伯父様のお考えも辺境伯閣下のお考えもおありでしょうし、そこら辺は、大公たるお父様がきちんと腹を割って忌憚無く婚姻話を詰めて下さいませ。
と言うことで、わたくしは明明後日、アレンと婚約を致しますわよ」
パーンと両手を打って良い音を響かせ、父と兄にこれからの問題点の指摘と今回の行程の指示、そして、強い強い婚約の決意表明をして、可愛い顔で後ろを振り返り、アレンにねえ~っと小首を傾げて笑いかけたアイシャに、アレンは目を瞬いて、ウンと小さな頷きと引きつった笑みを返した。
「では、急いで商人を呼んでアイシャの衣装を用意しなければ。大至急よ、お願いね」
母は後ろに控えている侍女長にそう言うと、立ち上がった。
「では、旦那様。わたくしとアイシャは婚約式の準備がございますので、これで失礼しますわ。アイシャ、あなたも商人が来たら応接室へ来なさいね。時間が無いのよ、お急ぎなさい」
「はい、お母様。色々お教えくださいませ」
アイシャも口をナプキンで拭うとスクっと立ち上がって、母の後をついて出ていった。
「まあ、そう言うこと、だからアレン。急ぎレオンと辺境家に戻って話をしてこい。レオン、お前はちゃんと話を纏めてこいよ。確かにアイシャが言うように、これは好機だ。セレスティアの憂いを払い、我が国にも帝国にも極めて益がある」
立派な為政者の顔をして、父も執務室へと向かったのだった。
「では参るか」
「御意」
ため息を一つ溢したレオンの後ろを、胸中に大嵐が襲来しているアレンが無表情を張り付けてついて行った。
アイシャが母と大公国の首都からよりすぐりの商会を呼んで婚約式の支度を始めた頃、兄とアレンは数人の護衛を引き連れて騎乗で隣国の辺境伯家へと向かい、父の指示を受けた早馬はサリマン帝国皇帝とローゼンバーグ公爵家へと矢継ぎ早に向かった。
父は、騎士団長や各大臣を緊急召集して、対ルミニア王国戦を想定した会議を開いた。
会議終了後、バタバタと散っていく臣下たち。
作戦本部を設置し、ルミニアにとうとう鉄槌を下す時が来たとばかりに、トラキア大公国は既に臨戦態勢、アイシャの婚約と言う呈なのだが、本筋を隠す気すら無い。
そんな時に、城外から長く長く連なった馬車の隊列が大公家が暮らす奥宮へと向かって来て、ローゼンバーグ公爵家の家紋を掲げた、一際大きく立派な馬車がエントランスに止まった。
門番からの伝令を聞き、女主人であるセレスティアと並んでアイシャが迎えたのは、ローゼンバーグ前公爵夫人と現夫人。つまり、アイシャの祖母と伯母である。
「まあ、お母様、お義姉様まで、突然どうなさったの?」
セレスティアは挨拶よりも先に驚きで声を上げてしまった。
「フフフ驚いたでしょう?」
前公爵夫人の祖母が悪戯な顔で母とアイシャに笑いかけた。
「ええ、先触れもない上に、何この数の馬車は?」
「当然でしょう?孫の婚姻の祝いの品、これじゃあとても足りないわね。でも後からでも送れるし当座、恥をかかないくらいの支度はしてきましたから」
「ええ、もう!?ほんの数時間前に知らせを出したばかりなのに、まるで知っていたみたいな、」
「知っていましたよ」
「知っていたの!」
母が祖母と伯母の顔を交互に見ながら驚きの声を上げ、すぐにキュッと口を結んでからゆっくりとアイシャを目を細めて見た。
「お母様、別に先にお知らせしたのでは無いのよ。以前、後学の為のお勉強に滞在させて頂いた時に、公爵家お抱えの学者先生から色々とアドバイスを頂いて。帰る時にそのお話をお祖母様に少しお話したそれだけ。別に、今日この日にこんなことに為るなんて、わたくし知らなかったわぁ」
母の視線を僅かばかり反らしながら、アイシャが頬に手を寄せながら小首を傾げた。
「こんな所でお話もなんですから、ささ、お母様お義姉様も中へどうぞ」
母に誘われ、にこやかに二人は応接室へと向かった、アイシャも少し俯き加減で後をついて行くのだった。
「ええ、途中でこちらからの知らせを受けとりましたからね。同行していた前公爵は、領地にとんぼ返り。支度を整えて今夜にも進軍、いや列席の為にやって来るでしょう。ローゼンバーグ現公爵とその息子たちは今回は各寄り子家と共に街道に並ぶんじゃない?
ねえ、アイシャ今回の一件が落ち着いたらローゼンバーグ公爵領でも披露宴を行って頂戴。皆にお前の婿殿を披露したいじゃない」
「そうよ、アイシャの婚姻を祝えないなんて公爵家の息子たちも悲しがるわ。それに、セレスもお祝い事なんですもの、ゆっくり帰省しなさいよ。久々にあなたとお話したかったのよ。大公閣下はお仕事がおありでしょうから、レオンと早々にお帰り頂いて」
祖母と伯母の話に母が苦笑いを浮かべていた。
「ねえ、学者先生のお話って何だったのか、まだわたくし、聞いていないわ」
母が、心持ち低い声でアイシャに問いかけた。
「違うのよ、身分とは何か、願いの叶う最大値はどこかを伺っただけ。
だって、わたくしそれを調べに、ここ数年、ローゼンバーグ領や遠いサリマン帝国まで行ってたんだもの。
学者先生は仰ったわ、望みに見合う義務を払えば叶うって。
パン屋のおかみさんは、小麦が安く手に入ってパンが全部売れたら良いと言う願いを持っていて、パンが完売するには売れる数だけ作れば良いのよ。
でも小麦が安く手に入るかどうかは叶ったり叶わなかったり。天候や戦なんかで小麦の相場が上下するのはおかみさんにはどうにも出来ないから。
そのおかみさんの願いを、世間の声と先生は言ったけれども、叶えるのが、領主や国王と言う為政者の義務で、義務を怠れば叶う願いは少なくなるし、叶わなくもなる。
逆に義務を叶えれば願いの叶うことも多くなる、そう言っていたのよ。
ルミニア王国を例とすれば、政財武と詰んでいる現状は誰の願いも叶って無いでしょう?
叶わぬ願いを叶えたいと思う人はどうするのか?と問えば、多くの凡人は無理だと諦め、少数の愚者は無理な叶うことの無い幻想を見ると言うのだもの。
これは、そのぅ、良い具合に、利用出来そうですわねぇと、お祖母様に帰りがけにすこーしお話しましたのよホホホ」
空々しい笑い声が応接室に響いた。
「まあまあまあまあ、今回のヘンテコな王命あなたが、」
「まさか!王太子が王命を出すなんて、そんな奇策思い付きもしませんでしたわ。今回の王命話、わたくし女神様に誓って何も関わっておりませんわ」
母の冷たい問いかけには、アイシャはきちんと否定しておく。
王太子の王命って、そんな馬鹿な考えをしたなんて周りに思われたら、羞恥心で死んじゃうわ。
「ホホホ、本当よセレス。王太子の王命をお考え遊ばされたのは殿下ご自身。彼の周囲の、王宮の使用人たちが、過日のアイシャのデビュタントの夜会の素晴らしさ、豪華さを話して聞かせた時に閃いたらしくて。
ほら、ルミニアでは貴族も王族も質素倹約が奨励されているじゃない?殿下は子供の頃からその中にいるからそれが普通と思っておられたらしく。
それなのに従姉妹の家は何故そんな豪華な夜会などを開くのかと驚かれたみたいで。ローゼンバーグ公爵家や従姉妹の大公家が不正にルミニア王国の富を簒奪していると、その不正を正すのだと憤られて。
ただ陛下は殿下の進言に対して、不干渉の命約があるから関わるなと一喝されてこのお話は消え失せたかに思われたのだけど。
ここに来て、不法移民の取締りを南の大陸と話し合う為に、陛下と宰相共お出掛けになってしまって、内政を一手に王妃様が引き受けて忙しくしている、この間にしてしまえと動かれたみたいで。
側近たちの『王命で婚約者にしてしまえば大公領も公爵家からも税が取りたい放題』と言う何とも都合の良い助言に従っての行動のようなのよ、オホホ」
アイシャの強い否定を引き受けて、伯母が内輪の話を教えてくれた。
伯母は、王都の二つ北側の領地の伯爵家、当然ローゼンバーグ公爵家の寄り子貴族の出身で、母とは同じ年の親友でもある。
王都に近い地の利を活かして、王宮に多数の耳目を放っている一族なので、話の信憑性は非常に高い。
側近が王命の意味を知らないとか、大丈夫なのかしら?と思うも、他国のことであるし口には出さないでおく。
「じゃあ、婚約話は偶然なのね、衝撃的ね。でもお母様、アイシャは今回アルスラン辺境伯家と婚約をする予定でまだ婚姻では無いのよ」
母が伯母の話を聞いて、信じられないと目を見開いて首を小さく振った後、祖母の間違いを指摘したのだが、
「何を言っているの。婚約なぞ不安定な関係を認められないわ。あんな約束事、一方的に破棄されて嫌な思いをするだけじゃない。どうせ暫くしたら結婚するのだもの、アイシャも成人しているのだし、お相手はもうすぐ二十歳でしょ、どんどん結婚させておしまいなさいな。
わたくしは、セレス、あなたの心に傷を負わせたこと、本当に悔やんでも悔やみきれないわ。
金輪際、わたくしの目の届く限りの親族縁者、臣下の令嬢まで、全てにあんな理不尽で野蛮な振るまいをされることの無いように、目の黒いうちに、王家ときっちりと袂を別たなければならないと思っていたのよ。
ですから、今回はもう教会で婚姻届を出してしまいなさいな。それから細かい決め事は決めたら良いのよ。アイシャ、あなたの願いはアレンと結婚することでしょう?」
祖母が力強く母に言い聞かせるように話して、アイシャの決意を問うた。
「ええ、お祖母様。わたくしの願いはアレンと結婚することですわ」
アイシャは当然ですと大きく頷いて、真っ直ぐに返答したのだった。




