番外編 婚約破棄
西にこの大陸の覇者サリマン帝国と国境線を接するルミニア王国は、南の半島と北の高い山脈の向こう側の騎馬民族の国とを繋ぐ交通の要所。
他国の商品がやり取りされる国際色豊かな国柄なれど、その分民族間のいざこざや隣国からの侵略の脅威に常に晒されていた。
そもそも、小さい領主が武力に長けた領主に寄進して徐々に纏まった、それがルミニア王国の成り立ちで、南の半島を統一したナルセオラ家が王家として建国を宣言した。
周辺国と婚姻による同盟関係を築くこと幾年、束の間の平和な世の中になっていた。
その日は、ルミニア王国の王宮で行われる年に一度の大夜会。
昨年成人した第二王子であるレオポルトと幼少期に婚約をした、ルミニア王国の北側半分を治める大領主ローゼンバーグ公爵家の娘セレスティアの1年後の挙式について内外に知らせる為の、大変重要な夜会であった。
多くの貴族や隣国、同盟国の王族や大使が犇めきあい、本日の主役であるレオポルト王太子とその婚約者であるセレスティアの入場を今か今かと待ち構えていた。
入場の声が上がり、ルミニア国王ニコラスと王妃、その後ろにレオポルトとセレスティアが登場した。
待っていた者たちはボウ&スクレープとカーテシーで恭しく迎えた。
ニコラス国王の声かけで姿勢が戻され、開会の挨拶が為された後、王と王妃のファーストダンスが終わり、その日の主役である王太子レオポルトとセレスティア・フォン・ローゼンバーグが衆人環視の中、レオポルトのエスコートで広間の中央へと歩み出た。
しかし、楽団の調べが始まった途端、レオポルトはセレスティアの手を離して距離を取った。
観衆の中から騎士団長の息子でレオポルトの側近のトマス伯爵令息とレオポルトの乳姉弟であるリリス子爵令嬢が勝手に前に進み出てレオポルドの横にやって来た。
レオポルトはリリスの腰を抱いて自分の身に寄せ付け、トマスは後ろに立つと、音楽を遮るような大声で叫び始めた。
「セレスティア、お前のような生家の力を振りかざすような女は、この国の国母に相応しくない!王宮の女官や使用人に対する傍若無人な振る舞いの数々、ここにいるリリスとトマスから長らく聞き及んでいた。なんと言う傲慢な態度、決して許すまじ。因ってここにセレスティア、お前との婚約を破棄する!トマス、この狼藉者を取り押さえよ!」
その声が終わらぬ間に、トマスはセレスティアの手を掴むと強く引いて床に転ばせ、その挙げ句肩と綺麗に結い上げられていた頭を鷲掴みにして床に額を付かせようとグググと押し付けた。
その暴力的な態度に、広間に居た貴婦人たちが、あちらこちらで、キャーキャーと言う甲高い悲鳴を上げたのを聞いて、レオポルトとトマスは優越感に鼻の穴を膨らめて笑いが溢れるのを我慢した歪な顔を晒し、リリスはあからさまに愉悦に口角を上げた。
すると、ドスボゴ、ドタンと言う音がしたと思えば、トマスが宙を舞って床に惨めに這いつくばって、セレスティアの体は宙に浮いた。
「セレスティア嬢、ああ、足首が腫れている。倒された時に足首を捻ったか。すぐに治療に向かわねばならないが、もう暫く我慢してくれ」
そう言い終わるか否か、長い足がスッと振り上げられるとレオポルトが鞠のように吹っ飛んで、一緒になってくっついていたリリスもひっくり返った。
更に床に転がったレオポルトの腹を二度三度と靴の踵で踏みつけ、隣で白目を剥いているトマスの顎を蹴り上げたのは、ニコラス国王の先妻の息子、ルミニア王国の元第一王子で、現在は、サリマン帝国との国境線の領地を治めるキリアン・フォン・トラキア大公であった。
気絶したレオポルトとトマスの二人と、顔を青くして震えているリリスを素早く衛兵が回収して広間から連れ出し、真っ白な顔をしながら国王が前に出て、この不祥事を詫びた。
気づけば、セレスティアを抱いたキリアンの横には、ローゼンバーグ公爵と夫人、嫡男である兄と夫人が怒りを隠すこともなく並び、ニコラス国王を睨み付けていた。
「セレスティア嬢、大変申し訳なかった。国王として、また親として心から謝罪する」
周辺国の王族も居る場で、国王が頭を垂れて謝罪した、これで周辺国だけでなく国内の世情も一夜にして変わることは明白。地響きのようなオォォォと言う深い吐息のような声が広間のあちこちから響いた。
セレスティアは国王の声に答えず、キリアンの胸に顔を押し付けて、明確な拒絶の意を表した。
「陛下、これからのことは少し奥で話しましょう。早く娘の治療をさせてやりたいですしな」
眉間にこれでもかと深い皺を寄せて、ローゼンバーグ公爵が低い声で呟けば、
「ああ、ああ、そうだな。すぐに治療を」
と言う国王の声を背に、キリアンはセレスティアを抱えたまま歩み出していた。
「話し合いには私も参加をしますよ、ですが先ずはセレスティア嬢の治療が先だ」
振り向きもせずにキリアンが言い捨てて、広間を去ったのだった。
セレスティアは右足首骨折、掴まれた肩と手首はひびが入った重傷で、公衆の面前での婚約者破棄と併せて心身共に酷い傷を負わされた。
ローゼンバーグ公爵家は当然、王太子レオポルトの有責での婚約破棄を求め、王家はそれを認めつつ、莫大な慰謝料の支払いもした。
国王は問題を起こしたレオポルトは廃嫡して、第一王子であったキリアンを王太子につけようとしたが、当の本人がそれを拒否して、自分の領地トラキア大公国をルミニア王国から割譲して独立し、セレスティアを大公妃に娶ると強く主張し、公爵家もそれを後押ししたので、国王は押し切られて認めざるを得なかった。
トラキア大公国に領地を接する王国の北側半分を治めるローゼンバーグ公爵家が帰属すれば、王家の権威は失墜してルミニア王国は内乱になってしまうだろう。
国王は譲歩に譲歩を重ねて、ローゼンバーグ公爵家はルミニア王国に留まってもらえることになった。
「これからこの国はひどく苦しい未来を進むでしょうな。だがしかし、それは自分が犯したことによるもの。責任は王太子が自分で取れば良い。あんな茶番を仕掛けた愚かな貴族たちも一緒に」
公爵は慇懃無礼な態度で、他人事のようにそう言って冷たく笑った。
「父上いや、国王陛下。母が亡くなり喪が明けるや否や、愛妾を王妃の座につけた。
母の母国サリマン帝国の皇帝である私の祖父は、私を早々に帰国させようとした、私が去れば即座に戦になっていたはず。大帝国の皇女との婚姻同盟をその手で捨てたのだから。
その時も貴方は帝国に譲歩して、私にトラキア領と大公位を与えることを約束した、帝国の王位継承権を低位とは言え持つ私に領地を割譲する意味をわかっていたのか。あの時からこの国には深い影が懸かっていたのだ。
その結果が、今日のレオポルトの失態。親子二代による同盟破綻の責任は自分達で当然背負うが良かろう。
ああ、これより、トラキア大公国はルミニア王国から一切の干渉不要と心得よ」
キリアンもまたとても父親に向けるようには見えない目を向け、ひどく他人行儀な言葉でお互いの関係性を明確にしたのだった。
「お前は王太子として今まで以上に粉骨砕身の働きをせよ。また来年には譲位するのでそれに備えよ」
部屋で数ヵ月に及ぶ軟禁から解かれたレオポルトは、父からの言葉を聞いて単純に喜んだ。
日常生活に戻ると、かつてに王太子の側近はみな居なくなっていて、代わりに下位貴族や平民の文官がその職務にあたっていた。
セレスティアに、ローゼンバーグ公爵令嬢に、物理的な大怪我を負わせたトマスは既に処分されていたし、ルミニア王国騎士団を団長としてまとめていた、トマスの生家であった伯爵家も取り潰しになっていたので、騎士団はほぼ解体に近い形となり、他国の傭兵や平民の兵士を登用して急場を凌ぐ酷い有り様だったのだが、乳姉弟で長く秘密の恋人であったリリスとの結婚が許されたことに浮かれて、それがどういう意味を持つのか、その時は気がつくことは無かった。
その月の内に、婚約もすっ飛ばして、リリスとその生家であるレイ子爵家だけで挙式をあげた。
周辺国や王国の貴族家を呼んでのお披露目夜会は開かれず、結婚を知らせる手紙を出しただけであった。
披露宴が開かれないことに、リリスは不満を言い募ったけれども、
「であれば、そちの生家レイ家主催で執り行えば良い。ナルセオラ王家にはもう金が無い。お前たちがセレスティア嬢に無体を働いた慰謝料に、殆どの金を渡してしまった。況してや、王国一の納税者たるローゼンバーグ公爵家にはこれから百年の納税免除権も与えたのだ、入ってくる金も無い」
そうニコラス国王に冷たく言い返されたのだった。
「な、なぜ!そんな免除権など!王国の運営に支障が来すでは無いですか!」
「お前が!お前が仕出かしたからだろう!この馬鹿者が!わしはもう知らん。
お前の母の生家は、法衣貴族の伯爵家で後ろ楯には成り難い。だから、ローゼンバーグ公爵に頼み込んで、やっとセレスティア嬢を婚約者に据えられたと言うのに!
お前のことなぞもう知らん!金輪際、わしを頼るな。
半年後に譲位したならば、わしは王妃と南の離宮に引っ込む。後はお前たちが責任を持ってルミニア王国を治めよ」
半年後、王宮で数少ない貴族の前で戴冠式を行い、国王と王妃は個人資産を全て持って側近数人と共に王宮を去っていった。
結婚した後、リリスはすぐに王子アドリアンを生んで、ナルセオラ王家の未来は明るいわ~なんて親しい下位の夫人たちと能天気なことを言い合っていたが、王になったレオポルトは早々に王国の先が無いことに気がついて、途方に暮れた。
愚者を絵に描いたようなレオポルトは、セレスティアに宛てて手紙を書いた。
『セレスティア、お前は私の婚約者であった時から兄であるキリアンと内通して裏切っていた不貞の輩だ。その慰謝料として、生家であるローゼンバーグ公爵家とお前の嫁いだトラキア大公家に税率70%の納税を命ずる』
それを読んだ、ローゼンバーグ公爵家とトラキア大公家は鼻で笑って、
『では取りに来れば良い。取れるものならば』
と言う返信を、公爵騎士団と大公騎士団が合同で組織した重装備の一連隊が王宮に届けた。
その進軍の様子に震え上がった形式上のルミニア騎士団は、門を即時開場し道を開けたので、易々とルミニアの王城までやって来て、五重にも六重にも城は取り囲まれた。
成り手が無くて、押し付けてられて宰相の地位についていたリリスの父親であるレイ子爵が、転がりながらレオポルトの前にやって来て、書いた手紙の文面を読んで白目を剥いた。
それから、丁寧に丁寧にお詫びして、以後、ルミニア王国の北側とトラキア大公国には手出し口出し無用をレオポルトにキツく言い渡して、なんとか国難を治めたのだった。
西の大帝国との交通の要所であるトラキア大公国、金銀銅に鉄鉱石の取れる鉱山を多数所有する豊かなローゼンバーグ公爵領との交流が無くなり、めっきり経済が不活発になったルミニア王国。
レオポルトはあの日の大夜会での己の失態を、やっと後悔した。
せめてもの罪滅ぼしにと、自分のせいで貧困に喘ぐ王国の為に、質素倹約に励むのだった。
金が無いから、子も一人。
王族には、乳母、教育係、側近と人も金もかかるのだから。
リリアも優雅に笑っていれば良い、なんてことにはならない。
ルミニアには金も人手も不足している。
レオポルトを手伝って、予算書を書き、領収書を仕訳し、まだナルセオラ王家に従ってくれている貴族家の領地を気にかけて動き回り、忙しい日々を送った。
レオポルトもリリアも、慢性的な疲労の中、目に隈を作って王国を支えた。
それでも金は無く、国の備えは不十分。貧乏過ぎて周辺国からの侵略の脅威が無くなったほど。
二人は恋とか愛とかから遠く離れた気持ちをお互い持っていたが、頼れる者が少ないので共に歩んだ。時々、あの夜会での出来事を思い出して、後悔に涙しながら。
『‥‥、セレス、セレス。大丈夫か』
自分を呼ぶ声に意識が浮上していく。
目を開ければ、黒髪に群青色の目をした美丈夫が手を握りしめて覗き込んでいた。
「キリアン様、」
「魘されていた。どうした、どこか辛いのか」
「夢を、あの大夜会の夢を見ておりました」
セレスティアはまだ夢うつつな様子で、辿々しく言葉を溢した。
「あんな、いや、セレスには忘れたくとも忘れられない嫌な記憶だな。大丈夫だ、セレスを傷つける者など此処にはいない。俺が守るから、安心してもう少し眠りなさい。朝はまだ遠い」
キリアンがセレスティアの額に優しくキスをして、頬を撫でた。
セレスティアは微笑みを浮かべて、目を閉じた。
セレスティア、北の銀狼と呼ばれるローゼンバーグ公爵の色味を纏った美しい妻。
北の山に降り積もる雪のような白い肌も白金の髪も、樹氷のような薄青の瞳も。
彼女を生涯守る盾となることの喜び。
「愚者はいつも選択を間違える。俺からセレスを奪おうとしなければ、国の体裁は保てたのに。俺にとっても帝国にとっても最善が手の中に転がり込んできたのだからな。君は私の幸運の女神だ」
キリアンは穏やかに眠る妻を抱きしめて、自分もまた眠りに就くのだった。




