第7話
異変が知らされたのは、その翌日のことだった。
「面会記録が、消えた?」
王宮の地下牢を管理する看守長は、文書院の決裁室で額の汗を拭いながら頷いた。
「は、はい。ドラン男爵令嬢の牢の前に、何者かが立ち入った形跡がございます。床に外の土、それに香の残り香も。ですが面会には必ず記録簿への記帳が要りまして、その、該当の日の頁が……綴じ紐ごと、抜き取られておりました」
「牢番は何と?」
アルディス殿下の問いに、看守長の顔色がさらに悪くなった。
「それが、その……三名とも、当夜の記憶が曖昧なのです。眠っていた覚えはない、持ち場も離れていない、なのにその晩のことだけが思い出せないと」
私と殿下は、目を見合わせた。
「──セラフィーナ嬢。お願いできますか」
「今すぐに」
地下牢へ続く石の廊下は、昼でも冷たい闇に沈んでいた。
私は手袋を外し、膝を折って石畳に指先で触れる。残留記憶は、どんな場所にも必ず残る。人の目が届かない場所ほど、記録は雄弁になるものだ。
「《レコルダ》」
銀の魔法陣が石畳に広がり、光が像を結び始める。看守長の言う夜の廊下。燭台の炎。巡回する牢番の背中。そこまでは、鮮明に映った。
その直後だった。
映像が──白く、塗り潰された。
「……これは」
殿下が息を詰める気配がした。
夜霧のような白が、廊下の記録をまるごと呑み込んでいる。像が乱れているのではない。欠けているのでもない。まるで書き上げた頁に白い顔料を刷いたように、その一刻だけが綺麗に覆い隠されていた。
私は時間を遡り、また進め、角度を変えて何度も再生した。結果は同じ。何者かが牢へ至り、去っていったはずの時間だけが、完璧な白に沈んでいる。
指先が、じっとりと冷えていく。七年間、数え切れないほどの残留記憶を読んできた。乱れた記録も、薄れた記録も見てきた。けれど「消された」記録に出会ったのは、これが初めてだった。
「殿下。これは記録の欠落ではありません。──上書きです」
「上書き、というと」
「残留記憶そのものに手を加え、白い『無』の記録を上から刷り込んでいるのです。牢番たちの記憶が曖昧なのも同じ。人の記憶もまた、残留記憶の一種ですから」
言いながら、自分の声が硬くなるのが分かった。
残留記憶に干渉する魔法。それは私の《レコルダ》と根を同じくする技術だ。読み取るだけの私と違い、書き換える方向へ伸ばした枝。理論上は可能だと文献で読んだことはある。けれど実現した者がいるなど、聞いたこともない。
「つまり、これができるのは」
「同じ記録魔導士──いいえ」
私は白く塗り潰された光を見上げた。読み取ることしかできない自分の指先が、急に頼りなく思えた。
「記録を消せるのなら、読むより遥かに高度です。私と同等か……私以上の使い手が、この国のどこかにいることになります」
沈黙が、冷たい石の廊下に落ちた。
七年間、私は思い上がっていたのかもしれない。記録は改竄できない、だから私の鑑定は絶対だと。その前提が今、足元から崩れようとしている。
「一つ、確かなことがあります」
殿下の声は、こんな時でも静かだった。
「その使い手は、拘束中のミレーヌ・ドランに接触する必要があった。危険を冒してでも。──彼女の背後には、間違いなく誰かがいる」
「口封じ、でしょうか。それとも指示の伝達か」
「どちらにせよ、彼女がまだ『使われている』ことに変わりはありません。あの沈黙は忠誠ではなく、命令なのかもしれない」
白い闇は、何も答えない。
けれどそれ自体が、雄弁な答えだった。




