第6話
夜会から五日が過ぎた。
社交界は今も昨夜の続きのように騒がしいらしい。ヴェルクロード公爵家には見舞いと擦り寄りの手紙が山を成し、父は「掌返しの記録も取っておくか」と冗談とも本気ともつかぬことを言っている。
一方で、王宮の空気は重かった。
「──取り調べが、進んでいないそうですね」
文書院の決裁室。鑑定書の束を届けた私に、アルディス殿下は書類から目を上げずに応じた。
「ドラン男爵令嬢の件ですか。ええ、難航していると聞いています」
「黙秘を?」
「いいえ。それが妙なのです」
殿下は決裁の手を止め、一枚の報告書を私に向けて滑らせた。尋問官の記録だった。
『被疑者は食事・就寝など日常の応答には支障なく応じる。しかし動機・背後関係・経歴に関する質問には一切答えず、ただ微笑するのみ。脅迫にも司法取引の提示にも反応なし。焦燥・恐怖の兆候、認められず』
「……恐怖の兆候なし、ですか」
「ええ。爵位も名誉も失い、下手をすれば極刑もあり得る身で、です」
私は連行される間際の、あの微笑みを思い出していた。敗者の顔ではなかった、あの表情を。あれから五日、寝台に入るたびに瞼の裏へ浮かんでは、私の眠りを浅くしていた。
「殿下。実は私、あの夜からずっと引っかかっていることがございます」
「伺いましょう」
「彼女の手口です。──綺麗すぎるのです」
私は自分の記憶にある映像を、一つずつ言葉に起こしていった。
階段から身を投げた時の、受け身の取り方。腕のつき方ひとつで衝撃を殺し、怪我は診断書が出る程度、けれど後遺症は残らない絶妙な落ち方だった。ドレスを裂いた鋏の運びに、迷いが一度もなかったこと。下剤の量が、医務室に運ばれるのにちょうど足りて、命には決して関わらない分量だったこと。
「恋に浮かされた十七の令嬢が、独学で身につけられる手際ではありませんわ。あれは──訓練された者の動きです」
沈黙が落ちた。
殿下は指を組み、しばらく報告書を見つめていた。それから、静かに頷いた。
「同感です。実は私も、別の点が引っかかっていました」
殿下は組んだ指の上に軽く顎を載せた。この方が考えを口にする前の、いつもの仕草だった。
「別の点、と申しますと」
「彼女は一度も、あなたの記録魔法を警戒しなかった」
言われて、息を呑んだ。
「あなたが王宮記録魔導士であることは、調べれば誰でも分かる。あなたを陥れるなら、記録に残らない手段を選ぶのが道理です。それをしなかったのは、知らなかったから──ではなく」
「……暴かれても、構わなかったから?」
「あるいは、暴かれることまでが筋書きだったか」
背筋を、冷たいものが伝った。
もし、そうだとしたら。あの夜、断罪の壇上で崩れ落ちた王太子殿下も、勝ち誇って真実を暴いた私も、等しく誰かの筋書きの上で踊っていたことになる。
王太子は醜態を晒して謹慎。廃嫡の噂まで流れている。王家の権威は傷つき、社交界は割れ──あの夜で得をしたのは、一体誰?
考えれば考えるほど、あの微笑みの意味が変わっていく。あれは開き直りではなく、任務を果たした者の顔だったのではないか。だとすれば彼女の沈黙は、庇う相手がいるということ。極刑の可能性を前にしても揺らがないほどの、何かが。
「セラフィーナ嬢」
殿下の声は、いつも通り静かだった。静かなまま、決裁印を置いた。
「この件、まだ終わっていないかもしれません」
「……ええ。私も、そんな気がしてまいりました」
窓の外では、何も知らない王宮の午後が、平和に暮れようとしていた。




