第4話
「──何の騒ぎか」
大広間の扉が開かれ、低い声が響いた。近衛を従えて現れたのは、国王陛下その人だった。卒業夜会への臨席は予定より早い。おそらく、誰かが早馬のように報せを走らせたのだろう。
貴族たちが一斉に頭を垂れる。陛下は壇上で膝をつく息子と、床にくずおれた男爵令嬢、そして宙に残る銀の魔法陣を順に見渡し、すべてを察した顔をなさった。
「レオンハルト。申し開きがあるなら聞こう」
「ち、父上……! わ、私は騙されていたのです!」
殿下は跳ねるように立ち上がり、床のミレーヌを指さした。
「その女が、すべて仕組んだのです! 私は純粋に、か弱い令嬢を守ろうとしただけで……そう、被害者なのです、私も! セラフィーナ、おまえも見ただろう、私が騙されていたことは記録にも……」
広間の空気が、また一段冷えた。
先ほどまで胸に抱き寄せていた相手を、躊躇なく切り捨てる。その変わり身の速さこそが、集まった貴族たちの目に何よりも醜く映っていることに、殿下だけが気づいていない。
「もうよい」
陛下は深く息を吐き、それから私に向き直った。齢五十を数える王の顔に、その一瞬だけ、深い疲れのようなものが過ったのを私は見た。
「セラフィーナ・ヴェルクロード公爵令嬢。此度の件、王家の名において謝罪する。婚約の解消は、そなたに一切の瑕疵なきものとして、王家からの正式な謝罪を添えて受理しよう。ヴェルクロード公爵家への償いは、追って協議する」
「陛下の御心に、感謝申し上げます」
私は最も深い礼をとった。国王が一貴族の令嬢に頭を下げる──それが何を意味するか、この場の全員が理解していた。明日には王都中に広まるだろう。冤罪を着せられた公爵令嬢と、令嬢一人裁けなかった王太子の話が。
「ドラン男爵令嬢ミレーヌを拘束せよ。王族への欺罔、ならびに公爵令嬢への冤罪工作の容疑である。レオンハルト、おまえは沙汰あるまで離宮にて謹慎。……王太子の位についても、追って沙汰する」
「父上!?」
殿下の悲鳴を背に、騎士たちが動く。引き立てられていくミレーヌは、最後まで一言も発しなかった。ただ連行の間際、彼女は一度だけ振り返り──私を見て、微笑んだ。
敗者の顔では、なかった気がした。
気のせいだと、その時は思った。
夜会は解散となり、私は一人、人気のない回廊を歩いていた。
窓の外には欠けた月。祝いの花で飾られた廊下が、やけに長く感じられた。
七年だった。十一の歳に婚約が結ばれてから、この国の妃となるためだけに費やした七年。礼法も、外交も、帝王学も。誕生日に贈られる決まりきった花束も、義務のような月一度の茶会も、すべて受け入れてきた。愛されてはいないと知っていた。それでも、義務は果たすつもりだった。
その七年が、今夜、終わった。
「…………」
立ち止まる。誰もいないことを確かめて、私はようやく、右手を目の高さに上げてみた。
指先が、震えていた。
魔法の使いすぎではない。あの程度の再生で消耗するほど、柔な鍛え方はしていない。ではこれは何かと問われれば──答えたくない類のものだった。
衆目の前で罪人として指をさされた瞬間の、足元が抜けるようなあの感覚。筋書きがあると分かっていても、怖いものは怖かったのだ。今頃になって、体が正直に白状している。
「……終わった、のよね」
呟きは、誰にも記録されず、夜の廊下に溶けて消えた。
私は震えの止まらない右手に手袋をはめ直し、背筋を伸ばして、再び歩き出した。明日も仕事がある。記録係の朝は、王宮の誰よりも早いのだから。




