第29話
新王アルディスの戴冠、ならびに婚約披露の祝賀夜会は、王宮の大広間で開かれた。
一年前、私が断罪の壇に立たされた、あの大広間で。
「国王陛下、ならびに王立記録院長セラフィーナ・ヴェルクロード公爵令嬢の御成り」
扉が開かれた瞬間、広間を埋めた貴族たちが、一斉に最敬礼の姿勢を取った。
波のように頭を垂れていく人々の中を、私は陛下──アルディス様の腕に手を添えて、進んでいく。一年前、侮蔑と好奇の視線が突き刺さった同じ床の上を。シャンデリアも、大理石も、何ひとつ変わっていない。変わったのは、そこに立つ人間の側だけだ。
「まあ、なんとお美しい」「記録院長のあのお働きがなければ、今頃この国は」「氷の、などと誰が言い出したのかしら。あんなに柔らかく微笑まれる方を」
扇の陰の囁きは、あの夜と同じ場所から聞こえて、あの夜とは正反対の言葉を運んでくる。
現金なものだ、と思う。思うけれど、不思議と腹は立たなかった。社交界とはそういう場所で、囁きとはそういうもの。だからこそ、囁きに流されない記録が要るのだ。私は生涯、その側に立つと決めたのだから。
「後悔していませんか」
隣で、アルディス様が小さく問うた。
「何をです?」
「一年前のあなたは、ここで玉座から自由になった。なのに結局、私が玉座へ連れ戻してしまった」
「あら。連れ戻されてなど、おりませんわ」
私は扇を開き、口元で微笑んだ。
「一年前の私は、選ばれてここに立っただけ。今夜の私は、選んでここに立っております。──同じ床でも、まるで別の場所ですのよ」
「……その答えも、記録しておきます。私の側の記録に」
「まあ。陛下の記憶力を、術式と呼ぶのはおやめくださいまし」
祝賀の輪の切れ目に、その人は立っていた。
辺境の開拓伯の礼装をまとった、レオンハルト様。廃嫡ののち臣籍に降り、新領地へ発つのは明日と聞いていた。
「陛下。ならびに──記録院長殿」
彼は完璧な臣下の礼をとった。一年前、この場所で私を指さした同じ手を、今は胸に当てて。
「戴冠と、ご婚約、心よりお祝い申し上げます」
「ありがとう、兄上。……辺境は、寒いと聞きます」
「望んで頂いた土地だ。開拓伯というのは性に合っているらしい。土は、俺がどこの誰だったかなんて聞かないからな」
日に焼けた顔で、彼は笑った。それから私に向き直り、少しだけ声を落とした。
「セラフィーナ。一年前、俺はこの広間で、君から全部を奪うつもりで立っていた。……結果はご覧の通りだ。君は全部を自分で取り返して、俺の知らない場所まで行った。それが正しかったんだと、今なら分かる」
「殿下──いえ、開拓伯様。あれは」
「いいんだ。言わせてくれ。これを言うために、今夜まで王都に残った」
彼は背筋を伸ばし、まっすぐに私を見た。
「君の幸福を──今度こそ、本心から祈っている。あの夜、君に着せた筋書きの分まで、どうか幸せに」
深い一礼を残して、彼は祝賀の光の中から、静かに去っていった。その背中はもう、玉座を追われた哀れな元王太子のものではなかった。明日から自分の土を耕す、一人の領主の背中だった。
「……行かれましたね」
「ええ」
私は扇を閉じ、遠ざかる背中に、聞こえないと知りながら小さく告げた。
「ごきげんよう。あなたの畑が、よく実りますように」
楽団が、最初のワルツを奏で始める。
一年前と同じ大広間で、一年前とは違う人の手を取って、私は光の中へ踏み出した。今夜のこの一曲も、いつか誰かが懐かしく読み返す、幸福な記録になるのだろう。




