第30話
挙式の朝は、雲ひとつなく晴れた。
大聖堂の鐘が鳴り、祝福の花びらが降る中、私は純白のドレスで祭壇の前に立っていた。隣にはこの国の王、アルディス様。誓いの言葉は、つつがなく交わされた。参列席の最前には父と母、その少し後ろに、辺境からわざわざ馬を三日走らせて駆けつけた開拓伯の姿もある。
「──それでは、指輪の交換を」
司祭の声に、けれど私は「その前に」と一歩、進み出た。参列席がかすかにざわめく。式次第にない振る舞いだった。
「皆様。花嫁からひとつ、この国への引き出物がございますの」
私は手袋を、指先から静かに外した。この所作を、もう社交界の誰もが知っている。
「《レコルダ》──刻印式」
銀の魔法陣が、大聖堂の床いっぱいに広がった。読むための陣ではない。今日この日のために編み上げた、新しい術式。今この瞬間の光景を、音を、誓いを、大聖堂の礎石へ、永久に消えない記録として刻み込むための陣。
「本日この場の記録を、王宮の礎石と対を成す形で、この礎石に納めます。国王の結婚の誓いは、王家の記録。そして王家の記録は今日より、王家だけのものではなく──この国のすべての民に開かれた、歴史ですもの」
光が床を走り、石へ沈んでいく。二十年前、嘘を刻まれた礎石があった。ならばこれからは、幸福な事実を刻んでいけばいい。
事実は、消えない。
消えないのなら──積み重ねる事実を、選べばいいのだ。
「……まったく。式の最中まで仕事とは」
アルディス様が、指輪を私の指に通しながら囁いた。
「あら。陛下との結婚を『仕事』と記録されたくなければ、お口にはお気をつけあそばせ」
「これは失礼。──では、訂正の記録を」
誓いの口づけは、少しだけ長かった。大聖堂の礎石は、それも律儀に、永久に覚えていることだろう。
──それから、五年が過ぎた。
王立記録院は、今や王国の柱の一つになった。貴族も、平民も、記録の前では等しく事実に立つ。ザルツェンとの間には、ミレイユ様の口添えもあって不可侵の盟約が結ばれた。彼女は今、辺境で薬草の研究に明け暮れているらしい。隣の領の開拓伯と畑の水利で喧嘩ばかりしていると、風の噂に聞く。あの二人の口喧嘩なら、さぞ見応えがあるだろう。
ヴェスパーの罪は、死後に裁かれた。あの審問会の翌月、老魔導士は国境の山で静かに息を引き取っていたという。枕元には白菫の押し花と、記録院への研究記録の遺贈状が残されていた。冤罪は公式に晴らされ、その名は記録魔法の創始者として、正しく歴史に戻された。
「かあさま!」
記録院の執務室に、小さな嵐が駆け込んでくる。私と陛下の長女、御年三つの王女殿下だ。銀の髪は私譲り、集中すると茶が冷めるまで忘れる癖は、間違いなく父親譲り。その後ろから、執務の合間を縫って娘の散歩に付き合わされたらしい国王陛下が、紅茶の盆を手に現れる。国王に茶を運ばせる記録院長は、王国広しといえど私くらいのものだろう。
「あのね、あのね、おにわでね、ちょうちょがいたの!」
「まあ。それは大発見ですわね」
「だからね──」
娘は小さな手で、母の扇を精いっぱい真似て振り上げ、得意満面に宣言した。
「きろくに、のこしておきますわ!」
陛下と顔を見合わせて、私たちは吹き出した。
窓の外には、今日も王国の空が広がっている。この空の下で積み重なっていく無数の事実を、幸福なものも、そうでないものも、記録院は等しく残していくだろう。
けれど、これだけは確かに言える。
──この国の歴史に、もう嘘は書かれない。




