第27話
国は、玉座を失った。
陛下は退位を宣し、レオンハルト殿下は既に廃嫡の身。正統の血を引くミレイユ様は継承権を放棄した。残るは、ただ一人。
貴族院が全会一致でアルディス殿下の即位を上奏したのは、審問会から半月後のことだった。書庫の亡霊と呼ばれた第二王子の名を、今や王都で知らぬ者はない。嘘の玉座を法の内側で正した王子、と。
「──お受けに、なりますのね」
文書院の決裁室。いつもの席で、いつものように書類を検めていた殿下に、私は問うた。もっとも、その机の上の書類は、もう文書院の決裁書ではなく、戴冠の詔の草稿だったけれど。
「正直に申せば、気は進みません。私は書庫の亡霊です。玉座より書架の間の方が、性に合っている」
「存じております」
「ですが、この玉座は二十年、嘘の上にありました。次に座る者の仕事は、玉座を綺麗にすることだ。……嘘を暴いた者が座るのが、筋というものでしょう」
殿下は草稿を置き、立ち上がった。
「ただし、即位には条件を付けました。貴族院が呑まなければ、この話は流れます」
「条件、ですか」
「ええ。二つ」
殿下は窓辺に立ち、王宮の尖塔を見上げた。あの夜、二人で忍び込んだ禁書庫を戴く塔を。
「一つ。王家のすべての記録を、国王の勅許なくして検証できる独立機関を設ける。名は──王立記録院。王家からも、宰相府からも、貴族院からも独立し、いかなる権力の記録も改竄不能として保全し、求めに応じて検証する。国王自身の記録も、例外としない」
息を、呑んだ。
それは、王が自らの手足を縛るという宣言だった。二十年前の悲劇は、権力が記録の上に立っていたから起きた。ならば記録を、権力の上に置く。玉座が二度と、嘘をつけない国にする。
「陛下の……お父上の、二十年の答えですのね」
「ええ。父上が独房のような玉座で守り続けた制度を、今度は誰の罪悪感にも頼らない形で、国の柱に据えます」
「素晴らしい条件ですわ。貴族院も、この流れでは呑まざるを得ないでしょう。……それで、二つ目は?」
「記録院の初代院長を、私が指名すること」
「妥当ですわね。独立機関といえど、最初の人選だけは──」
「セラフィーナ・ヴェルクロード」
「──は?」
我ながら、記録に残したくない声が出た。
「あなたです。他に誰が?」
殿下は、心底不思議そうな顔をしていた。
「お、お待ちくださいまし。私は資格停止中の身で」
「停止処分は昨日付で撤回されました。むしろ審査会から詫び状が来ています。読みますか? なかなかの名文です」
「そういう問題では! 私はまだ十八で、公爵家の娘というだけの」
「三千件の鑑定、覆された判例なし。単独で二十年前の残留記憶を解読し、抹消魔法への対抗術を一夜で編み出し、王家の改竄を法の内側で裁いた──この国の歴史上、あなた以上の適任者は存在しません。これは決裁済みの事実です」
決裁済み、ときた。この方は本当に、口説き文句と辞令の区別がつかない。しかも列挙が正確なだけに、反論の余地まで綺麗に潰されている。
……いえ。今のは、口説かれたわけでは、ないのだけれど。
「拒否権は、ございますの?」
「あります。ですが」
殿下は少しだけ、あの困ったような笑い方をした。
「あなたが断ったら、私も即位を断ります。玉座の隣に──いえ、この国の記録の頂に、あなたがいてくれないのなら」
言い直した。今、確かに言い直した。
今のは、どちらの意味で仰ったのかしら。
問い返す勇気は、この日の私には、まだなかった。




