第25話
追い詰められた老人が何をするか、私は読み違えていた。
命乞いでも、逃亡でもなかった。ギデオン・フォン・アルバレスは近衛が壇に迫るのを見ると、突如、哄笑したのだ。
「──よかろう! ならば皆の衆、聞くがよい!」
老人は玉座を、真っ直ぐに指さした。
「この改竄で誰が最も利を得たか、考えたことがあるか! 継承簿を書き換え、正統の血を消して玉座に座った男が、そこにおるわ! 現国王の即位こそ、改竄の産物よ! わしを裁くというなら、まずあの玉座から裁いてみせよ!」
大広間が、爆ぜた。
悲鳴、怒号、議長の槌の音。すべてが混ざり合う中、老人だけが笑い続けていた。自分が沈むなら、国ごと沈めてみせるという顔で。これがこの男の最後の切り札──二十年間、玉座を縛り続けてきた鎖の正体だった。
王が改竄の受益者である限り、王はこの男を裁けない。裁けば玉座ごと崩れるからだ。二十年前に打たれたその楔は、確かに今日まで、完璧に機能してきたのだろう。
今日、この瞬間までは。
「静粛に! 静粛に──」
「よい」
その一言で、広間は水を打ったように静まった。
国王陛下が、玉座から立ち上がっていた。
「ギデオンの申したこと、半分は事実である」
誰も、息すらしなかった。
「二十年前、兄ラファエルの急逝の後、余は継承簿の頁が替わっていることに気づいた。紙の目が、一枚だけ違っておったのでな。……ヴェスパーと、同じものを見たのだ」
陛下は一段、また一段と、壇を降りていく。玉座から、裁かれる者の立つ床へと。
「余は、何も言わなかった。国は先王を喪ったばかり、隣国は国境に兵を集めておった。今ここで継承が割れれば国が割れる──そう己に言い聞かせ、余は差し出された玉座に座った。ギデオンの改竄を知りながら、黙認した。それが余の罪である」
嘘の上と知りながら座った、二十年。
「されど、忘れた日は一日もない。ゆえに余は、記録魔導士の制度を育てた。何人にも消せぬ記録と、それを読む誠実な目を。──いつか、余自身が裁かれる日のために」
陛下は広間の中央で立ち止まり、私を見た。あの夜会の後、「すまぬ」と言った時と同じ、深い疲れと、それよりなお深い安堵の混ざった目で。
「その日が、今日であったというだけのこと」
それから陛下は、王冠に手をかけた。
「余は、退位する。改竄の玉座を、これ以上温める資格はない。余の罪は貴族院の裁きに委ね、ギデオン・フォン・アルバレスは大逆ならびに外患誘致の罪で拘束せよ。──これが、余の最後の勅である」
王冠が、外された。二十年間その額を押さえつけてきた黄金の輪が、陛下の手の中で、燭台の光を鈍く返していた。それはこの日、大広間の誰の目にも、初めて「重さ」というものを持って見えた気がする。
近衛が動いた。老侯爵は、もう笑っていなかった。二十年間、王の沈黙を人質に取り続けてきた男は、王が自ら人質であることをやめた瞬間、ただの罪人になった。
「馬鹿な……馬鹿な! 貴様、自分の玉座を、息子らの継承権を、どうする気だ!」
「玉座など」
引き立てられていく老人に、陛下は静かに答えた。
「まことは最初から、余のものではなかったのだ。そなたが一番、よう知っておろう」
大広間は、静まり返ったままだった。
誰も動けない中、私はただ、この光景を目に焼きつけていた。断罪も、逆転劇も、今日この場のすべてを──二十年かけて自分の罪状の読み手を育てた、一人の王の結末を。
記録係として。この国で、ただ一人の証人として。




