第22話
審問前夜。弁護人接見の名目で、アルディス殿下が屋敷を訪れた。
「裏帳簿、確保しました」
開口一番、殿下は油紙の包みを卓に置いた。三日前の接見で私が託したレオンハルト殿下の帳面を頼りに、殿下が信を置く近衛の精鋭が、グラウザー商会の酒蔵から回収してきたのだ。三番樽の底、二重底の間から。
油紙を解くと、黒革の帳面が現れた。頁を繰るほどに、指先が熱くなる。ザルツェンの外務名義からアルバレス侯爵家へ、十年に亘る送金の列。ミレーヌが男爵家に入った年には、ひときわ大きな数字。几帳面な複式の記帳が、皮肉にも侯爵家の抜け目なさを物語っていた。裏の金ですら、この男は正確に記録せずにいられなかったのだ。そして、この几帳面な数字の並びは、もう一つの皮肉を語っていた。侯爵は金と引き換えに、ミレーヌの受け入れに便宜を図った──あの娘を、王家を揺さぶるためのただの駒と信じたまま。その駒こそ、二十年前に己が切り捨てた頁の正統だとは、夢にも思わずに。
「これで侯爵と隣国の線は繋がります。ですが、殿下。ひとつ、確かめたいことが」
私は自分の書き付けを広げた。この十日、軟禁の檻の中で私にできたのは、記憶の整理だけ。ならばと、これまで見たすべての「白」を、頭の中で並べ直していたのだ。
「牢の面会の白。脱獄の夜の白。私の部屋の白。──三つとも同じものだと、私たちは思い込んでおりました。ですが記憶を精査すると、違うのです」
「違う、とは」
「白の、織り目がですわ。脱獄の夜と私の部屋の白は、絹のように滑らかで均質。魔力の流れに一切の澱みがない。あれは創始者の白──ヴェスパーのものでしょう。ですが最初の、面会記録が消された夜の白だけは」
私は書き付けの一点を指した。
「織り目が粗いのです。塗り残しを二度、三度と重ね塗りした跡がある。同じ術式を、遥かに未熟な手で使った白。……つまり」
「使い手が、二人いる」
殿下の声が硬くなった。私は頷く。
「ヴェスパーと──もう一人。最初に牢のミレーヌへ接触したのは、恐らくヴェスパーではありません。彼女を『脅しに』行った者。沈黙を命じに行った者。ヴェスパーの理論は二十年前、告発の支度の際に一部が王宮に押収されています。その研究を、二十年かけて誰かに仕込める立場の人間がいるとしたら」
「……侯爵か」
「ええ。ギデオン侯爵は、自前の記録魔導士を飼っています。読む方ではなく、消す方に特化させた──三人目を」
沈黙が落ちた。その意味は、明白だった。
「明日の審問で、我々が礎石の記録や帳簿の裏付けを再生しても」
「その場で、白く塗り潰される恐れがあります。衆人環視の中で証拠が消えれば、それこそ『被告の妄言』の完成ですわ。侯爵が公開審問を望んだのは、そのためかと」
処刑台は、二重に組まれていたのだ。資格停止で証拠能力を奪い、それでも足掻けば、足掻いた瞬間に消してみせる。二十年前より、敵の道具は一つ増えている。同じ芝居の再演にしては、念の入ったことだった。
殿下が、拳を握るのが見えた。けれど私は──不思議と、笑っていた。
「セラフィーナ嬢?」
「いえ。ようやく敵の全部が見えたと思ったら、おかしくて。二重底の帳簿に、二重仕掛けの処刑台。侯爵様は、よほど二重がお好きなのだと」
扇を開く。十日ぶりに、指は少しも震えていなかった。
「殿下。消す魔法の弱点を、ご存知? 塗り潰しは『そこにある記録』にしか効きません。つまり、消し手が場所を知らない記録は、決して消せない。そして私は七年間、残すことだけを磨いてきた記録係ですのよ」
「……何か、策が」
「ええ。今夜中に、支度を。人手と、それから殿下の権限をお借りしますわ」
私は帳面と書き付けを引き寄せ、告げた。
「消せるものなら、消してごらんなさい──記録係の本気、明日の審問でお見せいたしましょう」




