第19話
禁書庫の夜から三日、私はまともに眠れていなかった。
礎石の記録は、私の中に写し取ってある。二十年前の改竄の一部始終。差し出せば、ギデオン侯爵を裁ける決定的な証拠。
けれどあの記録は、同時に現王家の正統性そのものを撃ち抜く弾でもあった。
「……堂々巡りですわね」
深夜の調査室で、私は書きかけの鑑定書を前に頭を抱えていた。
公表すれば、どうなるか。陛下の即位は改竄の産物と知れ、王家の権威は地に落ちる。継承権を主張する者、否定する者、隣国ザルツェンの介入。最悪、内乱すらあり得る。ヴェスパーとミレーヌの狙いは、まさにそれなのだ。
では、隠せば。
ギデオンの罪は闇に葬られ、ヴェスパーの冤罪は永遠に晴れない。奪われた遺児は奪われたまま。そして私は──改竄を知りながら黙認した、二人目のギデオンになる。
鑑定書の白紙が、こちらを見上げている。所見も結論も書けないまま、燭台の蝋だけが減っていった。三千件の鑑定で、私はいつも迷わず事実の側に立ってきた。事実と事実が争う夜が来るなんて、考えたこともなかったのだ。
「記録魔導士は、事実に仕える者ですわ。七年間、そう信じて参りました。ですが」
向かいの席で書類を検めていた殿下に、私は問うともなく問うていた。
「事実が、国を壊すときは? それでも記録係は、事実の側に立つべきなのでしょうか」
殿下は書類を置いた。すぐには答えず、冷めた茶を一口飲み、あの少し悲しい顔をして、それから静かに口を開いた。
「──子供の頃、父上に聞いたことがあります。なぜ文書院などという地味な部署に、あれほどの予算を割くのかと」
「陛下は、何と」
「『記録だけは、決して削るな』と。理由は仰らなかった。ただ、その時の父上の顔を、妙に覚えています。まるで……罪を告白する人のような顔でした」
息が、止まった。
「殿下。それは、まさか」
「ええ。今なら分かる気がします。父上は、知っていたのかもしれない。知っていて即位し、知っているがゆえに、いつか自分を裁ける制度を──記録魔導士制度を、育て続けたのかもしれない」
二十年間、玉座の上で。自分の罪状を読み上げる日のために、その読み手を育てながら。
もしそうなら、それは何と歪で、何と誠実な贖罪だろう。
「私の答えを、申し上げます」
殿下は立ち上がり、窓の外の王宮を見た。
「事実を隠して立つ国は、いずれ嘘の重さで沈む。二十年前の嘘一つが、工作員を生み、兄を廃嫡させ、あなたに冤罪を着せ、今この瞬間も国境の火種になっている。嘘は、埋めても腐らない。土の下で膨らみ続けるだけです」
「……公表なさると。陛下を、裁く側に回られると」
「ええ。父上と刺し違えてでも」
その声に、悲壮はなかった。ただ、決裁印を押す時と同じ、静かな確かさだけがあった。
「ただし、ヴェスパーの筋書きには乗りません。暴かれるのではなく、こちらから明らかにする。混乱を最小にする手順を組み、法の内側で、正しく裁く。──そのために、あなたの力が要ります。記録係殿」
私は目を閉じ、この三日間の堂々巡りが、静かに解けていくのを感じていた。
事実に仕えることと、国を守ること。二つは天秤の両皿ではなかった。事実の上にしか、守るに値する国は立たないのだ。
「承知いたしました。──この一件、王国記録魔導士セラフィーナ・ヴェルクロードが、正式な鑑定として引き受けますわ」
夜明けが、近かった。
けれど私たちはまだ知らなかった。敵の方が、一手だけ早かったことを。




