第17話
禁書庫の中は、時が止まったような静けさだった。
王家の系譜、歴代の遺言状、外交の密約。国の背骨にあたる文書が、燭台の灯りの中に沈黙して並んでいる。その最奥、玉座の間の真下に据えられた巨大な礎石が、ヴェスパーの手紙が示した場所だった。
「『あの男が消し忘れた、たった一つの場所』……確かに、ここなら頷けます」
殿下が礎石に触れ、低く言った。
「王宮の増改築の記録を調べました。この礎石は建国以来、一度も動かされていない。そして二十年前、禁書庫は改修工事で三月ほど閉鎖されています。──書記官長の発議による、改修工事で」
「証拠の残る場所を、封じたのですね。消す魔法は当時の侯爵にはない。ならば、人を近づけなければいい」
「ええ。ですが石は、覚えている」
私は礎石の前に膝をつき、両の手袋を外した。二十年前の残留記憶。しかも石材は記憶の沈み方が深い。指先ではなく、両の掌で読む必要がある。魔力の消耗も、並の鑑定の比ではないだろう。それでも、やるしかなかった。
「時間がかかります。見張りをお願いできますか」
「あなたの背は、私が」
短い答えに頷いて、私は掌を石に押し当てた。
「──《レコルダ》」
銀の光が、礎石の年輪を遡っていく。十年、十五年、十九年。降り積もった歳月を一枚ずつ剥がすたび、額に汗が滲んだ。そして、二十年前のあの季節。先代陛下の崩御の、七日後の夜に、指先が触れた。
像が、結ばれた。
深夜の禁書庫。燭台を手に忍び込む、壮年の男。撫でつけた銀髪はまだ黒く、けれどあの笑っていない目は、今と寸分違わない。
若き日の、ギデオン・フォン・アルバレス。
男は系譜の棚から一冊の台帳を抜き出した。王位継承簿──王族の生誕と継承順位を記す、王国で最も重い帳面。男は迷いのない手つきで数葉を切り離し、懐から取り出した別の紙葉と綴じ替えていく。準備された偽の頁。インクの色まで揃えた、完璧な複製を。
「……これは」
背後で殿下が息を呑んだ。私は震える声で、像の中の帳面を読み上げる。
「切り離された頁に、記載があります。『第一王子ラファエル、妃エリアーヌとの間に一子。王位継承権第一位を、その子へ』──殿下。ラファエル様とは」
「……父の、兄です。即位の一年前に、流行り病で亡くなったと」
殿下の声が、掠れていた。灯りの中で、その横顔から血の気が引いていくのが分かった。
「子など、いなかったはずだ。ラファエル伯父上は独身のまま亡くなったと、王家の記録には」
「その『記録』を、今まさに彼が作っておりますのよ」
像の中で、ギデオンは切り離した頁を燭台の火にかざし──ふと、手を止めた。灰は痕跡になると思い直したのか、頁を懐へ仕舞い込む。それから何食わぬ顔で帳面を棚へ戻し、闇に消えた。
光が、途切れた。
私は石の前に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
二十年前、この国の王位は書き換えられた。正統な継承権は、亡き第一王子の遺児にあった。現陛下の即位は──アルディス殿下の継承権は、その改竄の上に立っている。
読まなければよかった、とは思わない。記録係がそれを思ったら終わりだ。けれど、この記録の重さを背負って明日から生きるのだという実感が、遅れて肩にのしかかってきた。
「殿下……」
「読み取った記録は、確かですか」
「……ええ。鑑定人として、寸分の疑いもなく」
長い、長い沈黙の後。殿下は礎石に手を置き、絞り出すように言った。
「では、我々は今夜──この国の、玉座の真下にある嘘に、触れてしまったわけだ」




