第16話
「──決めました。禁書庫は、私の権限で開けます」
三日後の夕刻、決裁室でアルディス殿下はそう言った。あまりに平然と仰るので、私は一瞬、意味を取り損ねたほどだった。
「……お待ちください。勅許は、宰相府の副署がなければ」
「勅許は取りません。文書院管理責任者として、王家文書の『保全点検』を行います。点検の名目なら私の職権の内です。無論、詭弁です。点検に記録魔法の再生は含まれない。後で必ず、越権を問われます」
「問われたら、どうなさるのです」
「責任はすべて私が負います。あなたは私の命令で同行しただけの鑑定人だ。処分が及ぶことはありません」
殿下は既に手袋を嵌め、点検簿を小脇に抱えていた。今夜、行くつもりなのだ。何日も前から、一人で決めていたのだ。
この三日間の不自然な残業も、点検簿の几帳面な整理も、すべてこのためだったのだと、今になって腑に落ちた。私に相談しなかったのは、巻き込まないためだ。分かっている。分かっていて、なお。
気がつけば、私は立ち上がっていた。
「反対ですわ」
自分でも驚くほど、強い声が出た。殿下が目を見開く。七年間、この方の前で私が声を荒らげたことなど、一度もなかったから。
「越権が明るみに出れば、殿下は継承権を失いかねません。侯爵は必ずそこを突きます。王家の記録を私的に暴いた王子と、王家を守った忠臣──筋書きはもう、書き上がっているようなものですわ」
「承知の上です」
「承知の上で仰っているから、反対しているのです!」
声が、震えた。
「殿下は……あなたは、ご自分の価値を軽く見積もりすぎです。この王宮で、記録の重さを正しく知る為政者があなたの他に何人おりますの。あなたが失脚したら、誰が──」
言葉に詰まって、それでも、止まらなかった。
「誰が、あなたの誠実さを証明するのですか」
沈黙が落ちた。
窓の外で、夕暮れの鐘が鳴っていた。言いすぎた、と頭の片隅で思う。これではまるで、職務の話ではないみたいだ。実際、職務の話では、もうなかったのだけれど。
殿下は静かに点検簿を机に置き、私を真っ直ぐに見た。
「──あなたが、記録してくれるでしょう」
「……え」
「私が失脚しても、あなたの《レコルダ》には、今夜の私が残る。何のために禁書庫へ行き、何を明らかにしようとしたか。あなたが読んでくれるなら、私の誠実さとやらは、それで十分に証明されます」
ずるい、と思った。
この方は本当に、ずるい。私の魔法を、私の七年を、こんな殺し文句に使うなんて。
「私はこの国の記録を預かる者です。その記録が二十年前に汚されたままなら、正す義務がある。……ですが、あなたを巻き込む権利はない。同行は命じません。ここで待っていて──」
「参ります」
今度は私が遮る番だった。手袋を外し、鑑定人の顔を作る。頬が熱いのは、夕陽のせいということにしておく。
「礎石の残留記憶は二十年もの。霞んだ記録を読めるのは、この国で私だけですわ。それに」
扇を手に、私は殿下の前に立った。
「あなたの今夜を記録する係が、隣にいなくてどうしますの」
その夜、月が雲に隠れるのを待って、私たちは玉座の間の奥、禁書庫へと続く扉の前に立った。
衛兵の巡回の隙は、殿下が正確に把握していた。文書院の管理責任者が七年かけて頭に入れた、王宮のすべての動線。それが今夜ほど頼もしく、そして後戻りできないものに思えた夜はない。
殿下の鍵が、二十年分の埃を纏った錠前に差し込まれる。
重い音を立てて、歴史の扉が開いた。




