第14話
アルバレス侯爵家の舞踏会の招待状が文書院に届いたのは、その三日後だった。
「宰相府主催の、春の恒例行事です。私は毎年欠席していますが──今年は、出る価値がありそうだ」
「侯爵の懐に、正面から入るおつもりですか」
「敵かどうかも分からぬ相手を、遠くから疑い続けるよりは。それに」
殿下は招待状を卓に置き、少しだけ視線を外した。
「同伴者の欄が、空いています。……お願いできますか」
静養中の傷心令嬢の再デビューが、第二王子の隣とは。社交界が沸き立つ音が、今から聞こえるようだった。
果たして、侯爵家の大広間は私たちの入場とともにざわめいた。
「まあ……ヴェルクロード家の」「アルディス殿下がエスコートを? あの書庫の亡霊が?」「兄宮の捨てた令嬢を弟宮が、ということ?」
扇の陰の囁きは、あの夜会と同じ温度をしていた。違うのは、隣に立つ人だけ。
「……申し訳ありません。予想はしていましたが、想像以上に品がない」
「お気になさらず。噂話というものは、記録に残らないと思えばこそ威勢がよいのです」
「なるほど。では、記録に残る事実を作りましょう」
殿下は事もなげにそう言うと、広間の中央へ私の手を引いた。楽団に目配せひとつ。始まったのは、その夜最初のワルツだった。
第二王子が公爵令嬢の手を取り、衆目の中で堂々と踊る。逃げも隠れもしない、この上なく雄弁な「事実」を。
「殿下、ダンスはお嫌いだと伺っておりましたが」
「嫌いです。ただ、必要な記録だと判断しました」
「まあ。では私は書類と同じですのね」
「──そういう意地の悪い切り返しは、兄の前でも?」
「あら。婚約者の前では、一度も」
「では、光栄なことだ」
あまりに自然に返されて、次の一歩を踏み間違えそうになった。この方は時折、こういうことをなさる。しかも本人は書類を決裁するのと同じ顔のままなのだから、性質が悪い。
ほんの一瞬、回る視界の中で殿下が笑った。それだけで、周囲の囁きの質が変わるのが分かった。悪意の噂は、当人たちが幸福そうにしていることに一番弱い。
曲が終わりに近づいた、その時だった。
「これはこれは。今宵は星が二つも降りてこられた」
拍手とともに歩み寄ってきた老紳士に、広間がさっと道を開けた。
銀髪を撫でつけた、恰幅のよい老人。柔和な笑みと、笑っていない目。
ギデオン・フォン・アルバレス侯爵、その人だった。
「アルディス殿下のご来臨とは、当家の誉れ。それに──ヴェルクロード公爵令嬢。此度は大変な災難でしたな。あの夜の見事な『上映会』の話は、この老骨の耳にも届いておりますぞ」
「恐れ入ります、侯爵様」
「いやはや、記録魔法とは怖いものです。人の隠し事をすべて白日の下に晒す。……時に、令嬢」
侯爵は一歩、距離を詰めた。声量は変えぬまま、その声だけが、私にだけ届く重さになった。
「近頃、文書院で古い書類を熱心にお読みとか。感心なことだが、老婆心ながらご忠告申し上げよう。過去というものはな──掘り返さぬが、花ですぞ」
柔和な笑みは、一分も崩れていなかった。
崩れていないことが、何よりの答えだった。文書院の閲覧記録は非公開のはず。それを知っているとこの場で明かすこと自体が、脅しなのだ。私の隣で、殿下の腕がわずかに強張るのが伝わった。
「ご忠告、痛み入りますわ」
私は扇を開き、完璧な淑女の微笑で応じた。心臓は正直に速く打っていたけれど、それを記録できる魔導士は、この場には私しかいない。
「ですが侯爵様。花と申しますのは、掘り返した土にこそ、よく咲くものでしてよ」




