第10話
その面会依頼は、離宮から届いた。
差出人はレオンハルト殿下。謹慎中の身で唯一許された私信の権利を、あの方は私に使ったらしい。
「断っても、誰も咎めませんが」
アルディス殿下は書状を検めながら、そう言ってくださった。
「いいえ。参ります」
「未練からではない。ミレーヌと最も長く言葉を交わした人物から、聞き出せることがあるかもしれない。それだけの理由ですわ」
「……分かりました。ですが」
殿下は書状を畳み、少しだけ言い淀んでから続けた。
「辛くなったら、切り上げて構いません。調査より優先すべきものは、いくらでもあります」
この方はたまに、こういうことを事務連絡と同じ顔で仰るから困る。私は礼だけ述べて、離宮へ向かう馬車に乗った。
離宮の応接室で待っていたレオンハルト殿下は、ひと月足らずで別人のようにやつれていた。
「……来て、くれたのか」
「調査官として参りました。ドラン男爵令嬢について、伺いたいことが」
「セラフィーナ。その前に、聞いてくれ」
殿下は椅子から立ち、あろうことか、床に膝をつこうとした。私は扇を上げてそれを制した。王族が容易く膝を折るものではない。それすら忘れてしまわれたのか。
「悪かった。全部、俺が愚かだった。おまえの言う通り、俺は騙されて──いや、違うな。騙されたことにして、逃げていた。……なあ、セラフィーナ。やり直せないか。婚約のことは、父上に俺から」
「殿下」
私は静かに、けれどはっきりと遮った。
「記録は、消せません」
「……っ」
「あなたが衆人の前で私に着せた罪も。追放だ修道院だと宣告なさった声も。七年の間、私の淹れた茶の味を一度も覚えてくださらなかったことも。すべて、もう起きてしまったことですわ。起きたことは、なかったことにはなりません。私が誰より、それを知っております」
殿下の顔が、ゆっくりと歪んでいった。怒りではなく、幼い子供が迷子になったような、頼りない表情に。
不思議と、憎しみは湧かなかった。
この方は弱かっただけなのだ。王太子という器の重さに耐えかねていたところへ、「あなたは悪くない」と囁く声が現れた。縋ってしまった。ただ、それだけ。それが罪でないとは申さないけれど。
思えばミレーヌは、最初からこの弱さを見抜いていたのだろう。付け入る隙を探す訓練を受けた者の目に、この方はさぞ御しやすく映ったに違いない。哀れなのは、七年隣にいた私より、出会って一年の工作員の方がこの方を正確に理解していたことだ。
「……ひとつだけ、教えてくださいまし。ミレーヌ・ドランは、ご自分の話をしたことがありますか。故郷のこと、家族のこと、幼い頃のこと」
殿下はしばらく黙り、それから力なく首を振った。
「……ない。今思えば、一度もだ。あいつはいつも俺の話を聞くだけだった。俺の不満を、愚痴を、弱音を。心地よかったんだ、それが。あいつの前でだけ、俺は……完璧な王太子でいられた気がして」
殿下は自嘲するように、乾いた笑いを漏らした。
「笑えるだろう。俺は七年隣にいたおまえの努力は見ずに、俺を映す鏡だけを愛していた。鏡の中の、上等な俺を」
それは、この方の口から聞いた言葉の中で、初めて誠実なものだった気がした。
「殿下。過去は消せませんが──これから何を記録に残すかは、選べます」
立ち上がり、私は一礼した。
「あなたの残りの生涯が、今日のお言葉のように誠実であることを。元婚約者として、それだけを願っておりますわ」
扉を閉める間際、嗚咽のような音を聞いた気がしたけれど。
私はもう、振り返らなかった。




