普通の女の子
レイズは赤い絨毯の廊下を一人で歩く。
両手を強く握りしめ早足で歩を進めるが特に目的地などはない。とにかく今の鬱蒼とした気分を一秒でも早く晴らしたかった。
左手に下り階段が伸びる窓辺に差し掛かると彼は立ち止まり、窓の外を見降ろした。
燦々と照らす午後の日差しを至るところから上がった灰色の煙が受け止める。重工な鋼の群の下で数多の魔導灯が不規則に散らばり、日差しを反射させてキラキラと輝いた。
高台に建てられた支部から眺めても、見上げるほどの建造物が何本か覗える。
魔導開発都市ディゼル。それがこの街の名だった。
鉄板を組んで作られた建物と魔導灯が立ち並んだ産業都市。魔導企業の背の高い鉄塔群が中央区にひしめき合い、川を挟んで煉瓦造りの移住区や商業区が囲う。
入り組んだ構造が窮屈だと言う人間もいるが、彼は気に入っていた。
重く堅牢な景色に平穏を感じていた。
先の話など魔光の朧に忘れてしまいたい――。
目線を更に下に向けると眼下でいくつかの影が動いている事に気が付いた。
そこには窓の景色とは一変して噴水や花壇などが施された庭が広がっていた。そこでロゼやベルル、先ほどのロゼを突いていたペスと呼ばれた少女が遊んでいるのが見える。黒いカーディガンを羽織った黒髪の少女も一緒だった。
ベルルと楽しそうに話をする少女の横顔を眺めて彼は呟いた。
「なにが普通の人間じゃない、だ。街の子と何も変わらない、ただの女の子じゃないか」
彼は暫く彼女を見つめ、やがて肩をだらりと力なく垂れ下げて階段を下って行った。
ロビーの扉を開けると眩い日差しが彼を包み込んだ。からりと晴れた空は、気温は少し低いものの廃墟で感じた冬の肌寒さは感じない。気持ちよく吹いた風が髪を揺らす。
白い煉瓦を積み上げて作られた三階建ての建物は、まるで教会のようであった。花壇や噴水などもそう感じさせる要因を孕んでいたのだが、なによりもそのイメージを確立させるのは一番頂上に施された大きな黒い鐘の存在だった。
この建物の特徴であり執行官の象徴でもある黒鐘は絶対的なインパクトを見る者に与える。その風体と鳴り響く鐘の音はこの世界において畏怖の代名詞であった。
「お、ようやく来たなレイズ! おっさんとの話は終わったみてぇだなぁ!」
ロゼにつられシェリアも寄ってきて声を掛ける。
「ずいぶん長かったね。大事なお話だったの?」
「まぁいろいろとね。シェリアさんは元気に――」
向いたレイズの瞳に先程までとは印象が大きく変わったシェリアが映った。胸の前で手を組んだ彼女のクセのある黒髪が、頭の上の方でツーサイドアップに結われ、真紅のリボンが二つ飾られていたのだ。
イメージの違いと可愛らしさからたじたじな返事をしてしまった彼は、少し頬を赤くして目線を外し、右頬をぽりぽりと掻く。
「いやぁ照れんのもわかるぜぇ。殺人級の可愛さだもんなぁ。ベルルもたまにはいい仕事するぜぇ、まったくいつもこんぐらいしろよなぁ」
案の定だがどこからともなく飛来した花瓶がロゼの眉間を直撃した。
「わ! ロ、ロゼさん!? しっかりして下さいぃ!」
すっかりロゼとベルルのじゃれ合いに参加してしまっている彼女はあたふたとしながらも、どこか楽しそうに見える。
そんなシェリアに彼自身も喜びを感じた。あの地下で震えていた少女が今や仲間の元で幸せな姿を見せていることがなにより嬉しかった。もし仮にこの状況が何者かに仕組まれていた事だとしても、その気持ちは変わらないだろう。
レイズは少し照れくさくなってシェリアから目線を外すと、少し離れたテラスに立つとある一人の女性が目に入った。
「――リゼアさん」
そこで銀のジョウロを持ち植木鉢に咲いた色とりどりの花々と向き合う女性は、支部長の執務室を出ていった秘書官のリゼアであった。短めの注ぎ口に左手を添えて、丁寧に水を注ぐ彼女の後ろ姿はとても弱々しくどこか寂しげに映る。先程見た殺気溢れる執行官の影などどこにもなかった。
そんなリゼアを気遣ったのか、メイドが自家製のハーブティをトレーに乗せて現れティータイムに誘う。が、彼女は首を少し横に振ると一人で奥へ消えてしまった。
やはり支部長の言葉が随分と効いてしまっているらしい。
ちゃんと謝りに行った方が良いか――と、彼は考えたが、突然自分の直ぐ背後から聞こえた声に驚きそれどころではなくなってしまった。
「レーーーズンッ!!!」
「はひ!?」
変な声を上げてしまった事を恥じながら慌てて振り返ると、真下と言ってもいい距離に一人の小さな女の子が片腕をビシッと掲げ首を九十度近く曲げて立っていた。被ったショートシルクハットが今にもずり落ちそうである。
「ンンンンオッッッッスゥゥゥ!!!! ペッスンであるぅっ!! 生き返ったかっレーーズンッ!!」
癖のある白髪のツインテールをショートシルクハットの隙間から飛び出させた少女は、無気力を全開に放出した目、通称ジト眼でレーズン、またの名をレイズを見つめる。
「ぺスさんかぁ、びっくりした。……首、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないっ。折れそうだっ……」
「今すぐに止めてください! 危ないですよ!」
「オ、オッスオッスゥ……」
ペスと呼ばれた少女は呂律の回っていない三角形の口で苦しそうに言いながら両手を耳に押し付け、ゆっくりと顔の角度を調整するようにして戻す。
ペストラバル=ドードル。
長いから゛ペス゛である。
ロゼの腰上ほどしかない小さな身長と頭に被る短いシルクハットがトレードマークの彼女は、その見た目から支部内で最年少と思われがちだが実際はアダムスを除いたメンバーの中で最年長者である。歳にして二十六歳、世の中分からないものである。
「ぺ、ペスさん。いい加減俺の事レイズって呼んでもらえませんかね? 初めての子もいるので……」
「シェリアンヌのことかっ!? レーズンッ!!」
彼は諦めた。すでに先手は打たれていたのだ。
片手で両目を覆い自分の甘さを悔やんでいる彼を尻目に、ペスがまたも口を開く。
「そういえばレーズンにはまだ見せてなかったっ! ちょっと待ってろっ!」
半袖コートの執行服に黒のホットパンツと大き目のブーツで駈けて行ったペスは、何かを抱きかかえたと思えば目にも止まらぬ高速の脚で帰還した。
両手に抱えた何かを彼に向けて突き出す。
「……これ、虎猫?」
「飼うことにしたぞっ!」
突然の宣告に空いた口が塞がらない様子のレイズ。ペスの両手には黄色と黒、そして白の毛が波模様を描いた猫、虎猫が抱かれていた。それを飼うという事らしい。
「えっと、たしかペスさんってもう――」
そこまで言いかけると突然虎猫が暴れ出して腕の中を抜け走り去ってしまった。ペスはそれを即、捕まえると抑え込むようにして無理矢理じゃれている構図を作り出す。
目の前の光景に何とコメントしていいものか、と困惑している彼の元にロゼが眉間をすりすりと擦りながら歩み寄ってきた。
「前飼ってた蛇がアイツに食われたってんで飼う事にしたんだと。相変わらずペスは変わってんなぁ」
「前にもありましたよねその食物連鎖……。よく愛せますね……」
衝撃の事実を聞かされ、彼は誰しもが思うであろうことを口にする。
ある程度じゃれ合ったペスが引っ掻き傷をいくつか作った顔でまたまた帰還すると、彼の腕に虎猫を押し付けた。
「仲良くしてやってくれっ! 今のところワワシ以外に引っ掻いてない偉い子だっ!」
フンッと鼻を鳴らし自慢げなペスは両手を腰に当てジト眼を瞼の裏に隠してしまう。
彼の腕の中に納まる虎猫は先程までとは打って変わって大人しくしている。そんな様子の新しいペットに可愛げを感じ、人差し指で頭の模様をなぞってみると、喜んでいるのか嫌がっているのか短い手を振って痒そうな素振りを見せた。
「へぇ、かわいいなぁこいつ。名前はもう決まっているんですか?」
「アンデットロードだっ」
絶対に聞き間違えだと思い、彼はもう一度尋ねてみる。
「……すいませんよく聞こえなかったのでもう一度いいですか? この虎猫の名前はなん――」
「アンデットロードッだっ!」
願いは届かなかった。この愛らしい虎猫の名はアンデットロードだ。誰が何と言おうがアンデットロードなのだ。
しかし思い返してみればペスが今まで飼っていたペットたちはそう奇妙な名前ではなかったような気がした。彼は交渉も兼ねて一応確認を試みる。
「えっと、ペスさんが初めに飼っていたあの野鼠。名前なんでしたっけ?」
「ノッタンッ」
「次の縞蛇は?」
「ツルリンッ」
「それで、こいつは?」
「アンデットロードッ」
「辛いなら悩み聞きますよ」
ガーン、と何かに打たれたようなペスは右腕にジト眼を埋めてぶんぶんと左右に振り出した。




