謀略の根
今回の件、と聞いて直感的にシェリアや神槍のことだと思い込んでいたレイズはきょとんとしてしまった。
「どうした? お前が主犯のマルメを殺っただろ? あんまり嬉しそうじゃねぇな」
彼の頭から手を放したアダムスは鼻の下に整えられた髭を掻く。
「その後の話をされるものだと思っていたので……つい」
「まったくロゼといいお前といい、急かすねぇ」
気怠そうなアダムスは銀天秤の置物が置かれた窓辺で立ち止まると、一呼吸おいて振り返る。
「ま、お前の言う通りその後が問題なんだがな」
窓辺に寄りかかるアダムスの口は変わらず緩んでいたが、目が全くと言っていいほど笑っていない。冷たく、睨み付けているようにも見えた。
二人の間に暫くの沈黙が訪れる。
彼はアダムスの口が開くのを待ち、アダムスといえば壁に飾ってあった狼の首の剥製をまじまじと見つめている。そしてようやくアダムスが沈黙を破ったのだが、口から飛び出した言葉は彼の予想もしない内容だった。
「レイズ。ベアウルフの爪ってさ、すげぇ長ぇんだってよ。知ってたか?」
狼の剥製を横目で見上げながら問うアダムスに、再びきょとんとしてしまうレイズ。
「他の狼より倍以上長くて、立つと曲がった爪の先が肉球より下にいっちまうらしい。生息する野谷でより早く走るためらしいんだが」
彼の様子などお構いなしに話を進めるアダムスは右手を胸の前に持ってくると、指を狼の爪に見立てて折り、今言ったことを表現した。
「はぁ、聞いたことはありますが……。それがどうかしましたか?」
「地面が土の野原とか砂の浜辺とかならその特性を生かせるらしいんだがな。硬ぇ岩の上とか木の上とかは爪が食い込まねぇから苦手らしい。ましてや一面コンクリートの廃墟なんてのは以ての外だ」
そこで彼は初めてはっとした。この暢気とも取れる話が自分に無関係でないことに気が付いたのだ。傷が塞がっている筈の左腕がかすかに疼く。
「お前らが任務中ベアウルフに襲われたってことはロゼから聞いてる。それもおそらく廃墟の中心部で、だ。ベアウルフが生息する近隣の森から軽く十キロ以上離れたそんな場所で奴らに遭遇することは考えにくい。まぁ、一匹程度ならたまたま迷い込んだってことも無くは無いだろうが群れ単位で遭遇することなんて絶対に無ねぇ」
腕を組んだアダムスは声を低くして告げた。
「お前らの会ったベアウルフが正常なら、な」
「……何が言いたいんです?」
アダムスの言う事が理解できない彼は眼を細める。
「自然なら有り得ない。ただそこに何者かの意思が働いていた場合、その゛正常゛は簡単に引っ繰り返る」
一呼吸おいて――。
「意図的だな。まず間違いなく」
彼は驚きに眼を丸くした。つまり自分を襲ったベアウルフの群れが何者かに操られていたと、そう言っているのだ。
「そんなこと……意味がわかりません……!」
「信じらんねぇのはわかる。だがそう考える以外ねぇんだ。ベアウルフの群れは誰かに操られて廃墟に侵入しお前らを襲った。魔物の神経操作系魔術を使ったんだろう」
「魔物の操作って……同時に十体以上ですよ?」
「やる奴はやる」
不可能ではないとアダムスは言う。
彼の頭は疑問で溢れかえっていた。たしかに命を襲われることに心当たりが無い訳じゃない。執行官という職業柄、人に恨まれるなんて事は彼に関わらず日常茶飯事だからだ。しかし任務先の閑散とした廃墟で大量の魔物を操ってまで実行するなんて奇妙な手段を果たして取るだろうか。ましてや当の廃墟は立ち入り禁止区域、執行官の任務場所は当然公開などされない。それを理解し逆手に取った上での犯行か――。
「それも踏まえてお前に聞きたいことが山ほどあんだ」
「それも踏まえて……ですか?」
「ああ、昨日お前の身に起きたことがただの偶然じゃねぇって思わせる情報が山ほどきてる。……《《アレ》》が絡んでんだ。どんなことでも無視するわけにはいかねぇ。わかるな?」
机の方を顎で指したアダムスの表情から先ほどまでの余裕は失せていた。指した先には見覚えのある黒のトランクが机に寄り添うようにして置かれている。
彼は寒気を覚えた。額に汗がにじみ出す。
そして遂にアダムスが話の火蓋を切り落とした。
「何があったのか一から全部話せ。一切の割愛は無し。いいな?」
アダムスの言葉を受け、レイズは昨日起きたことを話し始めた。
「以上が昨日起きた一連の騒動の全てです」
というレイズの言葉から一分程経ったのだろうか。
再び薄暗い執務室の中には沈黙が訪れている。窓も締め切っているため野外の音も聞こえず、耳に響くのはたクラシック時計の秒針が進む音のみである。
アダムスといえば話し始めてからずっと窓辺に腰を寄せて腕を組み、無駄な動作どころか目線すら動かさない。
暫くして、アダムスは組んだ腕を解き顎の髭を弄ると、ようやく口を開いた。
「なるほど。なるほどなぁ。想像はしてたがこりゃ相当だな」
全貌を知ったアダムスに笑顔は一切ない。
彼はロゼやベルルに地下へ落ちてからのことを詳しく話していなかったため、報告を受けたアダムスもまた知らない内容だった。
「俺も地下で見た松明には何者かの意図を感じていました。魔術の類のものではなかった筈です」
人為的意図を疑うアダムスはきっとこの事が引っかかっているのだろうと感じた上での同意だったのだが、レイズの予想は外れることとなる。
「いや、確かにそれもそうなんだがな。もっと前に普通じゃ有り得ねぇことが起きてやがる」
「もっと前に?」
「地震だよ」
地震――ベアウルフの群れに遭遇した直後に起こった視界を揺るがすほどの大地震のことだ。
アダムスは続ける。
「昨日の大地震は機関でも感知しててな。今日の朝方に本部からいろいろと連絡が入ってる。お前らのいた廃墟より少し北を震源とした地震だったんだが直下型地震にしても揺れた範囲が狭すぎる点と、五分以上も揺れが続いた点に異常性があるってんで夜中に調査隊が派遣されたんだ。震源地に着くとそりゃあもうひでぇ有様だったらしいんだがそこで調査隊はある一人の遺体を発見した」
「遺体?」
心当たりがある訳じゃない。だがそれを聞いたレイズは何か悪寒を覚える。
「ガド=ドーファ。震動系の高位魔術師で執行状の出てるB級犯罪者だ」
「!!」
嫌な予感は的中した。それにガドという名前には見に覚えがある。数年前にとある小さな港町を震動魔術で起こした津波で全壊させたという記事を新聞で見たことがあったのだ。
「では、奴があの地震を起こしたというんですか?」
「まず間違いないだろうな。偶然にしては出来すぎてる」
「ありえません! いくら高位魔術師だろうとあの規模の地震を一人で起こすなんて不可能ですよ!」
大地を直接揺らす事は小さな町を飲み込む程度の津波を発生させる事とは訳が違う。ましてや先ほどアダムスが口にした異常性のある地震なら尚更だ。
しかし当たり前を訴える彼を裏切るようにアダムスは言い切った。
「そう不可能でもない。レイズ、これ何か知ってっか?」
アダムスは右手をズボンのポケットに突っ込むと、とある物を取り出し彼に向かって投げる。
キャッチし掌の中を確認すると、そこには紫色の液体が入った小型の注射器のような物が握られていた。
「これ……魔増薬? 機関支給の物を模造した禁止薬物じゃないですか!?」
「そうだ。そいつが発見されたガドの遺体に足から頭までびっしり刺さっていたらしい。数にして百六十四本だそうだ」
彼は声も出せずに法然とした。一本でも身体に多大な影響を及ぼす劇薬を同時に百本以上使用したらどうなるか、答えは子供でも分かるほど簡単だった。
「体内の魔力が数秒で暴発します。死んで当たり前だ……」
「ああ、だが一時的にイカレた力を使える。奴一人であの地震を起こすことも可能だろうな」
たしかにそれだけの薬物を使えば不可能ではないのかもしれない。ただ――。
「身体がもちませんよ。一分と経たず自壊しかねない……」
「そうだな。だから恐れ入ったよ、奴には」
あたかも魔力の暴走に耐えたかのように話したアダムスは続ける。
「奴の死因、体内魔力の過度な欠乏が原因だったらしい。つまり奴は自分の魔力が暴走した状態で術を行使し続け、魔力が空になった時の反動で死んだんだ。魔増薬による魔力の暴走で身体が壊れたんじゃねぇ」
恐怖を覚え絶句する彼はもう一度手の中の薬物を見つめる。もしそれが事実だったとしたらガドは何故そんなことを命を捨ててまで行ったのか。自懐だろうが欠乏だろうが命がもたないことなんて一介の魔術師なら分かる筈だ。
「なぜ奴はそんなことを……」
「理由はわからねぇが誰かに強要されたって事だけは間違いねぇな」
「強要!?」
「そりゃそうだろ。そんな無茶する理由がわからねぇってのもあるが魔増薬を百本以上自分の身体に突き刺すことなんてできるとは思えねぇ。それ以前に一般に出回らねぇ禁止薬物をそんな数、ただの犯罪者一人が掻き集められる筈もねぇ。闇市か、禁止薬物の密造業者か、裏の世界に顔が利く金持ちがバックに居ねぇと不可能だ」
アダムスの言うことは的を射ている。魔増薬の入手と使用、常人には到底不可能だ。
「なんか大事なモンを人質に取られて脅されて、そうせざるを得ない状況に陥れられたってとこか。魔力が空になるまで暴走に耐えて術を使い続けたってことからもその可能性は高ぇな」
レイズは執行対象である犯罪者を憐れんだ。一体どれほどの苦しみの中で息絶えたのか、想像もつかない。
「ガドは利用されただけだ……。裏には一体どんな組織が……」
「そうだろうな。んで、レイズ。お前もそろそろ気付いていると思うが、今言った二件、まさか偶然に起こった事だなんて思ってねぇよな?」
彼は答えられなかった。いや信じたくなかったのだ。自分たちを狙ったという事なら構わない。だが今の時点で彼の考えの片隅にはとある一人の少女が浮かび上がっていた。彼女の元に、話の道筋は繋がってしまうような気がしていた。




