報酬
薄暗い部屋は数本の燭台の灯火により辛うじて全貌を見渡すことができるような状況だった。
赤い壁紙と黒い絨毯の床。締め切られ黒いカーテンが覆う窓辺には植木鉢や銀食器、空の酒瓶で造ったボトルシップが置かれ、部屋全体に小洒落た雰囲気が作りあげられている。部屋の中に充満したほのかに甘い匂いはディゼィル産の葉巻特有の香りだった。
そんな部屋の中心に手を後ろで組み足を肩幅に開いて立つレイズは、奥に置かれた横に長い机に脚を置き椅子に深く座って葉巻を吹かす影を凝視している。
静かな部屋の中に葉巻を吹かす吐息の音だけが流れる。
レイズにとってこの静寂はあまり居心地の良いものではない。
何度目かの唾を飲みこんだ時、ようやくその静寂は終わりを告げた。
「――支部長」
それは彼でもなく、勿論葉巻を吹かす影が上げた声でもない。
机の隣に控えた銀髪の執行秘書官リゼアから発せられたものであった。
「――んん?」
影の男が重い声を唸るようにして上げた。
「彼が来ています」
必要最低限の発言しかしないリゼアはまるで氷の様に冷たく尖った印象を与える。暖かい部屋の中で彼女の周りだけ温度が低いようだった。
「わかってる。それよりリーゼ。どう思う?」
「何度も申し上げていると思いますが私のことはリゼアと。して、どうとは?」
手を腰前で組んで微動だにしないリゼアが問う。
「レイズだよ。イイ顔になってきたと思わねぇか?」
「――言葉の意味が解りかねます」
瞳を閉じきっぱりと吐き捨てるリゼア。
影の男は手元に置かれた灰皿に葉巻を置くと、彼女に向き、笑いながら言い放った。
「そうカッカすんなって。いい加減許してやったらどうだ?」
「――――は?」
「――弟のことはよ――」
その一言で執行秘書官リゼア=リースは豹変した。
一瞬前まで隙間なく閉じられていた瞳が見開き、銀髪の毛が逆立つ。
眼球をぎょろりと回し男を食い殺すような眼付きで睨みつける姿は、さながら獲物を丸呑みにする寸前の蛇の様だ。
「おっとすまん。これは禁句だったな。ただしつこい女は嫌われるぜ?」
少しの間、二人の間に静寂が流れる。が、その静けさが本当は゛静寂゛と呼ばれるものではないことぐらい候補官のレイズとて知っていた。
「――気分が悪いので失礼します」
見開いた眼を抑えつける様に閉じたリゼアは一言そう告げると、許可を待たずにレイズの入ってきた扉に向かって歩き出した。リゼアが彼の傍を通りすぎる一瞬、少しだけ開かれた瞼の隙間から零れたものを彼は見落とさなかった。
――殺気。
あまりに清く混じり気など一切感じない、純粋な殺意。男に向けたものとは比べ物にならない程のものだ。
全身を舐め回された感覚に陥った彼はリゼアの後ろ姿を目で追った。一瞬でも背中を見せたなら首を跳ねられかねないと、本能が警告している。
これだ。これこそ彼がリゼアを苦手とする理由だった。己を殺したいと思っている人間を嫌うのは人間として当然のことなのだから。
リゼアが扉の向こうに消えたのを見届けた彼は震えた呼吸を無理に整えて男に向き直り、直立の姿勢など無視して喰ってかかった。
「なぜあのような事を仰ったのですか! あなたはいったい何を考えて――」
「レイズよ」
訴えを一言で制した男は椅子から立ち上がり、両手を机に置いて少し前屈みになる。
「お前、ここに来てどんくらいになる?」
「……一年と少しですが……」
影に隠れた表情から放たれる迫力に押され、言われるがままに答えるレイズ。
「じゃあお前、その一年の間に何人ぶっ殺した?」
男から飛んできた質問の異常性に一瞬眉を吊り上げたが、己が執行官であるという事実を考えるとそうおかしなことではなかった。つまりこの男は今まで何人の犯罪者を今回のマルメの様に空へ送ってきたのか、と問うているのだ。
「……数なんて……覚えていません」
「百と十七人だよ。とても候補官の叩き出せる数字じゃねぇ。本部連中並の成績だ」
男の言っている事に間違いはなかった。
レイズは将校学校での教育課程を終了後、現場実習という名目でこの支部に派遣されて来た。その日から今に至るまでの約一年間で百人以上の犯罪者をその手で執行してきたわけだがその人数が極めて特異。彼と同年齢の候補官など比較にならず、ロゼやベルルなどの地方勤務の正務執行官に勝り、任務数が地方より圧倒的に多い本部の執行官に勝るとも劣らない成績を残している。
「数が多ければ強く、賢いというわけではありませんから。それが今のことと何か関係がありますか?」
男は机に置く両手を放し、机を迂回するよう様にしてゆっくり歩き出した。
「たしかに、殺った数は執行官の強さに直結するわけじゃない。二人以上の小隊を組む以上そこにはセンスを生かした役割が存在する。罠にはめるのが上手い奴は罠を、策を練るのが得意な奴は策を駆使して最前線に立ってる奴を支援する。よっぽどの雑魚じゃなければ殺れるぐらいに周到に、緻密にな。そうなれば最後の一手を打つのは容易い。お前の言う通り、殺った数=強さ、じゃねぇ。ただ――」
「そういう話じゃねぇんだよ」
謳う詩人の様に右手を広げた男は歩きながら続ける。
「そいつの力量はわからねぇ。だが信頼性という面において執行官の中でこれより重視される項目はねぇんだ。いかに多く執行状の出た犯罪者をぶっ殺すか。躊躇なく共通の敵を地獄に叩き落とせるか。多い人間は僚内で信用されて然るべきなんだ」
男の言葉に彼は口を挟めない。それもそのはず、男の言うことは執行僚に席を置く人間にとって至極当然の事だからだ。
男が黒いカーテンで覆われた窓辺で立ち止まると、壁際に飾ってあった椿の花をツンツンと突き出す。
「なのにあの女ときたら、お前を信頼するどころか侮蔑してやがる。この一年間ずっと変わらず、それもお前がやっちまった事でもねぇ事件のことをいつまでもいつまでも。頭の固ぇ冷凍女にちょいとお灸を据えてやったんだよ」
そう、リゼアが彼に向けた殺意の根本的原因はレイズ本人とは無関係だった。そこに居るのは血の繋がりのあるたった一人の肉親の影。
「……それでも被害に会われた弟さんの話を持ち掛けるのはやり過ぎだと思います」
「人が良いなレイズ。良すぎだ、お前」
彼に目線を移した男はゆっくりと近付いてくる。
「上官相手に言いにくいのはわかる。だが耐える限界は付けねぇと自分の命をかえって縮めることになるぞ。眉間に銃口突きつけられてからじゃ遅ぇんだ」
彼は口籠って目線を落としてしまう。男の言うこともわからなくもないが先程の瞼の隙間から漏れた殺意を真正面から向けられたらと思うと、寒気でどうにかなってしまいそうだった。
「……ま、あの女の話はこの辺にして、レイズ。今回の件だがな」
はっとして顔を上げた時には男は影を出てすでに目の前にいた。男の広げられた右手がレイズの顔面に迫る。
反射的に眼を閉じてしまった彼に待っていたものは予想もしない゛報酬゛だった。
「マルメ一味討伐ご苦労だった。今回も良くやってくれたな」
男――支部長の手が彼の紺髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。場の張りつめていた空気から一変、困惑した彼はこの行為が「頭を撫でられている」ことだと気が付くのに少し時間がかかった。
ショートの黒髪を中央で上げ、デコを出した三十半ばのごつごつとした輪郭の男は白いシャツを胸の真ん中辺りまで肌蹴させている。鷹の様な鋭い目付きと乾いた瞳でレイズを覗き込む様にして口元を緩ませた。
アーミー=アダムス。
執行僚ディゼル東支部支部長であり現役時代を現場で終えた百戦錬磨の執行官である。現在は裏方の仕事にまわり第一線からは退いたもののその実力と評判は今なお健在で、執行僚内でのちょっとした有名人でもあった。




