救い
先ほどまでの騒々しい様子とは裏腹に室内は物静かな空気が漂っていた。
それもそのはず、昼下がりの日差しが差し込んだ部屋の中にいるのはベットに座ったシェリアと脇の椅子に腰かけたレイズのみ。数分前まで繰り広げられていた惨劇に参加していない二人が残っていたからだ。
ベッドの正面に設けられた暖炉の火が静寂に小さく爆ぜる。とても暖かく、ゆっくりとした時間が流れていた。
「いろいろ騒がしくてごめん。ここではいつものことなんだ」
謝ったレイズを前に、シェリアは少し気まずそうに身体を揺らす。
「私のことは気にしないで。……ロゼさん大丈夫かな?」
「あの人はこの程度でどうにかなっちゃうほど軟な人じゃないよ。それにベルルさんも絞めてくるって言って出てったけど、ホントは怪我治しに行ってあげたんだと思うよ」
シェリアはきょとんとした表情を浮かべているが、実際のところいつも通りの日常風景だった。知らない人間からしたら信じられないのも無理はない。
「そ、そうなんだ……。みんな仲良しなんだね」
「うん。愛情表現がその……ちょっと個性的なだけで。じゃれ合ってるだけだから」
そこまで言うと会話が途絶えてしまう。お互いにコミュニケーションが得意な方ではないのだ。
気まずい空気になるのはなるべく避けたかった彼は、今まで聞きたくても聞けなかった事情を尋ねてみることにした。
「シェリアさん、記憶の方はどうかな? なにか思い出したことはある?」
恐らく本人も一番気にかけているだろうことを問う。
「……ごめんなさい。やっぱりわからない……」
少し間を置いて答えたシェリアは申し訳なさそうに俯いてしまった。
「心配しなくても大丈夫だよ! 繊細な問題だから今すぐに解決は難しいけど、俺たちが責任を持ってなんとかするから」
「……ありがとう。嬉しい」
シェリアはほっとした表情を浮かべ、彼も胸を撫で下ろす。
「そう言えば、ベルルさんとはなにかお話しした?」
「いろいろ教えてもらったよ。えぇっと、天魔機関? の中で一番偉いのが執行官さんなんだよね。レイズくんすごいんだね」
あの人記憶喪失の子にそんな話したのか、と内心呆れた彼はなんて答えたらいいのか困った様子でたじたじだ。
「うーん、俺はまだ候補官で一応立場は学生だから偉そうなこと言えないんだけど、ロゼさんやベルルさんは凄いよ! いろんな人から一目置かれてて、本部の人からも慕われてるんだって!」
「本部……さっきベルルさんが話してたよ。この街にえっと……メア様? が来てたって」
彼はシェリアの言葉に耳を疑った。
「メ、メア様!? それは本当なの!?」
前のめりに喰ってかかった彼にシェリアは驚いた様子であたふたとしている。
「う、うん。そんなに凄い人なの? そのメア様っていう人……」
「お、驚かせてごめん……。えっとね、メア様っていうのは人の名前じゃなくて階級の名前なんだ。ナイトメア級執行官。みんな尊敬の意を込めてメア様って呼んでる。仇名みたいなものかな」
レイズたちが身を置く執行僚で最高位の階級に至った最強の執行官。その数は両手の指で足りるほどしか存在せず、そこに至ることは困難を極める。
「そんなに偉い人なんだ……。なにか大変なことがあったのかな?」
「……わからない。でもちょっとやそっとのことで動く人達じゃないから、きっと何か大事件があったんだと思う……」
正直なところ、レイズはかのメア様が動いてもおかしくない案件に一つだけ心当たりがあった。しかし時間的な面を考えればそれは有り得ないことだ、とすぐに考えを改める。
例の神槍のことじゃないはず、いったい何が――。
難しい顔の彼にシェリアは少し気を使ったように話題を変えて問いかけた。
「レイズくんもそのメア様になりたいの?」
何の変哲もないシェリアの問いかけに、言葉が詰まってしまった。
「メア様に……か。考えたこともなかったな……。どうだろう……」
彼は少し口籠ったあとようやくシェリアに答えることができた。
「えっと……ごめん、違うわけじゃないよ、俺も一応執行官だから。偉くなりたいっていうのは嘘じゃないんだけど……」
執行官、ましてや機関に属してもいない彼女相手に話すべきかと自問したが、その真紅の瞳に見透かされているような気がして彼はゆっくりと口を開いた。
「兄さんを探してるんだ 俺」
「お兄さん……? いなくなっちゃったの?」
シェリアが軽く首を傾げる。
レイズは頷くとどう言葉にしようか困っている感じで続けた。
「少し前に、さっき話した本部でとある事件があってさ。それに巻き込まれた……て、言ったらいいのかな。突然いなくなってそれきり会えてないんだ」
彼は一呼吸おいて呟いた。
「俺、両親ももういないからさ。兄さんが世界で唯一の家族なんだ」
「そっか……。お兄さんも執行官さんなの?」
「そうだよ。俺なんかよりずっと強くて頭も良くて、周りから尊敬されるすごい執行官だったんだ」
「……だった?」
レイズはハッとして眼を見開いた。自慢げに兄の凄さを語っていたつもりが自分から墓穴を掘ってしまっていた。
二人の間に短い静寂が流れる。
「……俺は信じてるよ。今も兄さんが俺やここのみんなと同じ執行官だって信じてる」
その言葉は、目の前の名しか知らぬ少女に向けたのか、それとも世界のどこにいるかも分からない、生きているかも定かではない自分の唯一の肉親に告げたのかは彼自身も分からなかった。
「――なら私も信じたい」
「え?」
「信じたいよ。レイズ君のお兄さんがレイズ君と同じ執行官さんだってこと」
レイズは耳を疑った。候補官となり執行官の名を冠するようになってからの一年間、兄を悪く言わないどころか擁護し、ましてや゛信じる゛などと言ってくれた人間はただの一人もいなかった。それどころか兄の話すら滅多にできず名を呼ぶことさえも憚られる中で、彼はなんであれ兄のことなど口にしない方が我が身のためである、と自らの思いを縛り、蓋をして生きてきたのだ。
「……なんでそう思うの?」
「お兄さんの話をしてる時のレイズ君、すごい嬉しそうだったから。私を救ってくれた時よりも、ずっとずっと」
シェリアは笑みを浮かべてこう続けた。
「レイズ君の信じることを、私も一緒に信じたい」
涙が出そうだった。いや、少し涙目になっていたかもしれない。
今のレイズには家族同然の人間がいる。ロゼやベルルなど同じ支部の人間だ。彼らには何でも話せたし何でも相談できた。が、それはただ一つ自身の兄の事を除いてだった。
執行官である人間にはもちろん、それに関わる人間にも兄の話は禁句であるというのが双方の暗黙の了解であり、この支部への配属が決まって直ぐに支部長と話した一度以来、兄のことを話したことはただの一回もなかった。
支部の人間もそのことでレイズを問い詰めるような事もなく、レイズ自身彼らに相談しようと思い立ったことはなかった。
そのことでせっかく出来た自分の居場所を失ってしまうことが何より怖かったのだ。
そんな中で彼女の言葉は彼にとって゛救い゛のようだった。
不思議と無知ゆえの戯言とは思えなかった。
「……ありがとう。俺ほんとに嬉しいよ。ありがとう」
ただただ頭を下げる彼にシェリアはまた笑みを浮かべる。
「お礼を言うのはこっちだよ、レイズくん。しっかり伝えられてなかったから、今言うね」
「――助けてくれてありがとう」
頭を下げるシェリアを止めたかったが声が出なかった。頭を下げるのはこっちの方だ、救われたのも、こっちの方だ、と。
その時唐突にドアをノックする音が部屋に響いた。




