悪意を添える令嬢
薄らと、意識を支配する眠気が覚めていく。左頬に羽毛の柔らかい感覚を感じながら二、三回頭部をゆするとレイズはようやく目を覚まし至るところを包帯に巻かれた身体を起こした。
暖かい室内。モフモフの枕とベット。暖炉の火が室内の壁に橙の文様を映し出している。
一年以上を過ごした彼の部屋だった。
「起きたのね」
寝ぼけた様子で宙を眺めていたレイズの横で、細く抑揚のない声がそっと響いた。
そちらを向くと棚の花瓶に花を活けながら背を向ける、黒い背中が目に入る。
「リ、リゼアさん……」
名前を呼ばれた女は生けた青紫色の花をしばらく眺めると、ゆっくり振り返った。
紫色の口紅を塗った唇に切れ長の目元。くっきりと出た頬骨と、長い睫毛に包まれた紫紺の瞳が濃い顔立ちを表している。背中の真ん中辺りまで伸びた銀髪が高身長の背丈と十センチもあるヒールに相まって迫力を感じさせ、床に着きそうなほど長いスカートと引き締まった腰回り、そして至るところに付いたフリルが特徴的な執行服はまるでブラックドレスのようだ。
大きく膨らんだ胸元を透けたシフォン生地が包み、首元で広げられたクラバットには金の刺繍。そして銀髪の頂点にはガラス製の花飾りが揺れていた。
令嬢のような風体の彼女は狐の様な瞳でレイズを睨み付ける。
リゼア=リース。
執行僚で秘書官の席に座る彼女はこの支部内で最も賢く、最も強く、そして最もレイズが苦手とする女だった。
様々な感情の濁流を受け、ドクンと胸を揺るがせる。
一瞬で彼の目は覚め、腰までかかった毛布を握りしめた。
「お……おはようございます……」
「もう昼過ぎよ。皆が心配していたから、起きたのなら顔を見せてあげたら」
それだけ言い残すと彼女は扉に進み早々に部屋を出ようとする。
「あ、あの! リゼアさん!」
「――何?」
「お花、ありがとうございます」
花瓶に刺さった花をリゼアは一瞥すると、直ぐドアノブに手を掛けてしまった。
「ただの日課よ。あなたの為じゃないわ」
冷たく吐き捨てた彼女は扉の先に消えてしまった。
一人残されたレイズは落ち込んだようにため息を漏らすと、彼女が生けた花に目線を泳がせた。
「ロベリアの花……。確か花言葉は【悪意】か……」
柱時計の短針はⅠを指していた。
ロゼの背中で眠りについてしまってから約七時間ほど経ってることになる。その間にレイズは支部まで運ばれ治療を受けていたようだった。
「両手が動く……。傷も治ってるな」
包帯に巻かれた右腕を掲げ掌を閉じたり開いたり動かした。浮かび上がっていた黒い文様も消えているようだ。
「ベルルさんが治してくれたんだ。お礼を言いに行かないと」
ベッドから降りようと毛布を掻き分けていると、ドアをトントンとノックする音が聞こえた。
入るぜ、という男性の声と共に現れたのはロゼだった。先程のリゼアから話を聞きつけたのだろうか。
「ロゼさん!」
「よぉレイズ。具合はどうよ?」
ロベリアが添えられた棚に背を預けたシャツ姿の彼は、いつもの調子で語り掛けた。第三ボタンまで外したシャツの隙間から包帯がチラチラと覗く。
「だいぶ良いです。痛みもないし、さすがベルルさん。凄いですね」
「アイツのは効き目はいいが荒ぇんだよ。痛ぇのなんのってよぉ」
ロゼはヘッドバンドの金髪をワシャワシャと掻く。
「ロゼさんの方はどうですか?」
「お前に比べりゃあ掠り傷みてぇなもんだが、だからってあのヤロウ、麻酔もしねぇで腹縫いやがって……。信じられるか? 人の所業じゃねぇだろ?」
微笑むレイズに笑い事じゃねぇ、とツッコむ彼だったが、一呼吸おくと真面目な顔付で彼の身体を見つめる。
「……でもまぁ、今回ばっかりは礼を言っといてやれ。ベルルがいなきゃお前、死んでたぜ。腕なんてそのまま腐ってたかもしんねぇ」
レイズは自分の負った傷の数々を思い返した。ベアウルフの一撃から始まった傷や怪我の応酬に次ぐ応酬。今自分が生きている事、それは奇跡に他ならないだろう。
「……そうですよね。後でしっかりお礼に行きます」
「ああ、そうするといい。今アイツの部屋でシェリアちゃんの治療してっから、静かに入ってやってくれ。分かったな?」
頷いた彼は包帯で巻かれた自分の身体に眼を落とした。包帯と治療された傷跡一つ一つに暖かい優しさを感じる。
そんな彼の傍で、ロゼが何か思い出したようにズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「そういやぁ忘れるとこだった! 廃墟の地下で拾ったんだが、これお前のだろ?」
突き出されたロゼの掌の上にはペン型懐中灯が乗っかっていた。それは確かにレイズの持ち物だが、落下の衝撃で故障していた筈だ。
「あ、いつ落としたのか……とにかくありがとうございます。でもそれ壊れてしまったんですよね。新調しておかないと……」
「壊れた? いんや、んなことねぇぞ?」
ロゼは懐中灯を壁に向けてスイッチをカチカチと数回押して見せた。すると壁に丸い光が映し出されたり消えたりを繰り返す。
「あれ……おかしいな。地下で使った時は確かに……」
彼が首を傾げていると、突然ロゼが慌てた様な素振りを見せた。
「ああやっべぇ! 俺支部長に呼び出しくらってんだった。すまねぇ、もう行くわ! 良いかレイズ! ベルルの部屋には静かに入れよ!」
懐中灯を彼に放ったロゼは急ぎ足で扉に向かい、振り返ることなくスタスタと出ていってしまうのだった。




