帰還
「ちょっとレイズ! まだ動いちゃだめだよ!」
シェリアに膝枕されていることに気が付き慌てて起き上がろうとしたレイズだったが、腹部に治癒術を施してくれているベルルに注意され、再び後頭部を柔らかい太ももに預けてしまった。
「滅茶苦茶な大怪我の応急処置中なんだから、まだ動いたら絶対ダメ! ぶっ殺すよ!?」
「わ、わかりました、すいません……」
わかればいいよ、と笑顔で返した彼女は翡翠色に輝く両手を腹部に押し付ける。
気を失ったレイズを救出した三人は地上に出ると直ぐに彼の介抱に当たったのだが、その時からずっと処置を施していたのがこのベルルだった。
彼女の操る治癒術はレイズの扱える術とは別格のものばかりで、骨折や損傷した臓器の処置も可能にしてしまうほどの力を持っている。
そんなベルルの力が、死の淵に触れたレイズを生かしているのだ。
膝の上で少し恥ずかしそうにしているレイズにシェリアが問いかけた。
「あ、あの……レイズ……さん?」
「あ……レイズでいいよ、シェリアさん」
「じゃ、じゃあレイズくんって呼ぶね。えっと……あの、助けてくれてほんとにありがとう。レイズくん」
少し照れながらシェリアは頭を下げた。さらさらとした艶やかな黒髪の先がレイズの額をかすめる。
「そんな、いいよ、お礼なんて。俺も一応執行官だから」
「執行官さん……。他のみんなもその執行官さんなの?」
頭を上げたシェリアは少し困惑した表情で問いかけると、レイズは口元に笑みを浮かべながら答えた。
「うん。みんなそうだよ。俺はまだ候補官だから一人前じゃないけどね」
「候補官さん……。執行官さん達の候補官さんのレイズくん……」
たじたじなシェリアのつぶやきにレイズは吹き出してしまう。
「な、なに……?」
「ああ、ごめん。なんか癒されるなって思って」
「い、癒されるって……。からかわないで!」
顔を真っ赤にして照れるシェリアは胸元で握った両手をぶんぶん振っている。それがまたレイズの癒しとなっていることにシェリアは気付いていない。
治療術を解いたベルルが額に滲んだ汗を手の甲で拭うと、レイズに向いた。
「とりあえずはこんなもんかな! 全身の止血はしたし、あとは帰ってからちゃんと治療しよっか! 腕のこれはあたしでもどうにもできないし」
ベルルは彼の両腕に眼を落とす。そこには肘から指先にかけて走る黒い文様が、皮膚の上を這うようにして浮き出ていた。
「まったく……。どういう黒式の使い方したらこうなるのよ?」
黒式――黒鎖を含む執行官にのみ使用を許された特殊技の総称である。
「すみません……。ちょっと無茶をし過ぎました」
「ちょっとじゃないでしょ!? あたしこんなの初めて見たんだから! もう少しで腕が動かせなくなるところだったよ!」
「はい……」
実力に合わない黒式の乱用による副作用。それは皮膚を破り肉を裂き、神経を焼く苦痛によって還元される。外傷による傷跡とは一線を画するため治癒術の類も一切効くことはない。
反省したように落ち込む彼を、歩み寄ってきたロゼがフォローするように言った。
「そう説教垂れんなってベルル。こいつがそんだけやるってこたぁそれだけピンチだったんだよ。そうしなきゃ死んでた……だろ?」
黙って頷いたレイズを見て、ベルルも少し考えたように溜息を漏らす。
「わかったよ。ごめんねレイズ。帰ったらそっちも診てみるから我慢して」
「ベ、ベルルさんが謝ることじゃないです! 本当にありがとうございます……」
いいよ、と笑顔を向けたベルルはロゼに問う。
「それでロゼ、道は大丈夫そうだったの?」
「ああ、かなり崩れちまってはいるがなんとか行けそうだぜ。ただレイズとシェリアちゃんは担いでやらねぇと」
「そっか、良かった。じゃああたしがシェリアちゃんを――」
「俺がシェリアちゃんをおぶる!!」
にこやかな笑顔を浮かべ右腕で力こぶを作ったロゼ。
ベルルはシェリアに向きレイズのコートに包まれた身体の下から上まで目線を走らせると、もう一度ロゼに向き直し、強烈な何かを孕んだ口調でこう告げた。
「シェリアちゃんは。あたしが。おぶるから」
それは殺気。すべてを丸呑みにする蛇のような眼圧。
「あ、いや、でもシェリアちゃんお前より背ぇ高けぇし男が女の子を守らねぇと――」
「ロゼ」
「…………レイズ、身体起こせるかぁ」
ロゼは押し寄せるあまりの圧に負け、とぼとぼとレイズに寄り腰を下ろす。
「ベルルさんまだ睨んでますよ……! 今にも飛び掛かってきそうですけど……!」
「馬鹿野郎見んな……! 見ちゃいけねぇ……!」
ひそひそと会話をする二人の背後で呆れたような表情を浮かべたベルルは、シェリアをおぶると背中に向かって声を掛ける。
「シェリアちゃんしっかり掴まっててね! 結構スピード出すから、恐かったら言ってね?」
「は、はい……。あの……重くてごめんなさい……」
もぞもぞと頬を赤くするシェリア。どうやら自分の肉付きの良い身体を気にしているようだ。
「大丈夫大丈夫っ! あたしこう見えて結構力あるんだから! それにいろいろ羨ましいし!」
「いろいろ……ですか?」
ベルルは背中に当たったとてつもなく柔らかく大きな《《それ》》に思いを馳せ、少し間を空けて一言呟いた。
「ロゼはあとでシバく」
「え?」
「ごめん。こっちの話! じゃ、そろそろいっくよー!」
ベルルはコンクリートを蹴り、すでに走り出していたレイズをおぶったロゼを追って走り出した。
時刻はすでに早朝五時過ぎ。白い雲がぽつぽつと浮かぶ朝焼けの空の下、東に顔を出した太陽から放たれる眩い朝日を背に五人は西に向かって走り出した。
背に揺られたレイズはほどなくして再び眠りについたのであった。




