にやけ面
「プギイイイイイイイィィィィィィィィィィ!!!!!」
暴魔はその名の由縁となる鳴き声を広間一体に響かせ、数瞬前までの静寂など嘘のように二人の鼓膜を劈いていく。天を仰ぐように両手を広げ、白い頭部に面が浮かび上がってきた。
一言でいえば、子供の落書き。
白く丸い風船に子供が目を描きました、といった感じの両目は人間や他の生き物のように奥行や輪郭がなく、水晶体ですらなく、ただサーカスのピエロとも取れるような異色なものが左右対称にすらならずに描かれているだけだった。
そのふざけた眼が、レイズの恐怖に震えた瞳と交差する。
目線が釘付けになり、視界のプギーマン以外のものが黒く塗り潰された様にして見えなくなった。
彼は握っていたシェリアの手を解くと同時に、両腰の神槍を抜き去り震える口をこじ開けた。
「シェリアさん逃げて!! 後ろの通路を通って遠くへ!!」
「え、で、でも!」
「早く!! 君を守れる余裕はないよ!!」
身体を震えさせたシェリアは頷き、目線の先に見える細い通路に向かって走り出した。
その間際に。
「ごめんなさい、ありがとう」
そう聞こえたような気がした。
レイズはどこか寂しそうな顔を上げ二対の神槍を構える。
二つの銃口は眼前の暴魔へ。
向き合ったプギーマンは鳴き声が漏れる丸い口の形を変えていく。
彼はその変化を凝視した。なぜならその変化は自分にとって生死を分かつほど重要なことだからだ。
彼の知る数少ないプギーマンの生態情報の一つにその凶暴性、つまり強さの見極め方法があった。それが、今目の前で起きようとしている口の形の変化。
凶暴性が低い方から、
口無し面――文字通り線無し。
無表面――横一本線。
にやけ面――片側が吊り上がった曲線。
しかめ面――真ん中が上に盛り上がった曲線。
わらい面――真ん中が下に下がった曲線。
となる。
丸い頭に横一本線がまっすぐ走った無表面のプギーマンはレイズのような執行候補官がロゼやベルルのような正務執行官になる為の昇格試験として一体の討伐が義務付けられていることから、今の彼がギリギリ太刀打ちできるかもしれない強さであると考えられる。
逆に、遭遇してしまったプギーマンがしかめ面か最上位のわらい面であった場合、神を恨み潔く自害したほうが苦しまないだけマシ、とまで謳われるほどだ。
レイズは願う。
どうか下級の二つであってくれと。
今まで散々な目にあってきたのだからこの最後の振子くらい自分の方向に振れてもいいだろうと。
涙がこぼれそうになる程の願いを乗せて、閉じていく口元に眼を向ける。
その表情は――。
「……笑って……にやけ面……」
最後まで、本当に最後まで幸運の神は拒み続けたらしい。
こちらから見て右側が吊り上がった曲線。
にやけ面。手練れの正務執行官数人が完璧な連携と戦術を駆使してようやく討伐可能と言われるレベルの強さ。候補官のレイズ一人が到底太刀打ちできる相手ではない。
「はっ、そんな、嘘だろ? ここまできて、ふざけ」
どうしようもない我が身の不運に洩れた失笑は、腹部への猛烈な衝撃に遮られた。
全身の骨を揺るがすような波の衝撃。分厚いゴムのハンマーで殴られた様な感覚が襲った
ほんの一瞬前まで前方数メートルのところで立っていた筈のプギーマンが自分の息も届くところで左腕を突き出し、腹へ一撃を入れていた。暴魔の細い左腕が身体へ食い込んで呼吸が止まり、喉の奥からなにか湧き上がってくる感覚に襲われる。
衝撃に吹き飛ばされる寸前、プギーマンの出鱈目な目を目前にした時、彼は真に悟った。
――――殺される――――。
子供の落書きのような目が語るは絶対的恐怖。見る者に生の終焉を悟らせる、動きもしない魔眼は口元の笑みも相まって狂気すら感じられるほどだ。
暴魔の拳によって後方に吹き飛ばされたレイズは声も出ないまま広間の石壁に叩き付けられる。身体を挟むように腹と背から響く衝撃は身体と脳の感覚を麻痺させた。
「……がっ……がっ……」
喉の奥から込み上げた赤い液体を吐き出しながらも、邪悪過ぎる殺気を感じ前を向く。
そこには満足気に白い両手をパンパンと叩きながらニヤつくプギーマンが立っていた。
プギーマンは生き物を一撃では殺さない。自分の好きなように攻撃を繰り返し、その結果耐えられなくなった相手が勝手に死ぬ。
つまり、遊び殺すのだ。
その暴虐な生態を体現しているのは他ならぬプギーマンのぬいぐるみのような白い身体。プギーマンの身体は綿をぎゅうぎゅうに圧縮し厚い布生地で包み込んだような構造になっており、人間や動物に比べ柔らかく打撃性に乏しい。そのため仮に一撃が急所に当たったとしても即死には至る事は滅多になく死なない程度に《《耐えられてしまう》》。その結果死ぬまで甚振られ続け痛みと衰弱の末に息を引き取ることとなるのだ。
そこに慈悲も同情もなく、あるのは楽しむが為の手加減と冷酷無残な暴力だけである。
膝を前屈みに折り両手を後ろに振ったプギーマンの動作を見て追い打ちを予感したレイズは、込み上げる血を無理やり抑えながら左側へ跳んで回避を試みる。
さっきは攻撃の挙動すらまともに見えなかった――、と、そのスピードを図るため彼はプギーマンの動きに眼を凝らす。
そして――ほんの゛一瞬゛だった。
大砲でも撃ち放ったかのような轟音が響いたかと思えばプギーマンはすでに数秒前まで彼が背にしていた壁際に突っ込んでいた。突進した直線状を土煙が舞い、壁際には突っ込んだ場所を中心にして亀裂が走る。
レイズはプギーマンの加速を目の当たりにし背筋を凍らせた。
まだこちらは回避行動で跳んでから着地もしていないんだぞ――、と。
彼が石畳の床に着地するとちょうど舞い上がった土煙が晴れ始めていた。
両手に握った神槍を再び構えプギーマンが現れるのを待つ。
呼吸が荒れ照準が揺れる中、土煙が晴れてプギーマンの姿が露わになったのだが――。
「?」
とレイズはその姿に戸惑ってしまった。
プギーマンは突っ込んだ石壁に頭――正確には赤いシルクハットがめり込んでしまい抜けなくなってしまっていた。プギーマンは必死に引き抜こうと両手を石壁に付き身体を振って頑張っているというなんともまぬけな状況に彼は――。
「そんな間抜けな帽子なんて被ってるからだ……」
と囁いてしまった。
その一言。
相手を馬鹿にする微かな優越感を孕んだその軽率な言葉が不味かった。
「プギィ」
と一鳴きするとプギーマンは腕や脚の動きを一旦止め、無理やり首を回し彼の方を向いた。
その向けられた顔面を見て、レイズは自分の愚かさと軽率さを理解した。
理由はわからない。生態なのかこの個体特有のモノかはわからないが――。
「キレてる……」
自分の軽率な言葉が原因であるのは明らかだった。習性か、単にプライドか、とにかく今眼前のプギーマンは憤っていた。
顔を向けたままプギーマンは両手でシルクハットのつばに手を掛け、長い右脚を石壁に当て全身を使って引き抜こうとする。
変動したプギーマンに圧倒されていた彼はハッとした。
バカなことを言っている暇ではなかった――考えてみればこれはまたと無いチャンス――瞬足の暴魔が身動きを取れずにいる圧倒的好機なのだ――と。
彼は照準を合わせると即トリガーを引き、二丁の銃口から弾丸を発射させた。
「死んでもらうぞ! ぬいぐるみがぁ!!」




