手縫いの暴魔
無線機の遮断スイッチを強く押さえながら、レイズは眼を凝らして眼前のとある個体を見つめている。
先程、ベルルとの会話中にシェリアから問われ、彼女が指差した場所にあった存在があの細長い人形のようななにかだった。
巨大天秤の皿から落ちてきたというそれは、当初は紙屑をくしゃくしゃに丸めた様なものだったがこのわずかな間に形状が一変。全体が震えたかと思えば縦、横に伸び小さな嵐のように渦巻始め、現在の形状となった。
細長く背の高い人型。
赤の長いシルクハット。
鼓笛隊が着るような紫のジャケット。
長すぎる脚とそれに張り付くように着た青いズボン。
黒いステッキとヒールのブーツ。
そして白い丸い頭。
道化師の様な風体であるのが見て取れる。
両足の前でステッキを突いた直後、のっぺらぼうの丸い頭にぽっかりと黒い穴が開き、鳴き声が漏れたのだ。
糸で縫い繋げたような大きな縫い跡が全身に走り、いびつな骨格の人間が趣味の悪い仮装でもしているような姿となったそれが何なのかシェリアはわからない。
だがレイズは違った。形作られた風体を見てもしやと疑心を抱き、声を聴いて確信した。
恐れ。畏怖、恐怖の類の権化にして代名詞。
世界を震撼せしめる無差別、無秩序の魔人形。
手縫いの暴魔 プギーマン
間違いなかった。彼はプギーマンに遭遇した経験は無く如何にして生まれ形を成すかなど知らなかったが、今目の前に立ち尽くしているのは紛れもなく将校学校の教科書で見たものと同じだった。
゛良い子にしていないとプギーマンが攫いに来るよ゛
と、世の子供たちは大人たちに教わりながら育つ。それはプギーマンという存在を認知していながらもその出現率の低さと個体情報の少なさから本当に現れる訳がないと高を括った上での冗談だった。が、今この状況下ではその冗談を口にできる人間はいないだろう。
目の前に居るのだ。
その姿を見て生きて帰ったものは神の祝福を受けているとまでされる化け物。
魔性の怪物が。
プギーマンの身震いを前に何も知らないといった様子のシェリアが首を傾げた。
「あれ、なん――」
シェリアの問いかけそこで遮られた。レイズが掌で口元を押さえ制したのである。
レイズの顔には額から汗が滴り、目はどこか震えているように見える。シェリアは穏やかな状況ではないことを察し、もう片方の手の人差し指を口元で立てる仕草を見て声を出すことがいけない事だと理解した。
シェリアが軽く頷くのを見てゆっくりと口を塞ぐ掌を放すと、彼はプギーマンがまだこちらに気付いていない事を確認し音が出ないよう安堵のため息を吐く。
彼はプギーマンの生態について本当に大雑把な情報だが知っている事がいくつかあった。
その一つに、プギーマンは基本直立不動の個体であるということがあげられる。これはプギーマンが歩いたり跳ねたりしないという事ではなく周りで何か【音】が響かない限り動き出すことはないということだった。そのためプギーマンは静かな場所を好み常時何かしらの【音】が響き続けている町などの人が住むところには現れにくい。それがプギーマンの出現率が低い所以だが一度音を耳にし起きてしまった場合は別、町だろうが国だろうが入り込み周りの生き物すべてを暴力の対象とした暴魔と化す。
――彼女のつぶやきは運よく聞き逃されたみたいだが次はそうはいかないはずだ――。
【もしプギーマンと遭遇してしまった場合、音を立てず息を殺してその場から立ち去る事が何よりの得策であり間違っても自ら戦いを挑むような真似はしてはならない】
将校学校の教室で教師が口にしていた言葉通りの行動に出たレイズはシェリアの左手を握り目線で合図を送ると、プギーマンを観察したままゆっくりと来た道を引き返そうとする。
――プギーマンが居座っている以上、ここの探索は不可能だ――それにさっきと今では状況が全く違う――。
そう、彼はロゼとベルル、二人の先輩執行官と連絡をとることに成功し救助を要請している。一人では登る事が困難だった空洞も執行官三人がかりとなれば負傷者一人いたところで登りきることができるだろう――、と。
――この場さえ凌げば生きて帰れる……この場さえ凌げば――。
レイズが思いを馳せたその時だった。
素足であったシェリアの踵に床に転がっていた小石が触れ、ちょうど差し掛かっていた段差に【音】を発てて落ちてしまったのだ。
背筋を凍らせるレイズとしまったという表情を浮かべるシェリアはお互いの手を強く握りしめプギーマンの身体を見つめる。
――まだ気付かれてない――!
転がる石の音に意識を集中させ、早く止まってくれと心の底から願う。が、悪運は最後までレイズの前に立ち塞がった。
転がった小石は三段の階段を転げ落ちるとその先に転がっていた鉄製の壺のような物にあたり微かだが甲高い音を響かせてしまった。
次の瞬間――。
「プギィ」
暴魔の声が、頭部の黒い穴――口から再び漏れたと思えばプギーマンの周りから轟々と音を立てて赤い稲妻の様な電流が走り長いシルクハットに刺さっていく。
最悪の暴魔は顔を上げた。




