月下に咲く
星々が天を支配する夜の下、ロゼは鉄格子を背に膝を立てて座り込み、目の位置まで下げた黒いヘッドバンドを掌で抑えつけている。口で何を語る訳でもなく、何かに八つ当たりするわけでもない。涙も流れず歯を食いしばったりもしない。
彼もまた、レイズとは違う意味で暗闇のどん底に居た。
死なせてしまった。レイズを。将校学校より派遣された執行候補官を。
当然、候補官を分不相応の任務へ派遣した彼らの支部とその場に居合わせたロゼ自身には、それなりの罰と事情聴取の義務が課せられるだろうが、現場に生きる執行官には危険が付き物だ。死亡する事態に陥ったとはいえ罰則などたかが知れている。そんなことは今のロゼにはどうでもよかった。
「……レイズゥ……」
仲間を失った悲しみ。
助けてやれなかった不甲斐ない自分自身。
同業の人間とはいえ弟のように接していた存在を亡くした喪失感と何も出来なかった無力感が体中を這い回っていた。
悲しさに涙が流れないのはまだ自分が現実を受け止められていないからだろう。
悔しさに歯を食いしばらないのは自分が現実を受け止めたくないからだろう。
放心状態のロゼはただ石の床にぐったりと座り込みその高身長からは想像できないほど小さく体を丸めていた。
そこに一つ、声が届いた。
「おーい、ロゼ! 良かった! 無事みたいね!」
崩れかかっている石の建造物を跳び越えて現れたのは桃髪に黒いキャスケットのベルルだった。
「……どしたの? そんな座り込んじゃってさ、ひどい怪我でもしたの?」
ロゼが無事だったことに内心胸を撫で下ろしている彼女はぐったりと座り込むロゼに声を掛けながら着地した。どこか喧嘩相手の様子がおかしいことに気が付き、目線の高さを合わせるようにしてしゃがみ込む。
「怪我したなら診てあげるよ、いつもの強がりは要らないからさ。……レイズとは一緒じゃなかったの?」
顔も上げないロゼだったがレイズという単語を耳にした瞬間、身体を震わせた。
彼女は少し嫌な予感を感じ取る。
「……ちょっとロゼ……どうしたの? 何か、あったの?」
「……ベルル……レイズが……落ちちまったよ……俺の所為だ……」
ロゼは身体の最深部から無理矢理ひねり出した様な震えた声で答える。
「レイズが……落ちた? え、ちょっと、ちょっと待ってよ。落ちたってなに? どこに落ちたのよ!?」
ベルルの問いかけにロゼは頭を垂れ下げたまま、親指で後ろの鉄格子をノックするように叩いた。
指差す方向に視線を移したが今いる場所からは星と月が瞬く夜空をバックに、崩壊した建造物がいくつも見えるだけでロゼの指したものに直結する存在が見当たらない。
ベルルが鉄格子を越え、屋上の隅へと歩み寄った瞬間――。
「うそ」
目を見開いた彼女の先にはどこまで続いているのかわからない程の大穴、崩壊の跡が広がっていた。大穴の直径は軽く二十メートルを越え、穴の先は暗闇で満たされている。
漠然と立ち尽くす彼女は絶望に沈んだ顔を大穴の先に向ける。
「ロゼ……ねぇロゼ!! 説明して。なんでこんなことになったの!? 顔上げてよ!!」
彼女は依然座り込むロゼににじり寄り襟元のクラバットを掴み怒鳴った。
「……助けられなかったんだ……俺……俺が、そんなモンよりアイツを抱えに跳んでりゃ……」
「そんなもん……?」
ベルルは近くに放られた一つの黒いトランクの存在に気付いた。執行官が常用する道具箱に特徴が酷似しているそれを自分たちの持ち物かと一瞬思いもしたが、今回の任務においてこのような物を持ち出した執行官はいない筈だ。
「……あたしたちのじゃないよね。何処で手に入れたの? 中身はなに?」
「……知らねぇよぉんなもん」
吐き捨てるように返したロゼは、顔を腕の中に埋めてしまう。
――レイズが自分を犠牲にしてまで守り切った物――?
ベルルは雑に放られたトランクを睨み付ける。
同僚である彼女はレイズが判断能力の長けた執行官である事を今までの任務時での対応等から知っている。歳こそまだ若いがいつもどこか冷静で、多少の事では物怖じしない腰の重さも評価されていた。そのレイズが生きるか死ぬかの瀬戸際で判断を見誤るとは考えにくいし、ましてや何であれ【物】の為に命を犠牲にするような人間では断じてなかった。
そんなレイズが命を懸けた物。
ロゼの傍を離れ、トランクの正面に屈みこむ。
持ち手に付着した血液に驚ろ驚ろしさを感じながら、錠前に手を掛けた。
後ろで座り込むロゼも意に反しながらもその中身に眼を向ける。なにせそれはレイズが命がけで自分に託した物。
つまりそれがなければレイズは死なずにすんだかもしれない物、だからだ。
カチャ、と音を立てて錠前が開かれゆっくりとトランクが開け放たれた。
次の瞬間――。
「 」
二人の正務執行官は絶句した。
目の前にあるモノの存在、その存在の有意性、異常性に。
執行官を名乗って一年足らずのレイズとでは全く異なる感覚。
今ここにあってはならないモノ。
ここにあるその存在自体が罪であり恐怖。
トランクの中に納まっていた金と黒と、そして真紅の個体が何であるか、理解するまで一瞬の時間もかからなかった。
本来選ばれた人間の手に肌身離さず管理されていなくてはならない筈の神槍が宿主も無く独り歩きしている事が何を意味するのか、二人には今更説明する必要もなかった。
錠前に触れる手が震え、全身から噴き出した汗は背中を凍り付かせる。
冷たい夜風が身体を撫でる中、初めに沈黙を破ったのはロゼだった。
「……そういう事かよ……レイズ……お前は……こいつの為に……!」
落ちる間際、レイズの浮かべた微笑みの理由を見た気がした。
――使用する執行官本人よりも価値が高いとされる存在――。
「自分の代用品ってか……! ふざけやがって……!」
ロゼはコンクリートの床に拳を打ち付ける。レイズに腹を立てているのではない。彼の導き出した「執行官にとっての理屈」を理解してしまっている自分が情けなくて仕方ないのだ。
ベルルはといえば、箱に収まるそれに放心したかのように見入っている。
冬の日の、月光が照らす夜の廃墟に一つ、艶めかしく有るそれはさながら一輪の――。
「薔薇みたい」
人の罪を裁き、地獄に落とす兵器がここまで美しいのか、と。
酔いそうになった彼女はゆっくりとトランクを閉め、大きく深呼吸をすると冷静な口調でロゼに告げた。
「最重要案件よ。あたしたち執行官の名に懸けて、天魔機関指定重要物を最速で支部に輸送します」
「は……? ちょ、ちょっと待てよ……! レイズはどうすんだ!?」
「レイズの気持ちを汲むためにもこれを守らないと。それにあたしたちだけじゃ、あの子の亡骸を回収することもできない……」
「な、亡骸だぁ!? お前なぁ!!」
クラバットを掴み怒鳴るロゼをベルルは直視できなかった。
本当は彼女も同じ気持ちだから。
ただ今任務において隊長を任されている責任感と未だ遭遇したことのない重大案件の発生に、彼女は自分を必死に抑え込んでいるのだ。
「帰ろう、ロゼ。帰って応援を呼ぼうよ。あんただって身体中ボロボロじゃない。今のあたしたちにはそれが限界だよ……」
ロゼは歯を食いしばり首をだらりと垂れ下げた。ベルルの言うことが正しいことくらいわかっている。それでも、今この場を後にすることが彼にとって死ぬほどの苦痛に感じられた。
震える手をクラバットから放したその時だった。
二人の頬に装着した無線機からザザッと微かに音が漏れだしたのだ。




