薔薇と眠り姫
月明かりのヴェールを潜った先は、レイズにとって理解不能の場所と言えた。
朽ちた灰色の天井、壁、床の広間に昼下がりを思わせるような鈍く白い明るさがある。辺りは所々荒れており一部が崩れていたりするが今まで通ってきた通路よりは幾分か堅牢さが感じられる。
不可解なのはレイズの正面、広間の一番奥に施された紅、紺碧、深緑、瑠璃、などの鮮やかな色から成る、広間の一辺を覆うほどの巨大なステンドガラスの存在だ。
大量のガラスたちが描くは巨大な薔薇。
一輪の薔薇が茎から花弁まであまりにも美しすぎるほどに描かれている。どういうわけか、まるで日が昇っているかのように光が差し、ステンドガラスが輝くと花開いた大輪の薔薇が巨大な眼のようにも見え、レイズは少し不気味さを感じてしまった。
この広間の明かりはそこから差し込んだ光によるものらしい。
そして、この広間には不可解な要素がもう一つ。
薔薇を描いたステンドガラスの正面に巨大な何かがそびえ立っている。
左手を軽く額に添えると、眼を凝らしステンドガラスの手前に構えるモノを見つめハッとした。
「天秤……? これ、巨大な天秤なのか……!」
レイズの眼前に建っているのは高さ十メートルを越えると思われる鋼色の巨大な天秤であった。両端に吊るされた巨大な皿とそれを支える堅固な梃子が見る者に迫力を感じさせる。
後方に彩られた薔薇の茎に交差するように傾きながら立つそれは、周囲の状況も相まって混沌の異世界にでも来てしまったかのような印象を与えた。
「なんなんだここ……。もうなにがなんだか……」
広間にはそれこそ聖堂を思わせるような火を灯す燭台や花弁を飾る花壇、長椅子などが乱立し、床を見れば銀皿等の食器類が至る所に散らばっていた。壁には薔薇の花びらを思わせる文様が刻まれ、何かの紋章の様な擦れた刻印が施されている。
荒れこそしているもののこの場所は何かの聖堂であったのではないかと考えられる。
こんな地の底の底に何故――?
いや、この聖堂に人がいた頃はここが地上であったのかもしれない――?
と、様々なぼやけた疑問が脳内を駆け回るが結局、納得のいくような答えには辿り着かない。
そう考えている内に彼は本来の目的を思い出した。
「出口……! どこかに出口は!?」
この場に外や地上へと通じる通路が存在しないことは自身の死へ直結することとなる。それを十分理解したうえで慌て、躍起になりながら薔薇のステンドガラスと巨大天秤が構える祭壇へ足を踏み入れた。
目前に見上げるとその天秤の巨大さが実感できるが今はそんな物に感心している場合ではない。
レイズの目的は一つ、前方で輝く薔薇のステンドガラスの裏側だ。教会や聖堂で見られるステンドガラスは太陽や月の光を通し、その美しい絵や模様を透過光で見る物の為、ステンドガラスの裏側は太陽や月の光が差し込むような構造となっている筈だ。
つまり何かしらの光源により薔薇を輝かせ広間に光を満たしているその現象こそ希望、文字通り暗闇に漏れた一筋の光なのである。
巨大天秤の台座を横目に、ステンドガラスを見上げながら歩くと目に何かの影が映りこんだ。最初は蝙蝠でも飛んでいるのかと思ったが違う。
ステンドガラスが描く薔薇のちょうど花びらの真ん前あたりに何か、ぶら下がっているように見える。天井から数本の鎖の様なものが垂れ、赤い布に覆われたモノが吊るされているのだ。
レイズは不思議に思い巨大天秤の真前に立ち、その吊るされたモノを見上げると――言葉を失った。
真紅の布に巻かれた身体。
全身を縛り付けるどこか見覚えのある黒い鎖。
長く黒い髪。
ところどころ見え隠れする白い肌。
あれは――。
「人……女の子……か? おい……おいキミ!!」
召された罪人を迎えくる鎖によく似た物に縛られたその人間は、輝く薔薇の前で目を閉じ眠りについていた。
薔薇の聖堂に吊るされた眠り姫。
その時、物語を進める鐘の音が鳴り始めたのをレイズは確かに感じとっていた。




