地下空間
頬に何か、暖かいモノが触れる感覚で目が覚めた。
生暖かいそれは頬から目元、眉間から額に広がりやがて顔面の半分を包み込んだ。
日の光か、あるいは誰かが自分に寄り添っているのか、しばらく暖かさの正体がわからなかったが嗅覚を働かせた瞬間にそれが何なのか理解した。
鉄臭く、少し生臭い。
「……血……? 俺の血……か」
レイズは自分の血に沈むようにして倒れていた。
視界は朧げで霞み、上下感覚も定かではない。血を流し過ぎたのか、それとも人間的に重要な基幹部に損傷を負っているのか、またはその両方か。
いやそれ以前に自分は今――。
「生きて……いるのか……?」
両手に力を入れゆっくりと血の中から頭を上げる。
辺りは岩や小石の山に囲まれていた。少し離れたところに壁らしきものが見えるがコンクリート製ではなく石を積み上げて出来たものの様だ。何処からともなく溢れる橙色の鈍い光が辛うじて辺りを見渡せる程度の明かりを提供してくれている。
「天国でも……地獄でもない……。そうだ、俺は生きて――」
その時、レイズの全身を例えようのない激痛が襲った。
目を見開き血を吐き出しながら突っ伏せて悶絶する。
左肩、左腿、そして脇腹。痛みの爆心地は今分かるだけでも三箇所はある。
そう、彼は死んでいないのではない。゛まだ゛死んでいないだけなのである。
「ぐ……!! なんとか、早くなんとかしないと……!」
全身が警報を鳴らしている。もう身体は限界だと、痛みと出血を以て知らせてくれているのだ。すでに一刻も猶予もない。
躊躇っている暇はない。
レイズは脇腹に眼を落とす。そこには変わらずあの時の鉄棒が突き刺さっていた。
一瞬怖気づいた様に表情を緩ませるが、直ぐに眉間に皺を寄せ、震える手で鉄棒を強く握る。
「……こんなところじゃ……死ねないんだ……。時間が無い……。覚悟を決めろ……!」
そう自分に言い聞かせるとその辺に転がっていた薄い木の板を手に取り、口に咥える。震える息を押し殺し深く深呼吸すると、息を吐き切ったと同時に鉄棒をありったけの力を込めて引いた。
「がぁあああああああ!!!!!!!!」
咥えた木の板がギシギシと軋み、脆いところが砕ける。ブチブチと音を立てながら抜かれていく鉄棒は真っ赤に染まっている。
意識が飛ぶような激痛。自分の身体に杭でも打ち付けているような痛みが身体の内側から熱と共に押し寄せる。が、レイズは力を弱めない。
眼を強く瞑り、魔物のように喉を鳴らしながらただ耐える。
そして鉄棒と肉の間から血が溢れだした時、遂に鉄棒を引き抜くことに成功した。グチュリと音を立てて抜かれた鉄棒はそのまま瓦礫の中に放られ、レイズは再び血の中に倒れ込んだ。
「がぁああ……!! くそ……!! 早く血を……止めないと……!」
鉄棒を引き抜いた脇腹から鮮血が溢れ出していた。すでに大量の血を流している状況で追い打ちをかけるのは死を意味する。
レイズは震える手を血溜まりの中に這わせ、傷跡を押さえると全力で魔力を注いだ。すると傷跡を中心に鈍い緑色の光が波のように揺らぎだした。黒いコートの隙間から緑色の光――治癒魔術の発動光――が漏れ出す。
レイズが使用できる治癒魔術は決して高位の魔術ではないため出血を止め、損傷部に薄い膜を張る程度の応急処置が限界となるが今はそれだけでも十分であった。
ゆっくりとだが痛みが和らぎ、出血が抑えられていくのが感じられる。徐々に収まっていく手の震えをさらに抑え込むように深呼吸を繰り返し行った。
「よし……。なんとか収まってくれた……」
身体を起こし背後の岩に背を預ける。まだ呼吸は荒く痛みもあるが視界や感覚ははっきりしてきたようだ。
次にレイズは左肩に突き刺さった短剣ほどの大きさの破片を、皺を寄せた両目で見つめる。鉄棒ほど身体に食い込んではいないようだがかなりの出血がある。
大きな裂傷のある左腿と破片が喰い込んだ左肩も同じような状態である事を考えると、もう流せる血はほとんど残されていない。人間の出血量の致死量はおおよそ体内の総血液量の半分と言われている。そこのラインを越えてしまえば身体を動かすどころか意識も保てず絶命となる。
「怯んでる暇はない……か」
レイズは左肩に刺さった破片に手を掛けると一気に引き抜いた。
またも静寂な空間に悲痛な叫び声が響き渡る。この空間がどこに続いているのか分からないが叫びは幾重にも反響し、血がべっとりと付着した破片が地に転がった後も鳴り続けた。
掌で押さえた左腿と左肩から碧色の光が漂う。治癒魔術の恩恵により全身からの出血はほぼなくなっていたが、レイズの意識は朦朧としていた。
血を流し過ぎたのだ。彼の出血量は致死量ギリギリか、すでにラインを越え絶命までのカウントダウンが始まっている状態まで陥っていた。
視界が揺れ、擦れていく。肩で息をしながら鼓動が早くなっていくのを感じ取った彼は直ぐに行動に出た。
右手をコートの中に突っ込むと掻き分けるように探り、何かを掴んだ。コートから出た右手には紅い液体が注入されたシリンダーが握られている。
「割れてない……。よし、これで……」
一旦シリンダーを口に咥えると、首に巻いた黒いクラバットを解き、素早い手つきで右腕の二頭筋辺りにキツく巻きつける。コートの袖を肘まで捲し上げ、ちょうど関節辺りの皮膚にシリンダーを押し当てて親指で上部のスイッチに触れた。
一呼吸だけおくと、親指でスイッチを押した。
「くっっ!」
プシュ、というエアーの音と同時にシリンダーから細い針が射出され皮膚を貫通した。内部の紅い液体がだんだんと減り始め、やがてメモリの最下限に至る。
彼が注射したのは属に造血薬と言われる品物だ。血管内に注射することにより血液量を急増させ極度の貧血状態を改善することができる。組織の研究班が《《今のレイズの様な状況》》を想定して作成した超絶的な効果をもたらす医療薬、いわば劇薬の類である。
体中の血管が波打ち、膨張するのを感じる。首をひねって全身を震わせながら、熱い劇薬が全身を巡る感覚に溜息を洩らした。
「はぁ……だいぶ回ってきたな……。あとは鎮痛薬と魔増薬も……」
再びコートの中から同じシリンダーを二本取り出す。一本には青色の液体が、もう一本には紫色の液体が注入されている。
レイズはそれらを躊躇いなく静脈に打ち終え、ぐったりと瓦礫の山に背を預けた。全身から痛みが失せていき、代わりに活力が湧き出してくる。かの二本も造血薬同様に劇薬と呼ぶべき効果をもたらした。
「ここは……いったい何なんだ……?」
レイズはそこで初めて周り、自分が落ちた場所に眼を巡らせた。
小部屋ほどの広さの空間。壁は苔や蔦が所々こびり付いた茶色い石壁で、天井は空洞のため暗闇が浮いているだけである。床のほとんどが瓦礫で埋もれており所々壁と同じ色の石床が見え隠れしている。
天井は闇一色、石壁を見ても松明などの明かりも見えない。
では空間を照らす光はどこからか――。
その答えは瓦礫の中にあった。砂や石を掻き分け橙色の光が漏れる場所に両手を突っ込むと、取り出されたのは驚くべき物だった。
「これ……宝石か?」
直視できない程眩く、両手に収まらない程大きな美しい宝石の断片。そして一辺には明らかに人の手により加工を施された痕跡があった。レイズはそういったものに詳しくは無かったが、両手に乗るものが燃料になる鉱石や魔力を帯びる魔石とは異なるものであると理解できていた。
宝石から目線を外し辺りを見渡すと、一室を覆う砂と岩の至るところから同じ色の光が滲み出している。
「……宝物庫でも掘り当てたか? みんなに自慢できそうだ」
彼はゆっくりと立ち上がり背を預けていた岩の奥に宝石を放った。
「戻れたら……な」
そうしてレイズは部屋の角から延びていた石造りの通路に歩を進めるのだった。




