死神
二人の身体はすでにボロボロだった。レイズが受けた一撃の後、致命傷となる傷さえ負っていないものの絶えず降り注ぐ無数の飛翔体に身体は裂かれ続け、体力は削られていた。
黒い執行服は破け、至るところから血を滲ませる。
ただそれでも二人は一瞬も止まることなく登り続けていた。飛翔体を躱し、障害物を避け、時には倒壊する柱を神槍で破壊しては足場に用い上へ上へと飛び続けていた。
そんな二人に文字通り、光が差す。
「おい見やがれ!! 出口だ!」
ロゼの歓喜に満ちた声が轟音響き渡る薄暗い廃墟にこぼれた。
脇腹に鉄棒が刺さっていることなど全く感じさせない動きで黒鎖を操るレイズは、流星のように飛来する鉄骨の間から頭上を見上げた。するとそこには僅かだが光が、外の明るさが目に入った。細く、鈍く、光とは到底言えない程度の明かりだがレイズの目にはそれが眩い程の輝きに映る。
「もう少し!! あそこまで行けば助かります!!」
自分に言い聞かせるように叫ぶレイズ。
正直、すでに身体の限界は直ぐそこまで来ていた。脇腹の傷もそうだが、黒鎖の制御と一度でも間違えたら死に至るであろう選択の連続は集中力をフルスロットルで回しても追いつかない。身体と同じく体力や精神も擦り減っていた。
そこに降りてきた一本の光の筋。彼は血を流しながらも笑みを浮かべ、光を睨み付ける。
「前に出ろレイズ!! 下がもう持たねぇ!! 鉄屑が迫って来てやがる!!」
振り返るロゼの目線の先を追い振り返ると、まるで渦を巻くようにして建物が崩落していた。それはさながら生きている大型の魔物のようにも見える。
「横へ並びます!!」
レイズは左手の神槍で眼前に迫る崩落した石柱に三発弾丸を撃ち込むと、ヒビの入ったところに回し蹴りを穿ち柱を砕く。危険の伴う突破法だが最短距離を飛ぶためなら今更方法など選んでいられない。
「出鱈目な方法覚えやがって!! 嫌いじゃねぇがなぁ!!」
「無駄口を叩くと舌を噛みますよ! ロゼさん!」
「ぬかせ!! 一気に行くぜぇええおらぁああああああああ!!!!」
ロゼが黒鎖を引き戻し、解放された両手をジャケットの内側に突っ込むと円筒状の物を取り出す。黒色のコーティングを施されたそれは世にダイナマイトと呼ばれる代物だった。ただこれは執行官支給の物、当然性能も威力も桁違いである。
「マジの出鱈目ってのはなぁ!! こうやんだよぉおおおおおおお!!!」
ロゼは身体を捻り勢いよく両手のダイナマイトを頭上に投げ付けた。
次の瞬間、頭上の飛翔体の波の中で爆発が起こった。鼓膜を震わせる爆発音と共に熱風が押し寄せる。が、爆風に破片が乗って来る事はなかった。全てロゼの放ったダイナマイトが消滅させたからである。
「無茶苦茶なことを!!」
「ただ道は見えたぜぇ!!」
二人の目線の先、消し飛ばした空間には光が迫っていた。それはまるで鉄の嵐の中に空いた穴。あと数秒もすれば再びこの空間は鉄屑に埋もれることとなるだろうが、その数秒は二人には十分過ぎる。
あとほんの百メートル弱。崩壊よりも二人のスピードが勝る筈だ。
「行くぜええええええええ!!!!」
最高速で飛ぶロゼにレイズは続く。
力づくで抉じ開けた鉄屑のトンネルを抜け、目前の光へ一直線に突き進む。
あと少し、あと少し――、と願う二人は勝利を確信した。この絶望的状況からの脱出。命懸けの綱渡りを渡り切った、と。
だが二人が光に手を伸ばしたその時、思いの寄らないことが二人を拒むこととなった。
鉄屑の中で空間を揺るがすほどの爆発音が響いた。鉄屑を含んだ爆炎が左側から二人を襲ったのだ。配管内に残っていた蒸気が引火したのか、はたまた引火性の液体でも巻き込んだのか、理由は分からないがとにかく爆発は起こってしまった。
鉄屑の流星が飛来する。
目を見開いた二人は時間が止まる感覚を味わっていた。
目前に迫る光が遮られる。身の周りを包む鉄屑は一瞬の間を以て体中に突き刺さるだろう。器用に躱すことができる時間もない。
ここまですべてを駆使して生き残った二人の最後は、皮肉にも彼らの運の無さで終わる。
――どうしてだ? ――なぜこんなことに?
二人の瞳に死が浮かんだ次の瞬間、二人の身体は鉄屑の流星に呑まれた。
一切の防御、回避もできず横殴りの爆炎に襲われる。鉄屑と岩石が二人の身体を容赦なく穿ち、貫いていく。全身に駆け巡る激痛。どこがどう負傷したのかすら分からない二人はただ悶絶し、初めて上を向くのをやめた。
もう終わった――あと数瞬後に俺たちは瓦礫の渦に呑み込まれる――。
薄れゆく意識の中、ロゼは薄目で眼下を見下ろした。
そこにはレイズがいた。体中に破片が突き刺さり今にも意識を失いかけている、見るも痛々しい後輩の姿が――。
――ドクン。
その時ロゼの眼に火が宿った。止まるのを待つだけだった心臓が高鳴り出す。
絶対に死なせるわけにはいかない。俺が死んでも、こいつだけは――。
「ああああああああああああああ!!!!!」
ロゼはボロボロの右腕から黒鎖を伸ばしレイズの身体に巻きつけると一気に引き上げ、片腕で抱きかかえる。そしてもう一方の腕から再び黒鎖を天に向けて放出し、光までの道をこじ開けるようにして黒鎖を振るった。
飛来する鉄屑がロゼの肩に、腕に突き刺さる。が、気にも留めることなく鞭のように黒鎖を振るいそして何かに引っかかった。見ると黒鎖の先は光の中、出口の外に伸びている。
「このまま一気に!!」
光を睨み付けるロゼの眼前にまたもや巨大な影が落ちた。大型の瓦礫、崩落した地上のコンクリートが迫る。
右手はレイズを、左手は命綱を握っている。
どっちも放せねぇ――、万事休すかと、歯を食いしばった時、なんとコンクリートの塊は黒鎖により粉砕された。
「!!!????」
その黒鎖はロゼの腕の中から、傷だらけのレイズから伸びていた。血が垂れた表情の中からレイズはロゼに眼を合わせる。
その眼の中には強すぎるほどの゛生゛が宿っていた。如何なる地獄の中にあっても強欲なまでに噛み付き放さない゛生゛の瞳が輝いている。
レイズは無言で頷き、ロゼも頷き返した。
そして二人の眼は今一度、光へ向けられた。
「いっけええええええええええええええええええ!!!!!!」
二人の叫びが重なり合い、瞳は光を捕らえた。
ギリギリまで迫る鉄屑のトンネルを高速で抜け、目前の光へただ手を伸ばす。
光の中を手で探るように、一瞬でも早く暗闇を向け出すように。
そして遂に、その瞬間は訪れた。
一瞬、周囲が真っ白な空間に包まれたかと思うと、段々と白色が赤掛かり次第に橙色の夕焼けへと変化していく。
唖然としていた二人だったが直ぐに身を包む状況を理解した。
やり遂げた――、と。
無謀と思われた窮地からの脱出を、自分たちはやり遂げたのだと。
廃墟の宙に飛び出した二人は一瞬前のことなど忘れたかのように表情を緩ませ、体中に詰まったガスを抜くように息を吐き出した。不安、恐怖、そして死の感情が美しい夕日の中に溶けていくような感覚だった。
眼下の廃墟はひどい有様で至る所が崩れたり地割れが起こったりしているが二人が乗り越えてきた困難に比べればなんの障害にもなりえないだろう。手負いとはいえ容易く脱出することができる筈だ。
「遂にやりましたね! ロゼさん!」
傷だらけのレイズが安堵の表情を浮かべる。
少し前を飛ぶロゼも振り返りレイズに労いの言葉を掛けようとした。
「ああ!! これで助か――」
その時、ロゼは言葉を失った。
緩んでいた頬は一瞬で引きつり眼は見開らかれた。ボロボロのレイズにでもない。周囲に広がった焼けるような夕焼けにでも。
ロゼの視線はレイズの背後に刺さっていた。
「――?」
呆気にとられた様子のレイズに迫るもの。それは地獄の蓋から這い出た死神。
――何故だ? 何故お前がこんなところに居る? なぁ――。
「ベアウルフだ!! レイズ!!」
ロゼが神槍に手を掛けた時にはすでに遅かった。
地下の広間で仕留め損ねた一匹だろうか、下半身を引きちぎられたかの様に失ったベアウルフがレイズのうなじに咬みついた。
体中に刺さった鉄屑を鑑みるに二人同様、鉄屑の嵐を抜け出してきたのだろう。眼を炯々と光らせ体毛を自らの血で汚すその姿はまさに死神以外の何者でもなかった。
レイズは再び引き摺り降ろされる。
ゴールを目前にして、何が起こったかもわからないまま、背中に掛かった重量感にされるがまま落ちていく。
自分に差し出されたロゼの手を掴むどころか掠りもしなかった時、レイズは直感で悟った。
――死ぬ。自分は、ここで死ぬのだ、と。
ロゼのこんな、今にも泣きだしそうな顔は見たことが無かった。いつも自分を守り続けてくれた存在のそんな表情を見て自分はもう駄目なのだと悟るとはなんとも皮肉な事だ。
なにか自分にできることはないか、死にゆく自分に何か、執行官の端くれとしてできることはないかと考えた時、レイズは光が差したように背中に背負う存在を思い出した。片腕を背中に這わせそれを握りしめる。
「ロゼさん!!!」
ロゼの眼前に放られたのは黒色のトランクだった。レイズの血がべっとりと付着したそれをロゼは咄嗟に両腕で受け止める。
「レイズ!!」
ロゼは落ちていくレイズの表情に凍り付いた。
彼は微笑んでいたのだ。崩落の渦を背後に、自分に笑顔を向けていた。
貴方だけでも助かって良かったとでも言いたげな表情を浮かべて落ちていく。
きっと死を悟ってなお最後に情けない姿を見せないように、恐くなんてないと見栄を張っているんだろう。
違う――。駄目だ――。そんな顔をしないでくれ――。
ロゼの放った黒鎖は渦巻く破片に弾かれる。
伸ばした手も、与えられた神の力も、もうレイズには届かない。
ロゼは後輩の名を叫ぶ。もう彼に届けられるものは声以外なかったのだ。
崩落の渦に呑まれていく中でレイズが何か自分に呟くのが見えた。
その呟きは轟音に掻き消され届きはしなかったが、ロゼにははっきりと伝わっていた。
――ありがとう、と。
崩落の轟音と、ロゼのレイズを呼ぶ声が深い闇の中に響き渡った。
それは合重なって反響し、悲鳴の様に夕焼けの空へ溶けていった。




